イビキの正体ですか?
かくれんぼは俺の逃げ切り勝ち。
手加減で時々生徒の前を横切るようにしていたがそれでも俺に魔法は当たらなかった。
「観察力も対応力も身につくとはいえ、さすがに試験まで時間がないか」
試験まであと三か月を切っている。生徒の実力も欠点も分かっている。
「本気でやるなら――」
窓の外に見える山。
木の伸び方が疎らだ。誰も定期的に木を切っていないのだろう。
人の手が入っていない山は魔物や魔獣の巣がある。
――実践に勝る成長はない、か。
自室のベッドの上に図書室から借りてきた本の一冊を手に取る。
表紙には『魔素の調和について』と記載されている。
「魔素の状態をかき乱す魔素乱調の発生原因は分かっても『何が昔あったのか』が分からないんだよな」
魔素が安定しない状態になることは俺以外が気づいていてもおかしくない。
発生条件は魔素が枯渇しかかった状態での大規模魔法。条件は難しいが出来ないことじゃない。
例え、自然に発生した魔素乱調だったとしても変なことが起これば過去の人間は何らかの形で残しているはずだ。
――ラナティスでも本や資料読み漁った。どこにも載っていないとなると何故載っていない?
「ぐおぉぉぉ」
「……うるさいイビキだな」
数日ぶりに研究に専念できると思ったら妨害だ。
俺の頭に写本のイビキが聞こえてきた。
魔法のかかった本が喋れる。まだ理解できる。
本がイビキをかく。理解に苦しむ。
「写本起きろ」
「なんだい? 僕を呼ぶなんて」
「イビキが喧しい」
「黒竜くん、本がイビキをかくと本気で思ってるのかい?」
「事実鳴ってるんだよ」
「――ぐおぉぉぉ」
また聞こえた。
「ほらな」
「ボク起きてるんだけど」
イビキの中、写本が答えた。
――となるとイビキが聞こえている理由はなんだ。
契約魔法を使った意思伝達を使っている俺と写本に対して干渉している。悪意はなく、別に魔法の気配があるわけでもない。
念のため魔力を感知してみる。
俺と写本の契約魔法とまったく同じ魔力が不規則に飛んでいる。
「たまたま魔法に使ってる魔力と同調してつながってるのか、これ」
魔力の波長が合うと魔法に干渉することはある。魔導に波長を合わせる技術がある。
――ここまで完璧に波長を同じにすることができるのか?
「ねぇ、寝てるのは誰だい?」
魔力と魔法が干渉する瞬間、写本がイビキの主に話しかける。
『懐かしい気配が時折すると思ったらサルミアート、お前さんか』
「その声はエリム・リンダード・ウラ=ホロンじゃないか!」
写本の呼んだ名を聞いて俺は眉間をつまんで気持ちを落ち着かせる。
――俺の竜の名が『人と共に真実を求める黒の契約竜』。最後のズーが黒竜を表す。ホロンは確か……。
「まだ存命とは恐れ入るよ、さすが『白竜』だ」
『お前こそどうして生きている。何かやったな?』
随分と仲良く喋る本と白竜と思われる声。
――良き隣人を見守る白竜か。
「白竜とか突然出てくるんだよ。おかしいだろうが」
俺が独り呟くと、鼻息のような音がした。
『――何故お前とサルミアートがそこにおるのだ』
鼻息とともに和やかな空気が消えた。
目の前にいないのに魔力から怒りが露わになったのがわかる。
『答えよ! 自由と世界を求める黒竜!!』
「誰だそれ。俺はそんな名前じゃないぞ」
『白々しい! 役目を忘れ『インバールの女』と姿を暗ましておいて何を言うか!』
――インバール? 竜の言葉にそんなものあったか? 土地の名前か?
「ストップだよ、エリー」
『その名で呼ぶな! サルミアートもどういうつもりだ。返答によっては――』
「だーかーらー! この黒竜くんは違うの! 気配が似ているのは肩にアイツの鱗があるからだよ」
俺は左肩にある鱗を触る。
人の身体に戻らないだけだと思っていた。そもそも俺の鱗じゃないとは考えたこともなかった。
『肩に鱗じゃと?』
「『ミッドチャイルド』って言ったらわかるよね」
写本の言葉で魔力から戸惑いを感じる。
聞きなれない単語が白竜の心を揺らがせているらしい。
竜の言葉でも人の言葉でもない。しかし、確実に意味を持つ謎の単語だ。
おそらく俺の何かを指して『ミッドチャイルド』と言っているんだろう。
「俺にも通訳してくれ」
理解できないまま白竜との会話が進まれると俺の鱗のことが分からないままだ。
『……自分のことを知らぬのか?』
「竜と人の間に生まれたこと以外はほとんど知らないな」
自分という存在の希少性がわかった今は気にしているが、子供の頃は人か竜か気にすることもなかった。
竜化の制御が下手すぎて師匠から許可なく竜化するのは禁止されていたことが大きな要因だと思う。
『見定める必要があるな』
重い声とともに視界が歪んだ。
川の激流を船で下っているように上下に揺らされる。
「吐き気がする」
足元を見ると濡れた岩と苔があった。
校長のオッサンが用意してくれた部屋の床じゃない。
視界の歪みが無くなって自分の身体を確認すると半透明になっている。
「なんだこれ」
自分の身体を触ると確かに存在はしている。しかし足の裏には岩の硬い感触も苔の滑る感じもしない。
「やぁ、エリー。久しぶりだね」
俺の身体から写本が表紙を出して浮き上がる。
写本も半透明だ。
「その本がお前さんの本体か。なるほど肉体を捨てたか」
地面の影が動いた。
視線を上にすると、汚れ一つない白い鱗で月光を反射させる白竜がいた。ユビレトで戦った人工竜よりも一回りは大きいであろう身体を器用に小さく丸めて落ち着いている。
「そっちが『ミッドチャイルド』か。確かに、人の姿だ」
「あんたが白竜……」
竜の眼が俺を睨む。
肩の鱗が熱くなっていく。
制御が効かないまま左手が黒竜の鱗に覆われていく。
「人と竜の子よ、今宵は互いに語ろうぞ。そして見定めよう。――お主を生かすか殺すかを」
次回は12/29更新予定です