お客が一人
「やっちまった」
目を覚ますと、朝日ではなく夕日だった。
数日ぶりのベッドの感触に安心して寝すぎてしまった。
決して高級なベッドではない。質は確実にユビレトにある宿『竜の巣』が格段に上だ。
「俺も相当疲れてたってことか。しかし、これだと……厳しいな」
厳しい、と言ったのはウィン・ホートに向かうことだ。
俺一人なら日が沈んでも行っただろう。
メリアとラッドがいては話が別だ。
ウィン・ホートで出くわす魔獣や魔物が怖い訳ではなく、道が怖いのだ。
人が近づかない場所へつながる道が整備されるはずがない。昔より荒れていることは確実だ。
暗闇で先の見えない森というのも問題だ。
「今日も泊まった方がいいよな。となるともう一泊できるか確認しに行くか」
下着姿であることを思い出す。
寝る前に洗って窓の近くに干していた一回り大きいサイズの私服と白衣を手に取る。
――なんか、着づらいな。
左肩にある黒竜の鱗が服に引っ掛かっている。
いつも通り服を破かないように気を配って服を着ているのに引っ掛かった。
嫌な予感がする。
俺は上半身裸のまま窓に背を向けた。
鏡の代わりになるはずだ。
首をひねって俺の背中が映った窓を見る。
村の風景に重なって半透明に映った姿に言葉を失った。
――鱗が、大きくなってる。いや、範囲が広くなっている。
大きな鱗一枚だったはずなのに今は三枚。
竜の力を使えば竜になる。
白竜から聞いていた話だ。動揺することではないと思っていた。
「思っていたよりも、結構クるものがあるな」
半竜半人。人外。怪物。
自分の存在を認識していたつもりだった。
上ってはいけない階段を着々と上っていることを実感する。
「メリアとラッドには言えないな」
着替え終わって、一階へ。
階段を降りたところで宿屋の亭主と出会った。
「おや、浮かない顔ですね。何かありましたか?」
鱗のことがまだ顔に出ていたらしい。
「朝から目的地に向かう予定だったんだが寝すぎてしまってどうしたものかと思ってな」
「お連れの方々も随分とお疲れだったようですし、誰もご飯を食べに降りてこないから心配していました」
「誰も、だと」
「はい。昨日の夕食から誰も」
メリアとラッドも俺と同じ状況らしい。
一人でも起きていれば俺を起こしに来ていたはずだ。当然と言えば当然だった。
「悪いがもう一泊させてもらえないか」
「別にかまいませんよ。ここに来る客はほとんどいないので」
眼鏡についた宝石が発言とのちぐはぐさを強調していた。
「ところでお客さん。尋ねるのもアレかもしれませんが、ウチの兄貴と深い知り合いだったりしますか?」
「何度か話はしたことがある。それが何か」
「いやー。昨日、兄貴の話をしたでしょ? あの後、兄貴に確認したら会いたがってるんですよ。お客さんに」
見た目も成長しているとはいえ、俺と会って気が付かれたらまずい。
俺の状況を理解していたら確実に捕まる。
メリアとラッドを叩き起こしに行かないと。
「お悩みのところ申し訳ないんですが、もう来てるんですよ。兄貴が」
沈黙の中、宿屋の亭主が動かした手の先に男がいた。肉の付いた宿屋の亭主とは対照的で風が吹けば倒れそうなほど痩せている。本当に兄弟なのかと疑問に持ってしまう。
疑問以上に、男の姿は少し老けた程度で大きくは変わっていなかったことに俺は驚いた。
「大きくなりましたね。薬売りさん」
「アンタ……覚えてるのか」
「もちろん。忘れるはずがないです。だって貴方がいなければ医者の少ない近隣の村々でたくさんの人が病や怪我に苦しんでいました」
俺は痩せた男を見たまま降りてきた階段を一歩上った。
「逃げないでください!」
想定していなかった声量に俺は驚いた。宿の亭主も止まっている。
急に大きな声を出したためか、痩せた男が咽た。
「すみませ、ごほっ。あのですね、手助けが、したいんです。状況は理解しているつもりです」
咽続ける男を俺は睨んだ。
「……理解しているなら、関わるな。俺は何も知らないし聞いてない。お前とも知り合いじゃない。それでいいだろうが」
「でも、貴方が立ち去る前に薬の調合法を譲ってくれたから私達、兄弟は裕福になれた」
「譲ったんじゃない。売ったんだ。離れて暮らすのに金が必要だったから知識を売っただけだ」
金の概念をメリアに教えてもらった俺は金が必要だと思った。ラナティスに入るにしても入らなくても外の世界で暮らすには金がいる。
だから、俺は自分の売れるものを探して、見つけて、作って、売った。
「なんでそんなこと言うんですか。薬売りにとって命より大切な薬の調合法のはずです。ですから」
「今日はここに泊まる。明日は何があっても立つ。だから、関わるな」
俺は痩せた男の言葉を最後まで聞かずに話を切った。
追われている状況を理解した上で話をしにきた。裏切るつもりか本当に助けたいのかわからない。
本心だとしたら嬉しい。人間を毛嫌いする俺からしても飛びつきたくなる申し出だった。
ただ関わらない方が得なのだ。
俺と痩せた男が知り合いだとグリムワンドの追手が知ったら確実に男は捕まる。宿屋の亭主もそうだ。
きっと俺は俺のせいで良い人間が捕まるのが許せない。
相手が裏切るつもりなら、ざまあみろで終わりのところでも良い人間である可能性を切るに切れない。
だから俺と男は関わらない方が得なのだ。
また二階へと上がると廊下にメリアがいた。昨日までの土汚れはすべて落としている。白衣にまでは手が回っていないようだった。
「大きな声がしたけど、何かあったかな?」
「別に。もう一泊することにしただけだ」
「ふーん。それだけならいいけど」
メリアはそれ以上追及してくることはなかった。
俺は自分の部屋に戻って窓に映った自分の顔を見る。
「なんてツラしてるんだろうな……ったく」
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