弟子が二人
翌朝、俺とオリフィスは二人で森の深部へと入っていく。
人が入ることのないウィンホートの森の奥の奥。ウィンホートの中でも最強と呼ばれる魔獣が住処にしている。
禁域ウィン・ホートの森の空の王。名をオウラスゲイル。
師匠の盟友であり、俺たちをウィン・ホートの森の中で安全に暮らせるようにしてくれた魔獣だ。
「着いたサ」
「ここも懐かしいな」
城の大黒柱よりも遥かに大きな木が一本、太い根をいくつも張って、たたずんでいた。年月を感じさせる樹皮と天辺の見えない全身。他にも大木はあるが、存在感が全然違う。
神聖な空気と言えばいいのだろうか。心が洗われるような清らかなオーラを大樹は放ち続けている。
「オウラス! ヴァンが帰ってきたサ!」
静かだった木々がざわめき始める。
森に流れる風が少しずつ、少しずつ強くなっていく。強風へと変わり果てた風に髪と服を乱される中、大樹の上から白い塊が降ってくる。
強風を巻き起こしながら白い塊は左右についた大きな翼を音もなく動かし、着地した。翼が白い身体に納まると、風がぴたりとやむ。
見た目はフクロウ。しかし、大きさが何百倍もあり、額に三つ目の目ある。
大樹の幹がオウラスゲイルの身体で見えなくなった。
「久しいな。もう一人のエルシーの弟子。相変わらず小さいままだな」
「オウラスがデカすぎるだけだろうが」
「ふぉっふぉっふぉ。その返しが聞きたかった。ふぉっふぉっふぉ」
巨大な体を揺らして笑うオウラスゲイル。
俺は思わず肩をすくめた。
「弟子が二人揃っておるということは預かっているエルシーの遺品が目当てか」
オウラスゲイルが片翼を広げて地面につける。
「乗れ。預かり物があるところまで飛んでやるわい」
オウラスゲイルとは知り合いだが、今まで一緒に空を飛んだことはない。
「踏んで大丈夫なのか?」
俺がオウラスゲイルの心配をしていると、オリフィスは何も気にせず翼を踏んでオウラスゲイルの背中に乗った。
「平気サ。何度もオレは運んでもらってるサ」
「俺は初めてなんだよ」
オウラスゲイルの翼を踏むと、羽が柔らかくて、ほんの少しだけ足が沈む。沈んだ先に芯のような硬い物があり、そこを踏んでオウラスゲイルの背中まで登る。
どこを掴んでも柔らかくて温かいオウラスゲイルの身体は寝心地がよさそうだった。
「では行くぞ」
翼で空気を叩き、オウラスゲイルは森の上空へと飛ぶ。
足元にウィン・ホートの森が広がっている。見渡す限り緑しかない。その中でもやはり異彩を放つのはオウラスが住処とする大樹だ。
――まだ天辺が見えやしないぞ、この木。
太い幹は見掛け倒しではないらしく、上空の雲に届くぐらいまで伸びていた。
オウラスゲイルが上昇をやめて旋回し、滑空する。
大樹に大きな穴が開いているところが見えた。
「あそこか」
「そうサ。あの穴の中にオレが盗んだ物もすべて入れているサ」
「グリムワンドで盗んだ記録石もか」
「もちろんサ」
紅い竜に見つかれば終わりの記録石があるらしいが、魔力感知にまったく引っ掛からない。
「魔力感知に引っ掛からないんだが」
「ふぉっふぉっふぉ。この大樹はマキラバ。マキラネトと呼ばれる魔力や魔素を遮断する魔草の先祖じゃよ」
俺は背中にある鞄から止血用軟膏を取り出す。
体内に魔素が入ってしまわないように、マキラネトの種が潰されて入っている。
俺は本来の使用法以外にも、魔導の炸裂を使うとき、わざと魔力の流れを滞留させるために利用している。
「マキラバ、ねぇ……」
オウラスゲイルがマキラバに空いた穴の中に着陸する。着陸した場所は幹の中をくりぬいたところらしく、木の香りでいっぱいだった。
マキラバの中には魔素が溜まっている。人が死ぬような量ではない。ただ明らかに感知できていなければおかしな量だ。
「マキラネトの種でもそこそこの遮断性能があるってのに、このマキラバっていうのはさらに上をいく性能をもってやがるな」
「はじめてオレも来た時には驚いたサ。魔素があるのに外からは何にもわからないんだからサ」
オリフィスがオウラスゲイルから飛び降りた。俺も真似て飛び降りる。
足が地に着くとき、軽い木材の音をさせた。
足場がでこぼこしている。年輪の色濃くなった部分がふくらんで、色の薄い部分がへこんでいるようだ。
