いがみ合う二人の話
「また田舎臭い貴様の顔を見ることになろうとは思ってなかったわい!」
マキラバの研究室内で白竜が吠えた。
「そんなにカリカリしてたらストレスで肌が悪くなっちゃうねぇ、エリカリカリお婆ちゃーん」
対して、白竜に臆することなく師匠はあっかんべー、と舌を出した。白竜の整った顔に青筋が増えた。からかってくる子供にいい大人が真っ向からぶつかるとこうなるのだろう。どちらが子供でどちらが大人かは断定しない。
基本、争いは同レベルでしか起こらないのだから――。
「あいにく不老に近い身体になってからまったく劣らぬハリのままじゃ。肉体を失ったやつには分からぬことか!」
俺はというと、口喧嘩をし続ける白竜と師匠を見て見ぬふりをして、薬の調合をしていた。薬はもちろん、魔臓で魔素を分解するときに飲む薬である。
試験管立てに試験管を五本並べる。魔臓を使うときに飲む魔素抵抗薬が入ったビーカーを右手に持ち、左手で試験管立てを固定して、試験管ヘ流し込んでいく。
植物の甘ったるさと青い葉の臭いが口と鼻を覆った布ごしに俺を攻撃してくる。
「なんであの二人、仲が悪いんだよ。またって言ってるし、初対面じゃないんだよな」
魔素抵抗薬を作るのに一時間はかかる。その間、ずっと口が止まらない二人の肺と喉。そして、嗅覚はどうなっているのだろうかと考えたが、竜と魔法を人間の尺度で考えるのが間違っていたと気付いたのは薬を作っている途中である。
「知らないよ」
写本が俺の顔の横に浮かびながらバッサリと切り捨てた。
「でも予想はできる」
「ぜひとも発表していただきたいな」
試験管の半分前後まで薬を入れた俺はすぐにコルクで蓋をした。あと四回、同じ作業をしなくてはならない。
「痴情のもつれ、だね」
「はぁ?」
手元が狂って、試験管立てを倒しそうになる。
「エリーって自分で気づいてないけど、オルガのこと好いてたんだよねー。誰が見ても絶対アレ惚れてるよって分かるぐらいに。竜になって、僕が消えてからも変わらず好いていたんだとしたら、ある意味、横から出てきた女に好きな男を盗られたワケだよ」
盗られた、と聞いて俺は眉をひそめた。
蒼竜のいた遺跡に師匠と黒竜であるオルガは共に訪れていた。そして、初めて白竜に会ったときに聞いたオルガへの叱責。
頭の中で妙な糸が繋がってしまった。
「エリーが嫌う理由としては十分じゃない? で、黒竜くんのお師匠様に嫉妬を知らず知らずぶつけたなら、そりゃ関係が悪くなることがあっても良くなることはないんじゃないか、というのが僕の見解だね」
思っていたより長い発表の間にすべて試験管に薬を入れ終えた俺はマスク代わりにしていた布を首まで下ろした。
「オルガと師匠の息子とも言える俺はどういう顔をしたらいいんだよ。この後、魔臓の使い方を白竜に教えてもらうんだぞ」
俺の立場からすると無関係でありたいと思うのが普通だろう。しかし白竜からすると無関係だと分かっていても無視できないのではなかろうか。
「別段、気にしなくてもいいと思うけど。だって黒竜くんに非があるわけではないし」
「やつあたりとかないよな……」
「ないといいねー」
他人事と言わんばかりに写本は軽い口調だった。
「薬出来たから魔臓の使い方教えてくれ」
「あー、うむ。何の薬か知らぬが準備できたのなら広いところに行こう」
不機嫌丸出しだった白竜の表情がすっと大人しい表情になった。感情の制御が上手いらしい。師匠はというと、白竜が背を向けたタイミングで師匠は頬を両手で潰して変顔をしていた。
突然、師匠の顔が横に歪んだ。何かが師匠の顔を通り過ぎたようだ。
「あぁ、忘れていたよ。翼が透明のままだったな。当たったのなら失敬」
白竜は黒い笑みを浮かべていた。
――わざとだ。絶対わざとだ。家にいたときより翼が長くなるはずねぇ。
「気にしてないから大丈夫さ。知ってるかい? 身体の感覚がズレてくるのは運動不足か老化が原因なんだってねぇ。どっちなんだろうねぇ?」
ははははは、と恐ろしい声の共鳴をし始める人外たち。
