蛇のむくろ
スケッチをしていた。尾の長い蛇の。まだらの鱗、緑の目。
太さは、水やり用のホース程度。竹定規よりちょっと長いくらい。
絵柄は写実的。可愛くはない。鱗がてらてらと艶めかしい光沢を放つ――多分、どちらかというと美しい蛇。
とぐろを巻いて鎌首をもたげれば、それなりに迫力があるはずだ。毒の滴る牙が、裂けた口の端に覗いている。
大きさは中途半端。若い蛇。だって、鱗が綺麗すぎる。
けれど、蛇はてのひら大に縮こまっていた。とぐろの穴、自分の中心に頭を埋め、己の身体を絡ませている。ぐちゃぐちゃに結んだ糸のようだ。
涙型の頭部は、重なった胴と胴の間から飛び出して。情けない、臆病なサンドイッチ。
苦しそうなのに、自分から圧迫されている。
自分で自分を縛る蛇。
不満げに尾を噛む蛇。
生きているのか、死んでいるのか。この絵じゃわからない。別にいい。変わらないのだから。
そんな蛇の絵を、ふとした気まぐれで一枚。
気づけば、二枚、三枚……何十枚も同じ構図の絵を描いていた。
――飽きた。他の絵を描きたい。
そう思うのに、心に浮かんだ光景は変りもせず、脳裏にこびりつく。
心の隙間に、気持ち悪いほどしっくりと収まってしまったのだろう。
濁った黄色い鱗が剥がれかけた、まだら蛇。縦に割れた底意地の悪い、緑の瞳。
私を、見ている。
自分を、食べている。
不気味な絵。書く分には落ち着きはするけれど、見る分には不快。
たまらなく憂鬱で、進みたいのに。気持ちが変わってくれない。描き捨てた何十匹もの蛇が足元に絡みつく感覚を、必要なものだと思ってしまう。
いやな気持ちを絵にして、ちょっと追い出す。生まれる。追い出す。生まれる。生み落とす。
いたちごっこ。いや、あてもない無為な大量生産。
やめられないのは、怖いから。何も進まないのに、立ち止まったら。どうすればいいか、わからない。
「気合い入ってるね」
そばでスケッチを見ていた友人が声をかけてきた。意識が絵から離れる。ようやく指が止まった。
知性が求める調子を取り戻すように、大きく息をつく。
感情に支配された心臓と脳に、理性が戻っていく。
愚鈍な反復を晒した羞恥と、霞のような不安が理性を焦らしていく。
窓の外を見やる。日光が窓越しに差し込む。透明で、気持ちだけ燻す火の色。 希釈され、広がりすぎた暴力的な時間。
凝縮された碧を宿す葉を、覆い被さるように染める橙。ただ薄く重なっただけの色は、熱さに欠けて、寂しい。
そして気づく。ああ、そうか、もう、夕方なんだ。
周囲を見回せば、私と友人しかいない。この時期になると、大学の部室には人が来なくなる。閑散とした室内では、電気より夕日の方が濃い光彩を放つ。
「別に、そういうわけじゃ。すっきりしないだけで」
「他の物を描いたら?」
「そうね。でも、描きたいものは合ってるんだ、多分」
「じゃあ、何が気に入らないの?」
「全部」
――だって、これ、気に入らないもの。そういう絵なのだから。
頭の中にあるものを外に出すということ。ないものをある状態にする。それを人は想像と呼ぶ。では、どうしたら『創造』ができるのか?