「用が終わるまで眠っている。終わったら起こしておくれ」
オウラスゲイルはそういうと、三つある目をすべて閉じていびきをかき始めた。立ったまま白い身体を上下に揺らす様は枝に止まったフクロウが休んでいる様そのものだった。
「オウラスもお爺ちゃんだから眠くなるんかネ」
「何百年も生きてるらしいからな」
オリフィスの背中を追って、マキラバの中を歩く。
途中、下り階段になっているところがあった。それも人間サイズ。幹がくりぬかれているところまでは普通の木でも見ることがあるが、人間用の階段が自然にできるとは思えない。
「ここはオリフィスが作ったのか」
「いやいや、先生が作ったらしいサ。もともと研究の類はここでやってたってオウラスが言ってたサ」
「師匠が家を離れて数日いなくなったときもここにいたのかもな」
「かもしれないサ。知っているのはオウラスと先生だけサ」
階段を下っていくと、部屋があった。太陽の光が入らない幹の中でも明るい。
ランプ型の魔導具が設置されていた。
部屋には本が山積みにされている。そして、魔力を発する膨らんだ布。
俺は気になって、布の結び目をほどくと、魔石がゴロゴロと出てきた。中には魔石に魔法陣が刻まれたものもあった。
「記録石……それも資料で見たことのないものも混じってるぞ」
「オレが世界中飛び回って集めたものサ。で、今回のお目当てはこっちサ」
オリフィスが大きな木箱を運んできた。木箱の中には見慣れた表紙の本や資料があふれんばかりに入っている。
「師匠の研究資料……」
「みたいものから見たらいいサ」
俺はオリフィスに言われる前に一冊の本を手に取って、読み始める。
『今日は弟子一号と弟子二号に魔導を初めて教えた。魔法の才能は弟子一号が高いが、魔導の適正は弟子二号に軍配が上がりそうだ。当たり前だ。だって黒竜なのだから。ただ、このまま教えると竜の力を暴走させかねない。先に竜の力を制御させた方がよさそうだ』
俺は一度、目線を本から外してもう一度読み直す。
読んだ内容は研究とは程遠かった。表紙を確認するが無名。変わった点と言えば、魔石が表紙の表と裏に付いていることだ。
意味があるのかないのかまでは判断できない。
「これ、研究資料というか日記じゃないか」
「オレは捨てろと言われたものをすべて箱に詰めただけサ。もっとも、日記があったからオレたちを殺す気だったことも分かったんサ」
オリフィスは木箱の淵に腰を下ろして、あくびをしていた。
日記が邪魔なので、俺は日記だけを箱から取り除いていく。
箱の横で積み重なっていく日記たち。占めて二十八冊。あまりにも多すぎる。箱に残ったのは魔導の研究資料と竜と世界の歴史が分岐した可能性を記したメモ書きに近い紙きれだけだ。
「まともなもの残ってねぇじゃねぇか」
「ぶっちゃけ日記の方が情報があるサ」
「だろうな。何年分の日記だよ」
日記すべてに魔石の付いた革表紙。
俺は魔石が妙に気になった。
「オリフィス、この表紙の魔石で魔素分解してくれないか」
「こんな石ころサイズじゃ、葉巻に火をつけるぐらいの魔力しか出てこないサ」
「師匠が意味なく魔石を使うとは思えないんだよ」
オリフィスはしぶしぶといった様子で日記の一冊を手にした。
魔石は弱々しい光りを放つ。
魔素を分解され、生成された魔力はわずかなもの。オリフィスの言う通り、爪ぐらいの火を起こせれば上出来と言える量だ。
「ホラ、何にも起こらないサ」
オリフィスは気づいていない。
魔力が揺らぎ、一瞬だけ違う日記に魔力経路が繋がった。
俺は魔力経路が繋がった日記を手に持って、空気中に漂う魔力の残りを魔導で引き寄せ、魔石にぶつける。また、別の一冊に繋がった。
二冊の日記の中身を見ると、時系列が前から後へと続いている。
「オリフィス、この日記、何か仕掛けがあるぞ」
「どういうことサ」
「魔導が苦手なお前は分からなかったかもしれないが、さっきから魔力が歪んで、日記同士が繋がってるんだよ」
――師匠はこれを隠したかったのか?
「手伝え。師匠が隠したものを捕まえるぞ」
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