身勝手は一人
◆ ◆ ◆
マキラバの幹の穴の前で風が巻き上がる。
風の中央には三つ目の巨大な梟――オウラス・ゲイル。大きな翼をはばたかせ、幹の中へ着陸するべく、翼を使って減速させていた。
オウラスの背中で、風に巻き上げられる銀色の長い髪。まだ完全に停止していないというのに銀髪の青年――オリフィスが民家の屋根と同じぐらいの高さから飛び降りた。
着陸したオウラスが三つの目を閉じて、顔をすぼめた。
「この有様じゃ……」
風が止み、空気の流れが変わる。香りの強い花びらを発酵させたような異様な臭いがオリフィスの鼻に入ってくる。
ずっと嗅いでいると酔ってしまいそうになる異臭に鳥肌が立ち、すぐさま鼻を自分で摘まんだ。
「なんサ、この臭いはっ!?」
鼻を摘まんだまま話すと、口の中から入った空気で嗅覚が刺激された。臭いに耐えきれずオリフィスは服の首元を伸ばして口と鼻を守る。
「酷い臭いじゃろう?」
オウラスは嫌そうな顔をして、亀のように首を引っ込ませていた。
「おやおや、ようやく迎えかい?」
臭いがしている暗い場所から空を飛ぶ写本が現れた。
「四日経っても戻ってこないから様子を見に来ただけサ」
魔臓の使い方を覚えるとイヴァンと別れてからずっと音沙汰がなかったのだ。おかげで家にいるメリアは大荒れ。ラッドとオリフィスで魔獣や魔物がいる森に飛び出そうとするのを抑え込んでいた。
一緒に修行をしていたオリフィスは三日程度なら心配しなかった。しかし、四日目ともなると怪しくなる。
マキラバに食料があるとは思えなかったのだ。最悪、森と山の恵みであるキノコや魚を食べていればいい。熱中したイヴァンが飲まず食わずのまま行動する様を兄弟子として何度も見ている。
目を離したまま四日、口にしたことはないイヴァンの放置限界だった。
「まぁ……案の定ってところサ」
五日目の早朝、誰にも見つからずにオウラスに頼み、マキラバに来てみればイヴァンはうつ伏せで倒れていた。
息をしているか確認のためにイヴァンの顔の近くに手のひらを置くと、かすかな息遣いを感じ取れる。
呆れながら周りを確認すると、イヴァン愛用の鞄が開けっ放し。見慣れぬ緑の液体の入った試験管とフラスコ。薬草をすりつぶしたと思われる器と棒が転がっている。
イヴァンの身体に汚れた紙が下敷きになっている。読める文字には見慣れない名と比率と思われる数字と記号が書かれている。
「何やってんだか……。オレの鼻がひん曲がる前に起きるサ」
オリフィスがイヴァンの身体を揺すろうと手を肩に置いたところで写本が視界を覆いつくした。
「ようやく寝たところなんだ。寝かせてあげて」
肩から手を放すオリフィス。もう一度周囲を見渡した。そして、異臭。原因はどう見てもイヴァンだ。
「この臭いと関係があるんサ?」
「魔素に対して免疫上げたらもっと魔臓が使いやすくなるんじゃないかって考えたらしく、様々な薬を作り始めてね。興奮してたのか薬の副作用か一睡もしてなかったんだ」
「オレたちと別れてから? ずっと?」
人間が首を縦に振るように写本は表紙を斜めに傾けた。
「バカもいいところサ」
「体力回復のために寝るように勧めたんだけど、手持ちの薬草が無くなるまで調合し続けたんだ」
「根性あっても命失っちゃ意味ないサ」
試験管とフラスコに入っていた緑色の液体をマキラバの幹の穴から見えない地上に捨てる。そして、無造作に散らばっている調剤道具をイヴァンの鞄の中に詰めていく。
「連れて帰ってくれるのかい?」
「家に戻れば毛布あるサ。ここで放置してたら魔臓の使い方を覚える前に身体を壊しかねないサ」
オリフィスは自分の腰に付ける。腰に付ける鞄にしては大きく、重量がある。中身が少なくなった後だというのだから普段からイヴァンは重りを腰に付けている状態だ。
今度はイヴァンの身体を両手ですくい上げ、上半身を首の後ろに回す。さながら死んで動かなくなった獣を抱える狩人だ。
「ったく、昔より重いしデカいし運びづらいったらありゃしないサ」
異臭の染みついたイヴァンを抱えて、オリフィスはオウラスの背中に飛び乗った。
「家の近くまで飛んで欲しいサ」
