黒と赤の竜
エセ精霊は言った。臭いが混じっていた、と。
つまり昨日の段階で俺がどの竜かわからずとも、竜であることは察していたことになる。
トリトンのいる今、俺の正体を暴いたのは意図してのことだろうか。
――この行動の意図はなんだ。考えろ。竜神教の教会の中だぞ。こんなところで竜だと知られたらどうなるかわかったもんじゃないぞ。
半人半竜。
人でもなく、竜でもない。
否定すべき生き物として殺されるか、下手に担ぎ上げられるか。はたまた想定していない結果になるのか。
「黒竜なら黒竜らしく紅い竜をどうにかしてくれよ。紅い竜を抑え込むのがキミの役目でしょ」
「役目ってなんだよ」
「キミ、竜なのに何も知らないの!? 嘘でしょ!」
「あーあ、こっちが言わないようにしてたこと全部喋ったのん。このお喋り精霊」
「緑が一緒にいるから知ってると思ってたんだけど!」
エセ精霊が鼻をくんくんとさせながら俺の周りを何周もする。
「え、嘘。でもこの臭いは自由と世界を求める黒竜じゃん! めちゃくちゃかすかだけども」
自由と世界を求める黒竜、俺の肩にある鱗の持ち主で役目を捨てた竜。そして俺の父親だと思われる竜。
「またその名前か。俺、そいつのことよく知らないんだけど。何者なんだその竜は」
「えー……この子ホントに何も知らないじゃん。なにこれ。期待してた流れと全然ちがーう!」
――精霊は黒竜に期待していた? おとぎ話では竜と精霊は対立していたはずだ。
「オリフィスの話に出てきた竜の力を持つ弟ってのがこの子なのん。ワムもワムで何もわからず彼を誘ったのん?」
「臭いが青年のつけてる腕輪でごまかされてるからどっち側かわからなかっただもん。教会に呼べば一発じゃん。紅い竜なら教会へ強くは干渉できないんだから」
「強引な判別方法なのん。僕はてっきり彼を殺すのかと思ったから慌てて止めに来たのん」
「ちょ、ちょっと待て!」
俺は二人の会話に待ったをかけた。。
よく知る名前に教会の状況、すべてにおいて情報量が俺の許容を超えている。
「整理させてくれ。オリフィスのことを知っているのか」
「「イエス」」
「トリトン、お前は俺が竜だってこと知ってたのか。初めて会った時から」
「もちろんなのん。だから見極めに僕が直接行ったのん。結果として君は人間を守る側だったから問題なしと判断したのん」
竜を模した土人形の事件のことを指しているのだろう。
結果論だが俺は人間たちを助けた。だが、すべては『魔法が悪』と認識されるのが許せなかっただけだ。
「おかしな話だ。見てきたのなら教えてくれよ」
「オリフィスに止められたのん。弟分を巻き込むな、ってね」
「生きてるのか、あいつ」
「ピンピンしてるよ。まぁ、今はこの街にいないのん」
オリフィスと戦ったのはトリトンに出会う前だ。
崩れていく崖のしたに埋まったはずだった。
――死体は出てこなかったからどこかで生きているとは思っていたが、グリムワンドにいたのか。
「もしかして、余計なこと喋った感じ?」
「それはそうだけど……今はワムが犯人ならどれだけよかったかと今思ってるのん」
声が尻すぼみになっていくトリトン。
「イヴァンくん、僕たちの敵はおそらく本物の紅い竜なのん。キミを本気で殺しに来てるのん」
「話が飛躍しててまだ理解が追い付かねぇよ。紅い竜は竜神教、ことグリムワンドにおいて紅い竜は信仰すべき存在だろうが。聞いてるとまるで敵じゃないか」
ワムがベッドから飛び降りると前髪を上げて俺に近寄ってくる。
「こつんとな」
優しく接する額同士。
そこからかすかに魔力を感じた。
――魔素の分解をしてない。いや、様子がおかしい。
