ささやかな願い、受け入れるか否か
俺はイルクの胸ぐらを掴む。
怒鳴ってやろうと思ったが飲み込んだ。
まだ笑っているイルクに俺の鱗が疼く。
イルクを投げ捨てて俺は目の前で動く竜を見る。
竜は生まれたばかりの草食動物のように手と脚を使って立ち上がった。
首を左右に振る竜。東の方角で固まった。
二本の脚で廃坑を破壊しながら前進する。
「あっちって、街だよな。破壊衝動で動くんなら、街やばくないか?」
「ラッドさんたちが危ないよ!」
オリバーとメリアが騒いだことで周りにも恐怖と焦りの感情が伝播していくのがわかった。
「家族が、いるんだ」
「教えなきゃ」
走るのもやっとだった人間たちの目に生気が宿る。
動くこと自体辛いはずなのにゆっくりと歩き始める。
外は明るくなり始めていたが、それでも山を下って街へ行くには暗すぎる。
気温も高くない。体温が正常に維持出来るか怪しい。
「何も出来やしないのに、何を言ってるんですかね」
笑みを崩さないイルクを俺は視線で刺す。
途端にイルクの顔から笑みが消えた。
見てはいけないものを見たかのようにイルクは息を飲んでいた。
「お前は研究者じゃない。殺人者だ」
怒りは湧いてくるが殴る気にならない。
頭の奥底で殴るだけ無駄だと思っているからだろう。
息を吐いて、森の中を進む土人形の姿を確認する。
魔法の正しい使い方なんて知らない。魔法が生まれた理由を知らないのだから当たり前だ。それでも俺がわかっていることがあるとするなら――。
「――こんな魔法は間違っている」
俺の中で何かが動く。
「ボクもそう思うよ」
俺の胸に魔法陣が浮かび上がる。
魔素を分解し始めて発光する魔法陣に周囲の目が向く。
魔法陣から俺の言葉に同調した何かが出てくる。
「今出てくるなよ。お前の相手をしてる余裕なんてこっちにはないんだ」
革の表紙に『精霊物語』と書かれた本が宙を舞う。
「クソ写本!」
「酷い言われようだね」
「立て込んでんだ。お前に構ってる暇はない」
「ま、黒竜くんの中で全部見てたから状況はよくわかってるよ。つまらないことに魔法を使ってくれる人間もいたものだね」
写本がイルクの前でくるくると回転する。
「イヴァン、あれって」
「あぁ、俺が言ってた『アルタミア=サルミアートの記憶と知識の写本』だ」
遠くで木がなぎ倒される音がする。
「さっさとあの土塊壊さないと街がめちゃくちゃになるな」
なんで写本が姿を現したか気になるところではあるが、今はやるべきことがある。
「なんとかできるの?」
メリアが声を弾ませる。
「止めるだけなら簡単だ。魔石と魔法陣の経路を切断すればいい。ただ大量の魔力が操作失って、急激に霧散。爆発する」
「規模は?」
人間一人の魔力が暴発し、建物が一軒丸々消し飛んだという事例は珍しくない。
竜の魔力は四十人前後の量だ。ユビレトの街の半分ぐらいは爆発で消し飛ぶだろう。その上、胸に組み込まれている魔石もある。
魔石は魔素の結晶体。魔力は魔素を分解して生成される。つまり、魔石を利用して魔力が増える余地があるということだ。
考えるのも嫌になる。
「最低で街半分。最悪街どころかこの辺り一帯が焼け野原だな」
「街を壊さずに何とかして!」
「なら魔法の解体だ。魔法陣の一部を解析して魔力の経路を魔導で奪う。経路さえ奪ってしまえば俺が暴発しない形で魔力を散らしてやれる」
――でもこの方法には大きな問題がある。
「時間が足りないんだよね? 今から解体してたら土人形が解体前に街に到着しちゃって、暴発関係なしに街がメチャクチャにされちゃうんだ」
写本の言うとおりだ。
解析の時間と経路の奪取の両方をする時間がいる。
「だからボクが出てきたんだ」
写本が俺の前で浮かぶ。
「時間はボクが稼いであげる。代わりにボクのささやかな願いを叶えておくれよ」
「ささやかな、願いだと」
「そうさ、黒竜くん。――キミの身体をボクに譲ってくれないかい?」
次は5/4に更新しようと思います。