緑の過去
竜神教の教会を立ち去ろうとした頃、教会には信徒が何名かやってきていた。
身だしなみが綺麗な老夫婦や商人と思われる男、そして騎士。
時間はまだ早いというのに熱心に祈りを捧げている。祈っている先にあるのは赤銅で作られているであろう竜の像だ。
ワムに見せてもらった記憶に出てきた紅い竜に似せて作られてある。
世界の秘密が知りたい。それが師匠から受け継いだ夢であり、俺の願いだった。
竜神教の裏を知った今、祈っている人間があまりに滑稽に思える。
「人間たちは真実を知ったらどうなるんだろうな」
歩みを止めて、人間たちが祈っている姿を側廊から眺める。
「知ったら確実に暴動が起こるのん。でもその先は変わらないのん。紅い竜をどうにかしないかぎりね」
トリトンは止まることなく教会の扉へと歩く。
俺は早足で追いかけた。
外に出ると街を囲っている大きな石の壁が檻のように見えた。ただ人間たちを逃がさないものなのか、竜から人間を守るための檻なのかはわからない。
初めは檻という印象を抱かなかった。
ワムから話を聞くまでは――。
「俺の師匠は紅い竜のことを批判的に言っていたんだが、今ならわかる。紅い竜はろくでもない」
「それは黒竜としての役目を理解した上で言ってるのん?」
「紅い竜を抑える役目だったか。魔法を喰らうって話が本当ならどうにもならないだろうな」
魔獣や魔物との戦闘において、魔法以上に有効な攻撃手段はない。
例え、剣の達人であったとしても強固な殻を持つ魔獣や切断しても再生する魔物と出会えば負ける。
人外の特異性を打ち破るために魔法は必要不可欠だ。
竜を相手に考えても例外ではない。
人間は魔法を使って竜を弱らせ、最後に首を取る。
魔法を使うと強くなる竜を抑え込むことなんて俺にできるだろうか。
「かもしれないけど、僕たちが生きていくためには紅い竜は殺すべきなのん」
「記録石持ってるんだからそれで紅い竜の動き封じて倒せないのか」
竜殺しの魔力を発することのできる記録石があるのだから紅い竜の動きを止めてしまえばどうにかなりそうなものだ。
「紅い竜の自由を奪うには圧倒的に量が足りないってワムが言ってたのん。黒竜の抑制力が無くなってからは紅い竜は世界中を飛び回って、記録石を砕いているのん。だから紅い竜を止めるだけの記録石はもうこの世には残ってないだろうって話なのん」
「お前が持ってる記録石はどこの資料でも見たことがない記録石だった。ってことは砕かれなかった一つ、か」
「――砕かれなかったけど僕の村はなくなったのん」
トリトンが記録石の入った布袋を力強く握っていた。
「たまたまだったのん。二十年前、遺跡が村の近くに発見されたのん。そこに記録石が眠っていたのん」
「まさか……」
「紅い竜は、やってきたのん。残ったのは隣の町にある学校まで行っていた僕だけだったのん」
「記録石は何で砕かれなかったんだ」
「魔力を遮断する箱に記録石が入っていたのん。多分、調査員の誰かが入れたんだと思うのん」
トリトンの話を聞く限り、記録石の場所を把握する能力を紅い竜は持っているということになる。魔力の感知で大体の場所を特定しているのだろう。
「待てよ。この国にも記録石があったよな」
「今はもう別の場所に保管してあるのん」
「保管だと。オリフィスが盗んだんじゃ――お前、もしかして!」
トリトンが含み笑いで俺に答えた。
「オリフィスと手を組んで、記録石を盗んだのか。それを紅い竜にバレないようにどこかに隠した」
「正解なのん。何の拍子にこの場所に記録石があると知られるかわからなかったのん。もっとも、僕たちが隠すまではワムがどうにかこうにか魔力の気配を誤魔化していたらしいのん」
俺の左腕についている白竜の腕輪と同じように判別できる特徴を上書きしたのかもしれない。
白竜の腕輪は竜の匂いを、ワムは魔力の波長という違いはあるが。
「紅い竜やオリフィスのことも気になるが、さっさとメリアとラッドを助けないとな。生贄にされちまう。どっかの誰かが俺を止めたせいで時間がない」
「そのことなんだけど、僕も手伝うのん。ただ行くのは夜にして欲しいのん」
「時間がないって言っただろ。無理だ」
「少し気になることがあるのん」
トリトンは記録石の入った布袋を懐にしまった。
「今回の生贄づくりにワムは関与してないって言ったのん。なら、今回は誰の指示なのん?」
「誰って紅い竜じゃないのか。俺を殺すように竜神教の奴らに指示を出せたんだからな」
「僕もそう思うのん。だからこそ紅い竜は誰に指示を出したのか調べる必要があるのん。場合によっては――グリムワンドは紅い竜の手にすでに堕ちてるのん」
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