俺はもう好きにしてくれ、と部屋を出た。
「おいてゆくでないわ」
白竜が遅れて部屋から出てきた。不服そうな顔をしているが俺には関係のないことだった。
「夫婦喧嘩は犬も食わんらしいが、俺はそもそも喧嘩に巻き込まれたくない」
俺が階段を下りていくと、靴に木が当たってコツコツと音を鳴らす。白竜は素足のため、ペタペタと床に張り付く音をさせた。
マキラバの中は上着を着ない程度には温かいとはいえ、外気が入ってくる。外はもちろん雪景色。竜である白竜にとっては大した問題ではないらしい。
「親の喧嘩に首を突っ込もうという者の台詞ではないな」
「黒竜と紅い竜のことか。突っ込まなくていいんだったら俺は大人しく森の中で隠居生活でもしてるさ。でも俺が戦うのは守るべきものが出来てしまったからだ。戦わなくていいなら戦わない方がいいんだよ。マジで」
戦いの先にあるであろう理想の景色。竜を相手にするのだ。そこに辿り着くには屍が数え切れないほど転がることになるだろう。俺はきっとすべてを背負っていく。自分の求める道の障害になるものは薙ぎ払う。それでも、背負うものは少ない方がいいに決まっている。
「戦わないという選択肢はない。どれだけキミが望んでも相手が望まぬのだ。だから、すまぬ。戦ってくれ」
「謝るぐらいなら俺までお鉢を回してくるなよ」
嫌味満点の返しを後ろにいる白竜を見て言ってやると、白竜は何故か穏やかに、でも寂しそうに笑っていた。女性に何らかの感情を抱くことがない俺ですら見惚れそうになる。
俺はすぐに前を向いて、階段を早足で降りた。
「まったくだ。あぁ、本当に不甲斐ないばかりだよ。だってキミに命を削ってくれと言っているのと同義なのだから」
「やっぱり、竜と人間と精霊の混ざりモノとして生まれた俺は竜の力を使い続けたらまずい、よな……」
「肉体の変質は免れぬだろう。理性が残れば御の字だ」
徐々に広がっている左肩の黒竜の鱗がすべてを物語っている。
「悪いけど、周りの連中には言わないでくれないか。頼む」
「心労をかけるのが嫌か?」
「大雑把に言えばそうなんだろうな」
周囲にいる誰かに心配されることなんてまだいい。心配している皆を見た俺が人間でありたいからと戦えなくなることが何よりも怖かった。メリアやラッドは俺の身体のことを知れば、戦わなくてもいいと言いそうなものだ。
――優しくされたら俺はきっと『戦わない』ではなく、『戦えない』になる。
「覚悟ってのがまだできてないんだよ。やらなきゃいけないことははっきりしてるのにな。だから覚悟できるその時まで俺は今の身体の事、誰にも言うつもりないんだ」
俺が情けないことを俯いて言うと、白竜が俺の右手首を不意に掴んだ。俺の足は止められ、無理やり振り向かされた先にあったのは、険しい顔で睨みつけてくる白竜の顔だった。
「言うべき立場にないのはわかっておるが言っておく。死を受け入れるな。受け入れた先では不幸しかない。己のみならず周囲にも影響する。だから、受け入れてくれるなよ」
「あ、あぁ……」
あまりの気迫に俺は曖昧な返事をした。
俺の手首を離した白竜はペタペタと素足で階段を先に降りきった。降りきった先にあるのは幹をくり抜いた大きな部屋。ここで魔臓の使い方を学ぶ。
足が止まったままの俺は白竜の言葉を反芻させた。
――長い間生きてるだけあって、似たようなことでもあったのか?
「早くしろ。薬の調合とやらで時間が削られてしまったのだ。今回は訓練初回だ。どのようにやれば効率的になるか見通しも立てねばな」
白竜の表情と言葉に濁りはない。あまりの感情操作の早さに俺は退いてしまう。
「へいへい。わかりましたよ」
俺は鞄から試験管を一本取り出した。作りたての魔素抵抗薬の入った試験管の蓋を指で弾く。さっきまで抱え込んでいた思考と一緒に俺は薬を飲み干した。
くだらない感情も余計な思考も薬が苦いことも本当の戦闘では気にしていられないのだから――。
生存報告ついでに更新です。
まだまだ忙しいです。このままいけばGW前後まで忙しいかと……。
スロー更新、続きます。




