例え、間違っていても
「身体を譲れ、か」
写本の言葉を真に受けるのなら俺の身体を奪って何かをすることが目的だ。俺の与り知らないところで行動を起こしていれば良いだけの話だ。
実行するだけの力は確実に写本は持っている。俺に悟らせないように催眠状態にすることも可能なはず。
何故、俺の承諾が必要なのだろうか。
――承諾と俺の身体の両方が必要となると、儀式か契約か。
山の中にから鳥が一気に羽ばたく。
地面がまた揺れた。
足下が少しふらつく。竜型土人形が廃坑から現れたときより酷くはないが、あまり体験したことのない揺れだ。
――考えている時間がそもそもないか。
「あの竜もどきを壊せるなら、俺の身体ぐらい持って行け」
「ダメだよ!」
横にいたメリアが大声で俺の言葉を遮る。
俺だけでなく、周りの人間も驚いていた。
「これがオリフィスが言っていた選択なのかな」
メリアの口から聞き捨てならない兄弟子の名前が出てきた。
小さな両手を力強く握って、今まで見たことのないような切羽詰った形相だ。
「どうしたんだ。オリフィスが一体どうした」
「地下でオリフィスに会ったよ。私たちはオリフィスに助けられたからここにいるの」
俺の白衣を掴むメリア。
ケイオスに俺は視線を向けた。
「本当だとも」
短く肯定したケイオスに周りの人間が何人か頷いた。
「オリフィスは言っていたんだよ。イヴァンを頼むって。あの頑固者が間違った選択をしないようにって」
――案の定生きていたのかアイツ。で、メリアは何か吹き込まれたと。
「私は反対だよ。身体を渡すとか危ないことは」
俺が白衣を引っ張るとメリアが離すまいと力を入れる。
きっと俺は心配されているんだろう。
写本が出した要求が怖くないかと言われれば嘘だ。
読めない言葉で書かれた契約書を突然突きつけられて「一分で決断しろ」と言われている。しかも人質つきだ。たまったものじゃない。
時間があるなら、時間をかけて精査したいが今は出来ない。
――だから、素直に俺は気持ちに従おう。
「悪いがメリアの言葉でもそれは聞けない。今ここでアレを止めないといけない」
誰かが魔法で不幸になってしまうのは耐えられない。
魔法は何も悪くない。ただ使用者がクズ人間だっただけだ。魔法を生み出した昔の人もこんな使われ方はきっと望んでいないはずだ。
少なくとも俺は望まない。
『魔法=不幸にするもの』なんていう認識だけは研究者として、持ってほしくない。
「だから他の方法を考えようよ」
「時間がないんだ」
俺は強めに白衣を引っ張ってメリアの手を無理やり外した。
「イヴァン!!」
「メリア、俺の選択が間違っているかもしれない。もっと言うと俺は、存在から間違っているんだ」
半人半竜。人間でもなく竜でもない半端な存在。生物の進化上ありえないはずの生命。
俺自身、俺というものがどういった存在なのかはっきりとわからない。
「それでも生きているなら後悔したくない。夢も追うしやりたいことがあるなら俺はそれをやるだけだ。だから、悪い」
魂が抜けたようにメリアはぺたんとその場に座り込んだ。
写本が俺の横でふわりと浮かんで付いてくる。
「お前が飛ぶのと俺が抱えて走るのはどちらが早い」
「確実に黒竜くんが走った方が早いね」
俺が手を広げると、写本は音もなく俺の手の上に乗った。
分厚い写本を左脇に挟む。
「死ぬ気?」
砂を蹴りあげたオリバーが俺の前を塞ぐ。
「まさか。ここにいる奴らを頼む」
「オレは手伝わなくていいワケ?」
「お前まで離れたら誰が守るんだよ」
体調が優れない人間が多数。
場所は山の中。夜が明けるのはもう少し後だ。
竜型土人形のせいでパニックになった獣が襲ってきてもおかしくはないだろう。
「……まぁ、それもそうだけどさ」
やる気がなかったり手伝うと言ったり、オリバーの行動原理はよくわからない。
「とりあえず薬だ。ここのやつの応急処置ぐらいはして動けるようにしていた方がいいだろう」
「え? え?」
鞄に入っていた薬を俺はオリバーに次々渡していく。
「茶色の瓶は化膿止め、赤い箱には吐き気止めの粉薬と呼吸が楽になる粉薬の材料が入ってる。粉を水に溶かして飲ませろ。配分は箱の蓋裏に書いてる。水がなければ唾液を口に溜めさせて飲ませろ。あとは鎮痛剤だな。他にも――」
「おいおい、何のつもりだって」
オリバーが腕の中の薬の山と俺を交互に見る。
「俺が戻ってくるまで持たせておけよ。あの土塊ぶっ壊してもここから街まで人間どもを運ばなくちゃ行けないんだからな」
俺は脚を竜化させる。
「じゃ、後でな」
俺は写本を抱えて走り始める。
下を向いて、涙を流しているメリアを見なかったことにして――。
◆ ◆ ◆
地面にまた雫が落ちる。
「止められなかったよ……。私じゃ、止められなかったよ」
イヴァンが選択してしまった。多分、間違ったものを選択した。
オリフィスはイヴァンから見たら敵かもしれないが、私にはそうは見えなかった。
素直じゃない人。少し態度がゆるくて面倒見がいい人。根っこは悪人じゃないのだと思う。
――そんな人が無意味に忠告してくれるはずのに……。
「あー、マイアットさん」
オリバーさんが声をかけてきた。
私は顔を合わせられなかった。
「……ごめん。今、話したくない」
涙が止まらない。
イヴァンにせっかく会えて嬉しかったのに気分がどん底だ。
あの竜もどきを倒してもイヴァンの身体はあの本のモノになってしまう。
いつも隣にいたイヴァンはいなくなる。
そう思うと、涙が止まらなかった。
「薬を預かった。『俺が戻ってくるまで持たせておけよ』ってあの頑固者がさ」
オリバーさんはまだ話しかけてくる。
「アイツは戻ってくる気だ。捨て身じゃないから大丈夫だって」
「でもイヴァンの身体があの本に乗っ取られちゃうんだよ。聞いてたよね?」
「んー、それはどうだろな」
私は顔を上げてオリバーさんを見る。
「あの頑固者がそうやすやすと身体を渡すとは思えないんだよなァ」
「……確かに」
夢半ばで諦めるような性格をイヴァンはしていない。
『戻ってくる』という言葉も本気で戻ってくる気だからこそ出た言葉だと思う。
――期待していい、イヴァン?
「戻ってこれるようにオレたちは頑張っとこうぜ。落ち着いたらでいいから、薬飲ませるの、手伝ってくれね?」
「……わかった」
「んじゃ、よろしく」
オリバーさんは両手に薬を持ったままクウェイトのお兄さんへ。
薬のことを話しているようだった。
「……勝手に期待、するからね?」
――そういえば、オリバーさんは何でイヴァンのことを頑固者って呼んだんだろう?




