紅い竜の魔力の話
「ほらほらほーら! 面倒な質問じゃないか」
テーブルの上で倒れていた写本は皮の表紙の左角を使って立ち上がった。右の角がテーブルに触れれば、左の角を少し浮かせる。それを器用に左右の角が逆でもやってみせた。
白竜がテーブルを両手で叩きつけた。写本はよろめいて、そのままテーブルの上で横になった。
「サルミアートも戦ったのなら同じ疑問を持ったはずだ。今のグレンは弱すぎる」
「まぁ、この身体の僕でもいい勝負できたし言いたいことはわかるけどさ……」
写本に詰め寄る白竜。今にも空を飛んで逃げ出しそうな写本を俺は写本を持ち上げた。
「待て待て。俺たちも話に入れるなら、どういうことか説明してくれ。話の内容がさっぱりわからん」
「あー、そうか。黒竜くんたちはエリーと雑賀がグレンを抑えてくれたことを知らないのか」
俺が白竜の顔を見ると、眉間に右手の人差し指を当てて固まっていた。
「何も話していないのか?」
「だって、僕は力の使い過ぎで休眠状態になっちゃったからね。意識はあるんだけど動けないから黒竜くんの内側で寝ているだけだし」
写本に顔はないが、この時ばかりは怒られまいと言い訳をする子供の顔がうっすらと見えた。
「最近は俺が薬作ってる横で師匠と駄弁ってたじゃないか。そのときに教えてくれてもよかっただろうが」
「うーん。ぶっちゃけ言わなくてもいいと思ってたり思ってなかったり?」
白竜の細くて白い腕が伸び、俺の手から写本を奪い去った。今の白竜は人型なのに竜よりも怖い形相をしていた。恐怖度で言えば、俺が事後報告で研究費用を申請したときのネルシアの婆さんといい勝負だろう。
「昔っから大切なことを言いなさいと口をすっぱくさせていったというのに! 報連相ができぬのは時間だけでなく身体が変わっても変わらぬのか!」
写本の革表紙に白竜の指が食い込んだ。加える力が左右であれば簡単に革表紙ごと破かれそうである。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 正直、黒竜くんの魔臓の特訓と研究が面白すぎて忘れてましたぁっ!!」
謝罪とともに写本は空中を飛んで、白竜から隠れるように俺の背中に張り付いた。
「グレンの件だけど、弱くなったんじゃなくて本気を出せなかったんだと思うよ」
「その根拠は?」
「グレンの魔力がね、薄かったんだ。魔臓に蓄えてる魔力が少なかったのか、何か別の原因で魔力を温存していたのかまではわからないけどね」
魔法の原理は竜も人も変わらない。魔力もそうだ。密度の高い魔力であればあるほど強い魔法が使える。反面、扱いが難しい。――俺が魔臓で生み出した魔力のように。
「なるほど。蒼竜も似た意見だった。魔力の感知に関して、我は疎いからな。直に触らねばわからぬ。二人の意見が近いならそうなのだろうよ」
「蒼竜は何て言ってたんだ」
俺が尋ねると、白竜は自身の細い腰を指差した。
「戦いの後、魔臓からあまり魔力が感じられなかったと言っていたな」
「なんだそれ。さっぱりわからないんだが。推論をしようにも情報がなさすぎる。お手上げだ」
「そうだ。そうなのだ。分かってくれるか、黒竜の子よ!」
白竜が俺の手を取って振り回してくる。
――そういや、この人も何かの研究者だったんだよな。わからないのが気持ち悪いってのはいつの時代も同じか。
俺の腕がもげるのでは、と思っているところに俺と白竜の手に弱々しいチョップが飛んできた。攻撃の主はメリアである。俺と白竜の手を引き離そうと、奇声をあげながら右手をノコギリで木を切るように動かすが、白竜の手が俺から離れることはなかった。
白竜が悪い笑みをした後、俺の手を離した。
「これは失敬。いや、悪気はなかった」
メリアは何故か俺を睨んできた。俺は悪くないと意思表示のため、手を上に挙げた。
むくれていたメリアは頬に貯まっていた空気を吐き出すと、目つきが変わった。
「さっきの話を聞いてて思ったんだけど、紅い竜のグレンさん? は魔臓の酷使し続けたせいで機能が低下してるんじゃないかな。本来、魔臓って魔素っていう毒を分解して無害なものにしていくだけの臓器なんだよ」
