ユビレトの夜、二人の夜
「それ行け、イヴァン号!」
メリアが俺の背中の上で意気揚々と前方を指差す。いきなり動いたからメリアが持っているバスケットが俺の首に当たる。
バスケットの中身は俺が昼間買ってきた食い物が入っている。サンドイッチやマフィンが大量に入っているため、痛みを感じる程度には重い。
俺は口元を歪めた。
「ちゃんと持てよ。危ないだろうが」
竜化させた脚で民家の屋根を飛び跳ねる。
下に見える通りでは職人らしき人たちが酒盛りをしている。
目線はみんな下か直線。屋根の上を見る者はいなさそうだ。
「俺なら大丈夫ってこういうことかよ」
「そーいうこと。次、右ね」
リズムを刻むように屋根を蹴っていく。
どんどん街の中心から離れている。ラッドの研究室も飛び越えた。
街の外、山の方に向かっているようだ。
だんだん人の気配がなくなっていく。
「マジでクウェイトたちに言わずに出てきたがいいのかよ」
「言ったら二人で出かけられないじゃん」
「そりゃ護衛だから一緒に行動するのは普通だろう」
「あぁ、もう! いいから行くの!」
こめかみの髪の毛を思い切り引っ張られる。
「痛っ!? こらやめろ。俺が何をした。てかおいなんでさらに強く引っ張るんだっ。いてぇ! 俺の髪は手綱じゃねぇぞ!」
山の中で俺とメリアは騒ぎながら目的の場所――大小様々な岩が転がっている崖に着いた。
時折、風が吹いて山特有の土と木の匂いを運んでくる。
「とーちゃく!」
メリアは手を広げてポーズをとっていた。
俺はその横で頭全体をさする。
「くっそ、最後まで髪を掴みやがって」
心臓が耳元にあると錯覚させるような音が聞こえる。
絶対髪抜けた。数本単位じゃなくて数十本単位で。
「落ちたら危ないじゃん」
「最初は首に手を回してただろうが。途中から髪にしやがって。ハゲたらどうする」
「ハゲても助手のままだよ?」
「仕事の心配はしてねーよ!」
メリアと二人だといつも俺は叫んでいる気がする。
なのにどこか安心している。
きっと長いこと一緒にいるからだろう。
――あー、頭が痛い。
「こっち来なよ」
岩の上に腰を下ろしたメリアが手招きをする。
俺は渋々向かうと崖の先に光の帯が見えた。
「綺麗でしょ。光っているのユビレトの中央通りだよ」
「人間がうじゃうじゃいやがるな」
俺の感想にメリアがジト目で俺を睨んだ。
「そこは綺麗だね、って言うところでしょ。まったく」
俺の感想は求められていたものではなかったようだ。
――人が動く様が光の明滅として見えたから言っただけなんだけどなぁ。
バスケットからマフィンを取り出して、不服そうな顔でパクついている。
あっという間にマフィンが一個なくなった。
「そういうのは人間同士でやってろよ」
「イヴァンだって人間じゃん」
「半分はな」
事実を述べるとメリアが口を尖らせた。頬に食べ始めていたサンドイッチの黄色いソースがついていたが何も言うまい。
「パーティーの帰りでヴェルデさんに会った」
ヴェルデに関する愚痴を吐き出したいのだろうか。
昔もどこかで似たようなことがあった気がする。
「また追いかけられたのか」
「ううん。なんか私の二番目の助手になるんだって宣言された。あと、イヴァンに負けたって」
勝ち負けが出るようなことを喋った記憶はない。
何があったのか、ヴェルデの思考は想像出来そうになかった。
あと二番目とはなんだ。
「何か言ったの?」
確信めいた何かを持っている様子でメリアが俺を見てくる。
普段は圧なんて感じないのに何故だ。
俺は目線を外す。
「何もしてないぞ」
余計なことはしたけど、あれが原因だとは思えない。
「そうなんだ。ふーん」
「なんだよその疑り深い目は」
メリアのからふざけた感じが抜けていく。
仕事の話をしている訳でもないのに真剣モードになっている。
少しずつ四つん這いで俺に迫ってきた。
変な迫力に俺は後ろに下がる。
背中に石が当たって逃げられなくなった。
四つん這いのメリアが俺の真上で静止する。
「無言で寄ってくるなよ!」
顔があと少しで触れ合うところまでメリアが顔を近づけた。
目が少し潤んでいる。
「――いなくなったりしないよね?」
「はい?」
「ヴェルデさんと話した後、考えたの。ヴェルデさんがどうしてあんな宣言をしたのか」
理解が追いつかない俺は黙ったまま動かない。
「イヴァンが何かをしたのはすぐわかった。でもイヴァンは何か明確な理由がないと行動しないよね。だったら理由は何か。私に助手を新しく作って世界の真実を求めてどっかに行こうとしてるんじゃないかって」
ここまで聴いて俺は脱力した。
「しねーよ。んなこと考えてねーよ」
「ホントに?」
「お前が俺にいらないって言うまでいてやるよ」
俺にはそれぐらいしかメリアに恩を返せない。
人として生活するための知識を教えてくれた人。俺が生きていける場所をくれた人。
例え半人半竜という境遇への興味から始まったとしても、今の俺がいるのはこの面倒な上司のおかげなのだから。
「ふーん。そっかー。ふーん」
メリアがゆっくりと離れる。
そのまま元いた岩の上で膝を抱え込んだ。
膝の中に顔を半分近く埋める。
「ならこの先イヴァンは無職になる心配はないね」
「恐ろしいことを言うなよ。まともに実験出来なくなるだろうが」
世界の真実へ向かっている最中だ。
ここでラナティス追い出されたら研究費と生活環境の問題が出てくる。たまったものではない。
「そういう意味じゃないんだけど……とりあえずは助手のイヴァンでいいかな」
「他になんかあるのか」
「なんもなーい! さ、ご飯食べよ!!」
俺の腹の虫も何か食わせろと鳴き始める。
「少し分けてくれ。実験に集中してて何も口にしてない」
「最初っからそのつもりだよ。パーティーでご飯食べれないの見越して二人分買ってきてもらってるし」
分量がおかしいと思っていたが、そういう理由か。
「そういやアルヴ・スースだっけ、マフィンの店。あれ、クウェイトの兄が働いてる店だった」
「なにそれ!? 詳しく!」
興味につられてメリアが顔を上げた。
――あぁ、いつものメリアだ。
どうしてだろう。
俺は今安心してしまった。いつもは真剣なメリアの方がいいとか思ってるのに、なんでだろうな。