緑の記録石
「俺の上司と知り合いがそこで遺跡の調査をしてる」
嫌な汗が俺の額を流れる。
両の手を強く握っていた。
「はて、調査する必要がどこにあるのか。魔法に関する研究を残した遺跡だと、とっくの昔に解明しているのに」
「じゃあ何のための調査だ!」
「調査っていってるけどやってることは生贄づくり。紅い竜は魔素が溜まった存在を好むんだ。地下の遺跡は魔素を溜め込む性質があってね。生贄にする者を遺跡に閉じ込めてしまうのさ。魔素による中毒症状の発症直前までね」
俺は大きく手を振って顔を引きつらせる。
国からの極秘調査。初めからおかしかったのだ。
調査に関する情報がすべて噛み合っていなかった。噛み合っていないことが正しかったのだから当然だ。
地下に遺跡があるとワムは言った。
――街の地面をすべて壊せば、遺跡が出てくるはずだ。そこからメリアとラッドを引きずり出す。
ゆらりと、身体を入ってきた扉に向ける。
俺は一歩、前に足を出した。
前に出した足が何かに掬われる。
力が抜けてそのまま横からトリトンに倒される。
「少し落ち着くのん」
トリトンが俺の身体の上に馬乗りになっていた。
動こうにも動けない。
力づくで拘束されているわけじゃない。ただ全身が俺の意志とは関係なく脱力している。
床に受け身なしでぶつかったのに痛みがない。
顔を地面から離そうにも首すら動かせない。
痺れる感覚と脱力。
俺はこの感覚を知っている。
「なん……で、お前が」
「これは僕のお守りみたいなものなのん」
口と目がかろうじて動かせた。
トリトンは俺の背中と左肩の中間地点に翡翠色の魔石を押し当ててくる。
魔石の内側には模様が刻まれている。
模様の正体は古い体系でかかれた魔法陣だ。
――どうして記録石を持ってるんだよ。
記録石が押し当てられている部分の下には唯一、人の肌に戻せない黒竜の鱗がある。
そこに直接、竜殺しの魔力を送り込まれている。
前に味わったのはオリフィスとの戦闘のときだ。竜化した身体に竜殺しの魔力を流され、力が入らなくなり戦うことが困難だった。
戦闘中に魔法を遮断する即席の鎧を作って防いだが今回はそんなことを隙もなかった。
記録石をトリトンが持っている可能性なんてそもそも考慮していない。
「――メリアさんとラッドさんを助けたいのは分かる。でもキミの眼は殺人鬼のそれだ」
「本性をやっと出したね緑。いい加減あの口調やめなよ」
「やなのん。訛りとこの記録石は僕がリュース村のトリトンとして生きていく証なのん。やめる気はないのん」
頭が真っ白になっていく。
薬の調合に失敗して、煙を嗅いだ時も意識が飛びそうになったがそれに近い。
視覚と聴覚以外は少しずつ薄れていっている。
平衡感覚も狂っているのか、俺は床の上で寝ているはずなのに揺れているように見える。
「生贄のこと、黙っていたのはどうしてなのん? 僕とワムは紅い竜に関して協力関係だと思っていたのん」
「キミは『守れるならすべてを守る』というスタンス。こちらは『守るべきもののためなら犠牲もやむなし』だ。この考えの違いは亀裂を生む。だから言わなかった。そこの黒竜の出現で状況が変わっただけ。あと一言言わせてもらうと、今回の件は竜神教は関与していない。信じる信じないは任せるけどね」
「だれ、が……はんにんで、もいい。たすけに……いかないと」
香辛料を舌の上にぶちまけられたような刺激を受けながら俺は口を動かした。
「黒竜の知り合いって若いの?」
「若い女性と中年なのん。あと、周りにも若い魔法師がいるはずなのん」
「そんなにいるのかー。若いと魔素の吸収いいから大量に魔素を取り込んで良い餌になっちゃうな……」
「ふざ、けるな」
「いいよ。遺跡の場所を教えてあげる。これ以上紅い竜に力を蓄えられるとグリムワンドへの不可侵って誓約を問答無用で破ってきそうだし」
倒れている俺の額にワムが額が触れた。
紅い竜と黒竜の姿を見せた記憶の共有だ。
教会の地下に入口があった。でも魔法の結界が貼られていてすぐに入れそうにない。
街にある噴水の下にも入口が隠されていた。こちらは入口につながる道が街の整備過程でなくなっていしまったようだ。
「近いのはこの二つ。入口が複数あることを知っている者はいない。他の者が知っている入口は平野の入口。街から一番遠いところだよ。ほら、立てる?」
ワムの記憶から出ると身体が動かせるようになっていた。
手のひらを閉じて、開いてを繰り返してその場で柔軟をする。
「動く。なんでだ」
「あとは頼んだよ黒竜。世界が滅亡しても存続してもどうでもいいけど、約束だけは守りたい主義でね。いい終わりを迎えさせてくれないかい」
泣きながら笑うワムが手を差し出した。
訳の分からないことを宣ったワムと手を何度か確認する。
「断る。俺はお前が嫌いだ」
「そうか。いや、その方がいいかもしれないね」
ワムは俺が握り返さなかった手をまじまじと見ていた。
哀愁が漂い、どこか絵になりそうだった。
――俺が初めて出会った精霊は竜に対して握手を求める変な精霊だった。
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