半竜のことですか?
「身体が半透明なのも意味不明だがなんで腕が元に戻らねぇんだよ!」
左手をいつも通り人の姿にしようと試みているが途中まで戻ったところでまた竜の姿になる。
今まで体験したことがない現象だ。
「ボクたちは今、ほとんど精神体だからモロに魔素の影響受けてるもん。仕方がないよ」
――精神干渉の魔法を使われた!? 魔法の発生兆候も感知できなかったぞ!
「白竜! 精神干渉の魔法なんて人間に向かって使うんじゃねぇ! 精神狂わせて廃人にするつもりか!」
白竜は人間のように指の爪で顔を掻いた。
「それは普通に魔法を使えばの話だ。コツがあるのだ」
「ねー」
写本が白竜の顔の横で同調した。
「コツを知ってるだけで精神干渉出来るなら世の中魔法でもっと狂ってる」
罪を犯しても目撃者や邪魔になる存在の精神を弄って味方にできる。記憶の消去も容易だろう。
「今の人間は知らなすぎるのだ。いや、知らぬことが幸せかもな」
白竜はしなやかに首を動かし、空を見上げていた。何を見て、何を知り、何を考えているのか読めない。
理解できているのは俺の発言次第で本当に殺されかねないことだ。
白竜の使っている魔法が写本の言う通りなら俺の精神体を壊してしまえば俺本体も死ぬ。
魔導や魔法で足掻こうにも精神体で魔法が使えるのか不明。
地面に触れているはずの足に感触がない。竜化して直接的な攻撃もすり抜けるだろう。
――逃げ道が初めから用意されてないな。
深呼吸をして落ち着かせる。
「精神体が魔素の影響を受けるってのは初耳だ」
「知らなくて当然だよ。知っていたらキミは世界の一端を理解していることになるから」
「お前本当に余計なことは言うくせに必要なことは喋らないよな」
「黒竜くんが黒竜くんなりの答えを持ってくるまではボク言わないし教えない。最初に言ったでしょ? ボクは採点者だよ?」
写本から自発的に教える気はないらしい。
俺は舌打ちをする。
「最低限の説明もせずに人が迷う所を楽しむ。サルミアートの趣味の悪さは相変わらずだな」
「人聞きの悪い言い方をしないでおくれよ。喋る相手を選んでるだけさ、エリー」
「さっきは聞き流したが次その名を呼んだらお前の本体もこちらに引き寄せて爪で切り裂くぞ」
白竜が爪を地面に立てた。
硬そうな岩の足元が柔らかい土のようにアッサリ抉られる。
「あははは、それは嫌だなー……」
写本は俺の身体の中に溶け込んだ。
「俺の身体は避難所じゃないんだが」
「彼奴がおると進む話も進まんからその身体に閉じ込めておけ。人の頃から何も変わっとらんわ」
呆れているのか大きく鼻息を鳴らす白竜。
俺はその場で胡坐を掻く。
「で、語ると言っていたが何を語ればいいんだ。質問なら山ほどあるぞ」
――俺の肩の鱗の持ち主とかサルミアートとの関係とか世界の秘密とか。
「まずは名乗ろうではないか」
白竜は翼と身体を小さく丸めていく。
学園の校舎よりも大きかった白竜の肉体が少し、また少しと小さくなっていく。
人ぐらいの大きさになったところで翼をまた開く。
白いドレスを着た色白の若い女が出てきた。長い髪の間から竜の角を覗かせ、背中には翼がある。
「……人型になれんのかよ」
顎が外れそうになった。
メリアが知ったら卒倒するだろう。
「我は良き隣人を見守る白竜だ」
白竜は俺の横に座った。
ドレスの袖や襟から見える肌には鱗が見えた。
柔和な表情をしている白竜は人間にしか思えなかった。
「俺は――人と共に真実を求める黒の契約竜だ」
一瞬、人の名前と竜の名前のどちらがいいか戸惑った。
「良い名だ。しかし何に誓いを立てたのだ。教えてくれぬか?」
吐け、という命令できる立場のはずの白竜が尋ねてくる。
「教えないという選択をしてもいいのか」
「構わぬ。我が知りたいのは真実ではない」
――なら何が知りたいというんだ。
コクリと首を縦に振る白竜の意図が俺には読めない。しかし、世界の秘密を知っているであろう白竜から情報を聞き出すために俺もある程度は情報を出した方がいいかもしれない。
俺は白竜に師匠や俺の職業、魔導のことを話していく。
何が楽しいのか白竜はずっと笑みを浮かべていた。
時々飛んでくる質問は『今の人間が着る服はどんなものがあるのか』とか『最近の娯楽はどんなものがあるか』とかだ。
人間に興味津々のようだ。
俺が知ってることは教えたが、山育ちで世間には疎い方なのであまり答えることができなかった。