頭の中に風景が流れ込んでくる。
俺がガリオンの記憶を見ようとしたときと酷似した感覚だ。
痛みもなければ苦しさもない。
ただ記憶だけが流れ込んでくる。
人間の村が燃やされていた。
逃げる人間を喰らう紅い竜が炎の海から姿を出す。
トカゲのような鱗を想像していたが全身逆鱗なのか歪な形をしていた。
紅い鎧を纏い、大きな翼で暴風を起こしながら飛ぶ姿は天災以上の脅威だ。
恐ろしい生物だということは分かる。
分かるが『殺したい』という感情が湧いてきて恐怖心が薄れてしまっている。
「これが紅い竜。そしてアイツがやろうとしているのは世界の再構築だよ」
「また荒唐無稽な話だな」
記憶の内容が一瞬で変わった。
今度は黒い竜が出てきた。
こちらは右目に大きな傷を負っている。
開いている左目には蒼い眼。睨む先には紅い竜。
鈍く光る漆黒の鱗と鋭い鉤爪をもって、紅い竜と対峙していた。
鋭い牙で長い首を噛み、爪で互いを引き裂き合う。
ここで記憶が途切れた。
「今見せたのが自由と世界を求める黒竜だよ。黒竜は紅い竜を止めるのが役目なんだけど……本当に知らなそうだね」
「竜がどんなのかはわかった。紅い竜の目的も俺を殺そうとする理由もな。でも精霊であるお前が紅い竜を敵視する理由と竜神教の関係性がピンと来ない」
「おやおや、さっきまでエセ呼ばわりしてたのに急にどうしたの? んー?」
「記憶の共有とか身体乗っ取るとか普通できないこと体験して『精霊だからできるんだよ』って言われるのは癪だが理解できるんだよ、俺は」
写本の前例と自分でやった記憶操作の魔法からワムは『異質な存在』だと認識してしまったのだ。それを仮に『精霊』と呼ぶことにした。
それだけの話だ。
「竜神教ってあの竜を祀ってるけど、これってただの印象操作なんだよね。例えば、紅い竜に襲われたら神の天罰と一緒。例えば、紅い竜に食べられたら神の血肉となる。例えば、紅い竜の逆鱗に触れたら神の機嫌を損なった下等生物が悪い――つまるところ紅い竜に襲われても仕方がないから諦めましょうって話なんだよ」
――なんだそれ。
「知恵と感情のある生き物は納得さえできれば不幸も不幸と思わなくなる。例えば、生贄になることもね」
「わざとそうするように仕向けたのか」
「そうだよ。だって少しでも多く生かすにはそうするしかなかった。小を殺して、大を生かす。この方法が一番効率が良かった。生贄なしだと紅い竜は無差別に喰らい続けるから被害は広がるばかりだった。今は最小限で済んでるでしょ」
「敵なんだろうが! なんで抗わないんだよ!!」
「抗って勝てるならそうするよ。今は勝てないから勝てるときを待つんだよ。――こんなこと好きでやってると思うかい?」
ワムが初めて表情が落ち込んだ。
「精霊でも勝てないのかよ」
「精霊だから、勝てないんだよ。アイツは魔力も魔素も喰らって力に変えるのさ。精霊の攻撃手段は魔法だ。相手に力を与えるだけ。――正真正銘の化け物だよ、あの竜は」
オリフィスはこのことを知っていたのだろうか。
だから俺に『研究のことなんて忘れて生きろ』と言ったのだろうか。
「そうだったのん。もう一個、ワムに用件があったのん。遺跡の場所とか知らないのん?」
「遺跡? 知ってるも何もこの辺りに遺跡は一カ所しかないし管理しているのは教会だよ」
「どこにあるのん」
「街の地下。といっても街どころかかなり広い範囲に広がっている。近づかない方がいいよ。――あそこは生贄の保管場所だから」
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