言わない一人
「こいつら、風邪ひくぞ」
オリフィスと俺がキノコと魚、そして魔法弾で撃ち落とした二羽の野鳥を抱えて家に帰ると、ラッドとメリアがテーブルの上に上半身を預けて寝ていた。
「オレやヴァンみたいに身体が強いわけじゃないんだから寝かせてやるサ。奥の部屋に毛布があるサ」
「持ってくるわ」
「ならこっちは料理してくるサ」
オリフィスの料理の腕が昔通りなら、俺よりも大雑把で香辛料が強めの料理しかできない。調理方法は煮るか焼くかの二択。美味しいのだが、レパートリーが少なく、飽きる。
ポトフの作り方を教えたことがあったが、オリフィスは味見をした後物足りないと言って、香草を俺の目を盗んで投入し、グリーンカレーのようになった。
「毒草は入れるなよ」
「もうちょっとは兄のことを信用してくれてもいいサ」
「兄弟子な。あ・に・で・し!」
俺の大きな声にメリアが反応した。
口元を動かし、よだれをたらし始めていた。
「嫁入り前の女がだらしねぇな」
白衣の袖で拭ってやると、メリアはだらしなく笑った。
「そういやサ。マイアット博士のことどう思ってるんサ」
オリフィスは壁一枚向こうにある調理場から声を飛ばしてきた。
「どうとは」
「男女の関係。生物の雄雌としてどうなのサ」
「生物、ねぇ……」
俺は毛布を奥の部屋から二枚持ってきてラッドとメリアに順番に肩からかけた。
空いている椅子に座ってメリアを見つめる。
俺は答えてしまいそうになった口を止めた。
「なんでお前に話さなくちゃならないんだよ。手元が狂ってしまえ」
笑い声が調理場から響いてきた。
「前に戦った時、最後にオレが言った言葉覚えてるサ?」
「師匠の研究のこと忘れて幸せになれーってやつか」
崩れていく岩盤の中、オリフィスは叫んでいた。
今なら少しだけ言葉の意味がわかる。『紅い竜に襲われるから真実に近寄るな』という意味だったのだと。
「もうここまで来たら後戻りする気はないぞ」
「言っても無駄なのはマイアット博士にも言われたサ。オレも重々承知サ。だからこそ、聞きたいんサ。ヴァンのことをよく理解している女性をヴァンがどう思っているか。ちゃんと恋してるのかなーって」
頬杖をついて俺はメリアを見た。長いまつ毛に整った顔立ち。身長は小さめだが、出るところはしっかり出ている。人当たりも良く、明るい。初対面でメリアを嫌いになる人間を俺は見たことがない。
ラナティスの男たちが俺を目の敵にしてくるのは、ある意味当然だった。
俺以外の男が助手をやっていたら、確実に襲われている。
――いや、女でも危険分子がいたわ。ガルパ・ラーデのヴェルデが。
「俺はただの助手だ」
「指名手配されて、ラナティスに戻れなくなった今、その関係に終止符を打たれたとオレは思ってるサ」
オリフィスが痛いところを突いてきて俺は小さく唸った。
メリアと俺の関係はラナティスがあったから成り立っていた。すべてが崩れている状況で俺とメリアの関係を表す適切な言葉が見つからない。
「ヴァンよぉー。気づかないフリはやめるサ。自分の気持ちにも相手の気持ちにもサ。もっと素直になったほうがいいサ」
「お前に何がわかる。俺は半竜半人だ。でもって生まれ方もまっとうじゃない化け物だ。言える言葉なんて持ち合わせてない」
調理場から強い香辛料の香りが漂う。野鳥が今晩のメインディッシュになるはずだ。野鳥の獣臭さをとるために香辛料を使っているらしい。
「伝えるべき言葉や伝えたい言葉は言えるときに言っておくべきサ。死んだら何も言えないサ」
ゴールの見えない紅い竜とグリムワンドからの逃亡劇。命がいくつあっても足りない。
もう死んでしまった師匠も俺たちに何か言いたいことがあったかもしれない。
想いを知らず生きていくこと。想いを言わずに死ぬこと。どちらが罪深いのだろうか。
「俺は、幸せってのがわからない。何がどうしたら幸せなのか。幸せであると俺がどうなるか想定できない。だから言わないし言えない」
「想定って大層ないい方するサ」
「悪いかよ。俺は研究者なんだ」
オリフィスが調理場から出てきた。両手には生野菜が入ったボウル。新鮮なことが色と水のはじき具合でわかる。
「足りなかったら言うサ。地下の暗室に冷やして保管してるサ」
「どっから出てきた野菜だよ」
「近くの村で昨日買ってきたんサ」
「お前も指名手配犯中だろうが。呑気に買い物なんてできる立場じゃないだろうが」
「変装してたに決まってるサ。変装がないと、グリムワンドのど真ん中にある護衛ギルドを拠点に動けないサ」
危機感すら笑い飛ばしてしまいそうなオリフィスに俺は顔を引きつらせた。
「ん……なんかいい匂いがするかなってー」
メリアが目をつむったまま、鼻をひくつかせていた。
「マイアット博士が起きたところだし話は終わりにするサ。もうすぐ魚の香草焼きができるサ」
「鳥じゃなかったのか」
「鳥は羽抜き終わったところサ」
手を振って調理場に戻るオリフィス。
「んぇー、何の話してたの?」
「めんどくさい話だ。気にするな」
「わかったー……」
俺はまた寝そうになるメリアの鼻をつまんだ。
「いちちちち!! 何するのかな!?」
「別にー」
俺はメリアの鼻から手を放す。
メリアは赤くなった鼻を押さえていた。
次に寝ているラッドを起こすべく、ラッドの座っている椅子を軽く蹴った。
ラッドの身体が左右に揺れて、崩れた。
「いってぇ!」
「起きろ。メシの時間だ」
「優しく起こしてほしいもんだぜ……」
「ラッドさんラッドさん。私、鼻とれてたりしないかな?」
「何を言ってるんだぜ?」
俺はまた椅子に座って頬杖をつく。
二人の馬鹿な会話を聞いて鼻で笑った。
――知らない方がよかったこともあるが、知っていいこともあったもんだ。
「イヴァンが笑ってバカにしてる!」
「バカをバカにして何が悪い」