「魔力を溜め込むものじゃないのか。魔獣と戦うときは身体のどこかに魔力が集まっていくぞ」
「それはあくまで戦闘時のみに使われる一時的な機能なんだよ。だけどグレンさんはイヴァンのお父さんである黒い竜とずっと戦っていたんでしょ? だったら普通、臓器が機能不全に陥るよ。疲れてるのに休むところが見つからなくて何十年も羽ばたいてる竜みたいな感じ」
竜の研究者であるメリアの発言を俺なりに解釈していく。
「あー、アレか? 酒を休むことなく飲んで飲んで飲みまくって、肝臓ぶっ壊れるのと一緒ってことか」
「その通りなのだよ、イヴァンくん!」
むふー、と鼻息を鳴らしながらメリアはジャンプして俺の頭を撫でようとしてきた。
俺は無言で首だけを動かして避ける。
「「それだ!」」
写本と白竜が同時に声を出した。
「魔力を喰らう能力が仇になっていたのか!」
「だとしたら黒竜のオルガも……戦っていないのではなく戦えない状況になっている?」
「かもしれぬな。だとすれば此方を頼ればいいのだが、そんな様子もない。はて、あの馬鹿はどこで何をやっているのやら……」
勝手に一冊と一人は納得していた。しかし、俺は黒竜に関しては納得していなかった。
紅い竜の性質が魔力を喰うことであれば、黒竜の性質は調律だ。調律とは魔素や魔力を操る魔導の完全上位互換。魔臓がなければ調律はできないと聞いているが、魔導レベルのことであれば魔臓関係なしに行使できる。
ソースは俺だ。俺は魔臓なしで魔導を行使している。つまり魔臓に負担がかかるはずがないのだ。
――納得出来ねぇ。
「何考えてるサ」
オリフィスが長い銀髪をタオルで拭きながら俺の横に立つ。オリフィスを見ているだけで顔に不満が出そうになった俺は理性で感情と表情を抑え込む。
「黒竜の奴がどうして紅い竜との戦いを止めたのかだよ」
「アッサリ答えるとは思わなかったサ」
「ここまできて敵対してるのは馬鹿のやることだ、と自分に言い聞かせた結果だ」
「賢く生きてるねェ」
挑発するような口調をしていたが、オリフィスは目を閉じて思案しているようだった。
「やめざるおえない理由があったってことじゃないンかねェ」
「紅い竜の魔力以上にヒントがない。推測するだけ時間の無駄かもな」
俺はまだ雪かきをしているであろうラッドの様子を見ようと、玄関に向かう。終わっていないのなら手伝ってやらないと、ラッドは今日、風呂なしになってしまう。
日が沈むと、ちゃんとした建築士に頼んだわけでもない風呂場はどれだけ湯を作ってもすぐに冷めてしまうのだ。俺かオリフィスであれば魔法で温め直しながら入れるが、ラッドはできない。
寒い中、作業して風呂なしは辛いはずだ。
「会いたいと思うサ?」
オリフィスが何を考えていたのかと思えば、しょうもないことだった。
「どうだろうな。顔も知らない相手だ。見たところで親だの子だのと考えることはないだろうな」
そもそも、俺の生まれ方が特殊だ。親という言葉が合っているのかすらわからない。師匠ですら親と言っていいのか怪しいのだ。育ての親であるのはまちがいないのだが、今回の場合は母親としてだ。
――正直、困る。
「まぁ、そうか。気にしないでほしいサ」
オリフィスの顔がタオルで見えなかったが、暗い表情をしていたように思えた。俺の答えはオリフィスの求める答え出なかったのか、それとも別の何かがあったのか。
俺は首を一回捻った後、ラッドの仕事ぶりを確認しようと扉を動かそうとする。が、開かない。雪が扉の前で固まっているのかもしれない。
「おい、ラッド! 扉の前に雪を――」
俺は言葉を途中で切った。木製の扉が温かいのだ。しかも、ラッドの顔がちょうどありそうな高さだけが異様に温かい。
雪を屋根から下ろしているにしてはさっきから静かだった。
「仕事せず盗み聴きしてたなら風呂抜きで飯抜きにするぞ」
外で慌ただしく雪を踏む音とスコップを雪から抜く音が聴こえた。
俺は風呂に入った後ではあったが、自室にある上着を取りに行く。
「さすがに今からじゃ一人では間に合わないっつーの」
雪下ろしの加勢に俺は渋々向かうのだった。
生きてます。かろうじて。
リアルのほうが落ち着いたらペース戻すから待ってけろ