師匠が一人?
「これで最後だ」
木の年輪が浮かぶ床に、俺は二十八冊の分厚い日記を横並びにした。
「日記同士が繋がってるとして、何が起こるんサ」
「わからん。だが師匠が無駄なことをするとも思えないんだ」
すべて日記に取り付けられた小さな魔石。つながる魔力の経路。
俺は近いものを知っている。
「おい、写本。俺の中で見ているんだろう。意見が聞きたい」
俺の身体の中で動く気配があった。
「意見だって? もう見当はついてるでしょ?」
写本は姿を見せず、声だけだった。
確かに写本の言う通り見当はついている。ただ俺の思い描いている内容だとすると絶対に足りないものがあった。
「お前と同じように意識や記憶を本に移すものだと考えている。考えているが、記録石がない」
写本は二冊の本と一つの記録石を使って『アルタミア=サルミアート』の人格と記憶を保っている。それも自我を持って。
目の前の日記は二十八冊。記録石なし。
現代では記録石は魔法陣を刻み込んだ魔石ということ以外はまともに解明されていない。製法・用途ともに不明。
解析用の魔法陣を使えば、記録石に刻まれた魔法陣から文字や絵や音の記録を取り出すことができる。できるからといって、それが何かの役に立つかと聞かれれば俺は役に立っているところは見たことがない。
発掘されれば即博物館行きの遺物。それが記録石だ。
「記録石の代わりになりうるものが存在するんだとしたら、俺の予想通りなんだが写本はどう思う」
「どうもこうも黒竜くんの予想であってると思うよ? でもね、いじくりまくりでどうなってるか僕もわかんないよ」
「何をいじってるんだ」
「僕のやってる記憶と知識の転写の魔法を、だよ。ベースは同じだけど記録石なしでやろうとすると複雑になりすぎるし、間違った記憶の繋がり方しちゃったら、人格崩壊しかねないんだよね」
さらりと写本が恐ろしいことを口にした。
元々、精神や記憶に干渉する魔法は危険なものだ。俺も前に記憶を覗く魔法を使って意識を飲まれかけた。一歩間違えば俺の自我が死んでいたかもしれない。
「ヴァン、誰と喋ってるんサ?」
写本の声が聴こえず、置いてけぼりをくらっているオリフィスが俺の肩を叩いた。
「写本だよ。俺の中にいて会話してる。で、この日記が写本が自我を持ったときと状況似てるから色々と意見を聞いてるところだ」
「で、どうなんサ?」
「パズルの完成した図は見えてるのに、でかいピースが一個欠けてる感じだな」
魔力の経路の一番最後にあたる日記を手にした。
最初のページを開けると、師匠の字でこう書いてあった。
「『私は傲慢だ。己のために己の以外を犠牲にしようとした。私は幸せを知ってしまったから、もう進めない。だから悔いのないようにできることをしていくことにする。もう残された時間も少ない。もし、くだらないこの世界に神がいるならば願おう。また再会する未来を願おう』か。誰に会いたかったんだろうな」
他の日記も、並べるときに数ページずつ読んだ。その中には俺の身体を造るにあたって、調べていたことがまとめられていたページがあった。
オリフィスが俺のことを造られた存在だと言っていたのは事実なのだろう。
「きっと黒竜サ。日記の中に黒竜と共に行動をした記録もあったサ。ヴァンの利用方法が書かれたところも……」
「師匠の研究資料を持ち出して、燃やしたとか嘘ついてたのは山ほどある日記が原因か」
「先生は見ずに燃やせとオレに遺言を残して死んだサ。でも、オレは約束を破って、見てしまったサ。だから……」
師匠が死んだとき、オリフィスはまだ十歳ぐらい。子供が受け止めきれる内容ではないだろう。
「ガキが見たら相当ショックだよな」
オリフィスは何度も足裏で床を蹴っていた。
「なんで平然としていられるサ! 先生が非人道的なことをするなんてありえないって思ったサ! 弟分の身体を乗っ取る計画を企てるような人じゃないってサ! だからオレなりに調べたサ。どんなことをしても先生の行いを、弟分が死ぬために生まれてきた存在じゃないって否定するためにサ!」
錯乱して叫ぶオリフィスを俺はただ見つめていた。ひどく冷たい目をしていると思う。
どんなことをしても、というオリフィスに軽蔑していたのか俺は他人事のように感じていたのかはわからない。はっきりとわかるのは、心は動かなかったことだ。
「否定したかったのに、どんどん証拠がそろっていくのサ……。先生の日記に書かれていることが全部本当だって証明されていくのが怖くなったサ。ヴァンは怖くないのか? 自分の存在が。先生のしていたことが」
「師匠を美化しすぎなんだよ。魔法に関してはすごいし尊敬してる。だがな、生活能力ゼロ、社交性ゼロ。他人様に迷惑かけても自分が生きてればそれでいいって人だぞ。そんな人が自分のためだけに行動したら、そりゃ横暴で非人道的になるだろうが」
「オレはヴァンみたいにはなれないサ」
「俺は生まれも身体も『普通』とは違うんでな」
オリフィスが一瞬、俺のことを鋭い視線で刺した。
嫌味に聞こえたのだったら不正解だ。自分への皮肉なのだから。
「あぁ、師匠も皮肉ってたのか」
なんとなく、師匠の言いたいことがわかった気がした。
「――そうだねェ。皮肉も皮肉さ。だって、この世界は人と精霊の都合でぐちゃぐちゃのぼっこぼこなんだから。まァ、神なんているはずないよねェ」
師匠の声が頭に響いてきたような気がした。
「師匠の声で幻聴が聞こえるんだが」
「いや、オレも聞こえたサ」
二人で顔を見合わせて、周囲に師匠の声を録音した魔導具や魔法がないか探しはじめる。
本の入っていた木箱にも、部屋の中にもない。
「――あるはずがないねェ。だって今、私は完成したんだからさ」
日記についた魔石が一斉に輝き始める。
それぞれの魔石から放たれた白い輝きは線となり、糸をよるように、ねじれながら一つになる。
日記の上で一つになった光から手が生え、足が生え、顔が出てきた。
丸眼鏡の奥に猫のような目。癖の強い髪に細い腕と脚。洒落っ気のない装飾も柄もないスカートとブラウス。
色はすべて白色だが、形はどれも見覚えしかなかった。
「久しぶりだねェ。バカ弟子一号、二号」
白くて半透明の女が口角を歪め、悪魔の笑みをつくった。
数年ぶりに聞いた呼び方と姿に俺は息をのむ。
オリフィスは女を指さして、何度も首を縦に振り、銀髪を激しく揺らす。
「おやおや、挨拶もなしかねェ」
丸眼鏡をクイっとあげた女は椅子もない空中で座る動作をして、足を組み替えた。
「おいオリフィス、幻を見せる魔法を使うんじゃない」
「バカいうんじゃないサ。さっさと魔法を解除するサ」
魔法を使った記憶もなければ気配もなかった。
「バカ二人組は相変わらずバカだったのかねェ」
「師匠(先生)!!!??」
次回 5/1更新予定→私用で更新できないので、5/22に更新します