「世界の真実を教科書に、か。己が知るだけではなく周囲に認知させるのは何故じゃ?」
「新しい知識を得た方が面白いと思うから。ただでさえ窮屈で面倒な世の中を自分の無知でさらに窮屈にする必要はないだろう」
師匠が死んでからメリアに出会うまでの俺は窮屈な世界にいた。
家と山と薬を売る村の三つしかないつまらない世界。
師匠が生きていればに大きな町に連れ出されたり、修行の名目で辺境に置き去りにされたりしたが一人になってからはほとんど山か家に籠っていた。
「あとは物事を知らないってだけで不幸な道を歩むのも巻き込まれるのも嫌なんだ。誰も望まないだろう、バッドエンドはよ」
退屈で窮屈も孤独も分からない世界に今の俺は戻りたくない。
半竜の秘密を隠すのは骨だが昔よりもいくらか面白い。
「竜の力があれば人の世なぞ好きに出来るだろうに。魔導も使えるなら尚更な」
「それをやったら俺はただの暴君だ。特に魔導なんて好き勝手に使ったら魔法や魔石で成り立ってる今の生活崩壊して人間たちが死ぬぞ」
――だから魔導は禁忌なのだ。
対魔法性の高さから魔法社会を根底から壊しかねない封印すべき技術。
魔導を危険視する法団の考えは正しい。
師匠も『魔導を見せるには早すぎた』と追い出されたこと自体に納得はしている様子だった。
「小僧のように立ち振る舞えば世界はもう少し長続きするかも知れぬな」
白竜は意味深なことを言って、竜になった俺の左腕を掴んだ。
精神体の俺の身体が細い女の腕ではありえない力で押さえつけられている。
白竜が冷たい手で触り始める。
「思っていたよりも浸食は激しくないようじゃな。魔臓の扱いがなっとらんな。オンとオフは出来るくせに間がない。――これでは時期に人に戻れなくなる」
声のトーンを落として俺の腕を撫で始める。
「なっ!?」
「『ミッドチャイルド』とは人以外の種と混じった者を指す。混じった者は異能を持つが異能を使えば使うほど人の肉体は浸食され、最後には人ではないモノに成り果てる」
俺の『竜化』は異能だから魔法とは違う方法で機能するのか。
「小僧がまだ人として生きているのは竜の力を頻繁に使わない研究者の生き方をしていたからだろう。でなければ今頃どうなっていたか」
「クソ写本出てこい! お前知ってたんだろうが! 喋るべきことマジで喋れよ!」
怒りのあまり俺の身体にいる写本を呼び出そうとする。しかし、暗い洞窟の中を俺の声が反響するだけだった。
「サルミアートは死んでも言わんよ。言わない代わりにお主を生かす手段をとっておるからの」
「俺を生かす手段。俺と写本……。――契約魔法か!」
「感謝しておけ。契約が続く限り小僧の浸食はサルミアートが抑えるじゃろう」
俺は下唇を軽く噛んだ。
白竜の手が俺の左腕から離れる。
「おい、なんだこれ」
左手首に表面が滑らかな白い腕輪がついている。
重さを感じないから見ていなければ着けているのかすら分からない。
「オマケじゃ。もうそろそろ時間じゃ」
俺の半透明の身体が足元から無くなっていく。
どうやら本当の肉体に戻るらしい。
「他の竜と会った時、間違いなく小僧は自由と世界を求める黒竜と間違われる。間違われたら腕輪を竜に見せよ。誤解は晴れるじゃろう。――多分な」
「多分ってなんだよ! 確定じゃないのか!?」
さよなら、と手を振る白竜に手を伸ばす。
しかし、指先は消えて俺の視界は白に染まった。
「あと『インバール』の意味も教えやがれ!」
「どこの、言葉?」
俺の横でロシェトナが首を傾げていた。
「戻された……。最悪だ」
「夢でも、見てた?」
「あーそうだな。白竜に会う夢をな。てかなんで俺の部屋にロシェトナ入って来てるんだよ」
「ここ、保健室」
――ん?
確かに俺が借りている部屋ではない。
昨日読んでいた本もなければ俺の鞄もない。
「せんせいに、これ返そうとヤシュヤ先生と部屋に行ったら倒れてた」
ロシェトナが俺に紙を渡してくる。
クイラ式魔法検査で生徒の魔法適性について書かれた俺のメモだ。
「ほとんど心臓、止まってた」
――白竜、お前何してくれたの? 仮死状態にでもしたのか?
左腕の白い腕輪を俺は睨んだ。
「三日間、ぐらい」
ぐぅぅぅ、と俺の腹が鳴った。
「マジで白竜のやつ何やってくれてんだ!?」
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