魔力の話
俺は深呼吸をして、空気中の魔素を魔臓へと蓄積を始める。運動なんてしていないのに心臓の鼓動が早くなっていく。体中の血管が拡張され、身体が火照っていく。
腹部に力を入れて、魔素の分解を開始する。
内臓に空気とは違う何かが貯まっていく感覚。薬を使い始めた頃の自分であれば嗚咽してかもしれないが、まだ許容範囲だった。
生成されていく魔力が体内からあふれ出そうになるのを無理やり魔臓に押し込む。この作業が一番辛い。普段使っている魔力ならすんなりいく制御が全くできないのだ。しかも一度に作られる魔力が多すぎる。人間が魔臓を持っていたのなら空腹の胃袋に大量の食物を胃に直接ぶち込まれるのと同じ感覚を味わえると思う。
「ふむ。確かに分解は出来ておるが遅すぎやせぬか?」
魔素の吸収から魔力の貯蔵まで四十秒オーバー。今の俺が出せる最高のタイムである。
「これ以上の速度は出せねぇよ。出したら魔力も胃の中のものも吐くぞ」
「戦闘において早さは正義だ。例え敵が未来が見えても、早ければ早いほど対処を困難にする」
目の前の白竜は美しい翼を広げた。白い肌だった手の甲が光を強く反射する白い鱗へ。首筋まで鱗は伸びていた。竜への変化と同時に魔力が生成されている。魔力は外に漏れ出ることなく白竜の体内に留まっている。
「これでもゆっくりやった方だ。最低でもこの早さで出来るようになってもらわねば戦えぬぞ?」
俺は絶句した。魔力生成の早さに。自分以外の竜化に。そして、あの暴走気味の竜の魔力を顔色変えずに制御下に置いた事実に。
集中が乱れて俺の魔臓にあった魔力が外に漏れ出てしまう。押さえ込もう全身に縄でぐるぐるに縛り上げるイメージをしたが、魔力は俺の意志とは関係に反して縄をちぎっていく。外に出た魔力はあっという間に消滅していった。
俺の体内に残った魔力は作った魔力の三分の一程度。俺が苦痛もなく支配できる魔力だけとなった。
「制御も甘いときたか。教えることがたくさんあって嬉しい限りだ」
言葉とは裏腹にやれやれ、と白竜はどうしようもない生徒を見るような目で俺を見ていた。師匠に竜化の指導を受けていたときも同じような顔をされていた気がする。
「魔獣や魔物と人間の作る魔力の違いを知っておるか?」
「製造過程が違うとか魔獣の方はえらく刺々しいことぐらいしか知らないな」
「刺々しいというのは抽象的だが、まぁよい。では何故、質の違いが出るのかまで考えたことがあるか?」
「ないな」
俺がきっぱりと言い切ると白竜は手の上に魔力で球を作り、俺に向かって飛ばしてくる。飛んできている球はふわふわと浮かぶ泡のように進む。綺麗で柔らかな見た目とは異なり攻撃的な魔力が高い密度で詰まっている。
「今出したのが竜の魔力だ。そして竜の息吹の原型。他の魔物でもある程度能力があれば似た魔力弾を飛ばすだろう」
俺は右腕を竜化させて白竜が出した魔力の球をつついてみようとしたが、周りに力場が発生していて触れる前に弾かれてしまった。粗々しくて近づくモノすべてを拒絶するような性質の魔力。どう見ても――。
「ただの魔獣の魔力。その塊がどうだっていうんだ」
「そもそも魔獣や魔物の魔力は魔法のための魔力ではない。遠方へ放ち、身に纏い鎧とし、治癒力を強化するといった単純な使い方しか出来んのだ。人間のように繊細な制御から新たな現象に変化させる行為をするのは精霊のすることだ」
「つまり竜の魔力で魔法を使うのは無理だってことかよ。俺の練習は一体……」
「無理とは言っとらんだろう。貴様らのいう魔導があるではないか」
魔力の塊がぐにゃりとねじれる。ねじれながら細く細くなっていく。細くなった魔力の片方の先端に矢じりのような一際強い魔力の塊が出来ていた。
目の前で白竜が行ったのは魔導で言うところの成形である。通常の魔力であれば俺にもできることだ。
「魔獣が使うのは魔法ではなく魔力だ。そこを勘違いしているから困ったことになるのだ」
「なんか前にメリアが魔法を使う竜は少数だ云々言ってたな」
「あの幼子はなんでも知っておるな。竜についても詳しいようだった」
白竜の口ぶりから俺はあることに気付く。
「一応言っとくけど、アレ。俺より年上な。で、竜の研究者でトップクラス」
目を大きく開いたあと、何度か瞬きした白竜は細い腕を組んで右目だけを閉じた。
「今のは失言だった。本人には言わないでおくれ」
「竜の身体を触らせたら何でも許してくれると思うぞ」
俺は話しながら魔臓で魔力を生成する。そして生み出した魔力を一度、体外へと溢れ出させて魔力を見えない手で粘土をこねるようにいじっていく。
通常の魔力よりも粘土が高い。それでも魔法を使うために無理やり押さえ込むより何倍も楽だ。何度も魔力を頭上でこねていると柔らかくなっていっている気がする。だんだんオウラスが与えてくれた魔力に近づいている。
「あぁ、なるほど。こうすりゃいいのか」
俺は木の床に竜化した爪で傷をつけていく。ただの傷ではない。意味のある図形を描き、魔法を使う陣として成り立たせていく。
出来上がった魔法陣は初級も初級。水球を作る魔法である。火の魔法でも雷の魔法でもよかったが木が燃える可能性があるのでやめておいた。
俺はいつもの言葉をつぶやく。
「生成」
魔力を魔法陣に流し込むと、陣の上に水が急速に集まっていく。握り拳ぐらいのものを作ろうとしていたのにあっという間に人間の頭よりも大きくなってしまった。
魔獣の魔力を使用した魔法はいつもの魔法よりも何倍も早い速度で現象を発生させるらしい。そして魔法を使っているときは竜化した手に甘い痺れがあり、数十秒残る。
「この痺れ、オリフィスと戦った時に感じた竜殺しの魔力になんか似ているな」
俺は手のひらを広げて閉じてをくり返して感覚を戻そうとする。竜化をやめるとあっさりと痺れは無くなる。
「今の一瞬でそこまで進歩するものか?」
「感覚掴んだわ。でもこの魔力で魔法はやめた方がいいな。竜化してたら自滅する」
「黒竜となったオルガの奴はその竜殺しの魔力を自力で生み出し、己には被害がないように制御していたよ」
白竜はそういうと突然、魔力を生成し始めたのである。さっきまでの比ではない濃密な魔力。触れたらすぐに消滅してしまいそうである。
「予定を早めれそうでよかった。竜殺しの魔力を使って戦ってみせよ」
「ちょっと待て待て待て。こっちはまだ理解したばかりで――!! 話聞け!」
白竜に俺の静止の声は届かず、殺傷力しかない魔力の球を俺に向かって飛ばしてくるのだった。