「フォッフォッフォ、お安い御用だ」
オウラス・ゲイルが畳んでいた翼を出して、マキラバの幹から落ちる。下から受ける風を受けて、翼を動かさず滑空する。
イヴァンが地上へ落ちないようにオリフィスはイヴァンの腰に回した手と腕に力を入れる。
風に流されて、身体にまとわりついていた薬の臭いが多少和らぐ。
「一つ聞いてもいいかい?」
写本はイヴァンの身体の中に戻らず、オリフィスの真横を飛ぶ。
「どうしてキミは黒竜くんを置いていったんだい? それも嘘をついてまで」
オリフィスは鼻で笑った。
「古からいる精霊サマでもわからないことはあるもんなんだネェ」
「一人で紅い竜から逃げるためならわかる。オリフィス、キミは違う。黒竜くんに真実を教えず一人で戦うために置いていった。当時はキミだって子供だったはずだ。誰かを守るために戦う覚悟なんて、子供が持つ覚悟には、重すぎる」
笑っていたオリフィスの口が逆向きに曲がった。
「オレは本当の親に売られた。借金を返す金に困ったからサ。で、売られたところを先生に買われた。奴隷として、何をやらされるかわからなかったサ。でも、先生は奴隷として扱わなかった」
――弟子として、魔法を覚えろ。強くなれ。それ以外は自由だ。
買われた直後にエルシー=ルーカスに言われた最初で最後の命令だ。自由とは言われたが実際は新しい身体となるイヴァンがダメだった時用のスペアだ。
良いのか悪いのか今でも答えは出ない。
「蓋を開けてみりゃ奴隷より酷いものだったかもしれないサ。でも、優しい先生を忘れられない。一緒に育ったヴァンのことも。血は繋がってないけど本当の家族だと思ってるサ」
適当に運んでも目を覚まさないイヴァンに呆れて、オリフィスは口元が緩んだ。
「なのに真実知ってオレだけが逃げたら、オレを売った親と同類になっちまう。そんなのオレは真っ平ごめんサ」
「そうか。教えてくれてありがとう。あと、聞いてごめんよ」
「いいサ。でもヴァンには言うなよ。コイツはオレが奴隷として売られていたことなんて知らないんだ。戦争で故郷を失ったオレを先生が拾った、ってことにしてるからサ」
「本には口なんてない。口が固いなんて言葉すら似合わないと思わないかい?」
「違いないサ」
くくく、と一人と一冊は同じ笑いをした。
「これからはどうするの? まだ一人で戦うの?」
サルミアートの問いにオリフィスは苦い顔をして、上を見ていた。
「弟を勝手に一人にして、心を傷付けた兄が『紅い竜と戦うなら一緒に戦わせてくれ』って?」
また表紙を傾けて肯定するサルミアート。
オリフィスは小さく口を動かした。
「そんな都合の良い言葉、言っちゃいけないサ。だからオレは勝手に心配して、勝手に助ける。最後まで勝手にやらせてもらうサ」
「なるほど。これは兄弟……いや家族かな」
「何がサ?」
「不器用さ、だね」
「一番似たくないところサ、それ」
下を向いて呻くオリフィスをサルミアートはケラケラとおかしく笑うのだった。
現在、コロナになっているため更新が不定期です。
あと、いったんここで章を区切ります。いつもみたいに次の章のあらすじ書こうと思ったんですが体力ないです。すみません。
完治したらまた更新再開します。
→次の章のあらすじ置いておきます。あと、症状が軽くなったので、来週からゆっくり更新再開したいと思います(2022/10/09)
修行で無茶をしたことをきっかけに師匠のエルシーと写本のサルミアートの監視付きで修行をするイヴァン。魔素に対する免疫を強化する薬を使うことで、わずかな時間だけ魔臓による魔素分解ができるようになっていた。メリアとラッドもウィン・ホートの森で暮らすことに慣れてきた頃、トリトンから手紙が届く。イヴァン達がグリムワンドを逃げ出してから起こった様々な出来事が綴られていた。ラナティスとガルパ・ラーデに行われる非なき追及。グリムワンド内の不審な動き。お尋ね者となってしまったイヴァン達は身動きが取れず歯がゆい思いをする。どうしようもない感情を持ったまま時間だけが過ぎていく。そこに来るはずのない存在が姿を現した。
――『過去と未来と新たな誓い』