それは曖昧であっても、脳味噌の裏にビジョンがある時。どんな形で、どんな意味があるのか。自分で紡いで、形にすること。すなわち、表現。
創造が表現にあるというのなら、これは『これ』が正しい。この絵は、この状態。この蛇は、この子。
ただ、どうしようもない食い違いがある。研いだ爪先でひっかいて、薄皮一枚でくぎられた向こう側にたどり着きたくてしょうがない。噴き出すのは生暖かい血ばかり。
痛い。つらいならばやめればいい? やりたくもないことなら、そうしていただろう。
絵を描くのは、趣味だ。好きなものを、好きだから、好きなように、描いていい。紙の上は自由。
自分のために、描いていい。これもそう。
好きに不愉快を描く。
「キャンバスに描くの?」
「どうだろ」
この絵に求めているのは、欲しい形になること。今、私が欲しい気持ちをくれること。だから、その形にさえ成ったなら、もうそれでいい。
今は、カッターで荒く削った鉛筆で描いているスケッチ。近いと思ったものには色鉛筆で簡単に色をつけて。結局、途中で違うと気づき、捨てる。
「趣味を楽しむのはいいんだけど、時間とか、さ」
背中の後ろに手を回し、友人は腰をくねらす。言いにくそうに。大丈夫、わかっている。大学も最後の年になった。就職も考えなくちゃいけない。
好きなことを仕事にできたなら。それぐらいの欲はある。夢は見ている。現実で通用するのは、強くて綺麗で、現実もかすむようなそれだけ。
自分を満足させるためだけに。自分の嫌な気持ちを片付けるためだけに。楽しさのためだけに描いている私じゃ、きっと遠い。
「わかってる。拘りだしたら、キリがないもの」
終わりがないもの。
遠い場所を見る為に、足元を疎かに出来るほど私は無謀じゃなかった。蛮勇じゃなかった。
鉛筆を置く。本当なら、画用紙じゃなくてノートの上で。線じゃなくて文字を。描かずに書くべきなのだろう。
どこにも行きたくないけれど。ずっと画用紙を触っていてもよかった。それも無理。向かった先になにがあるかなんてわからないのに。不安定な未来は怖い。
――何があるだろう。安全? じゃあ、楽しいかな。そうじゃないかも。やだな。
なら、確実に楽しいことをやる?
――私に何ができる? もっとできて、強くて綺麗な人はいっぱいいるのに。
何にも、見えない。私、何ができる? 胸の中に、泥のような気持ちが溜まっていく。
「うーん。ねえ」
「なに?」
「今週末、遊びいかない? ぱーっと遊んでさ、気分転換しよ。新しい視点が発見できるかもよ?」
風にあおられて床にスケッチが落ちる。ふたつ左にある窓が半開きになっていた。風が忍び込む。肌が乾く。
友人が、外界の変化についていけない私の代わりに膝を折った。スケッチを纏めて、からからと笑う。
ぴったり角まで揃えられたスケッチが目の前に差し出された。薄汚れた白の束を受け取り、ちょっと迷う。数秒して、縦に頷いた。
また何十枚も描き続けるのと、外へのお出かけ。時間の消費に大差はないだろう。彼女がいうことももっとも。
「どこにいくの?」
「洋服見るでしょ、スイーツ食べるでしょ。あとは、美術館いこうか」
「いいね」
きらきらしている。楽しそう。絶望するほどじゃないけれど、逃げもできない泥を抜いてくれそうだ。ほのかに期待する。
「あ、ごめん、そろそろ電車だ! 帰るね。じゃ、土曜日に!」
「うん。またね」
――またね。
当たり前の挨拶。ごく普通の関わり。何気ない好意。
それがひどくしみる。きっと、今の私の心臓は夕日みたいな色をしているだろう。
休息が必要だ。何も考えない時間が。ようやく、本当に実感した。
土曜日は明後日。もう一度鉛筆を持ち上げる。
浅い黒色。先端を斜めにして、太い線で雑に輪郭を描く。一本だけなら、穴だらけのサテンリボン。重ねれば、黒が詰まりすぎて噴出しそうなベルベッドに。
上質なのは、見た目だけ。それも上っ面。よく見れば、ごまかしと欺瞞だらけなのがすぐにわかってしまう。リボンの蛇なぞ愛らし過ぎる。滑稽だ。私の蛇だけれど、私が描くべき蛇じゃない。
そう、今の私は、やはり蛇しか描けない。鉛筆だって。リボンだって。きっと、寒い夕日も熱い血潮も。
みんなみんな、蛇になる。命すら持たない蛇。
今のままでは無理。繰り返すだけ。
私はそっと、画用紙の傍に鉛筆を置く。休息が必要だ。あるいは発見が。
席を立つ。何度も迷って、教室を出た。画用紙を室内に置いたまま。
でないと、触ってしまいそうだったから。
〇
数日後。
木曜日。そのまま帰って、寝た。
金曜日。怠けている気がして落ち着かなかったけれど、絵は一枚も描かなかった。描けなかった。
土曜日。今日。落ち着いている。いい気分。余裕があった。
数十分も電車に揺られれば、待ち合わせ場所に到着する。
目的地は、栃木県。宇都宮美術館。美術館の周りには、自然豊かな公園も広がっている手近な場所。休むにはもってこいだろう。
駅を降りて、駅前に出たところで周囲を見渡す。休日の駅には人が多い。幸いにも、あっという間に流れる人のなか、すぐに友人を見つけることができた。
「待った?」
「決まり文句ね」
「言ってみたかったの!」
彼女は朗らかに微笑み、私の手を掴む。変な感じがした。
最近、ずっと「物を持つ」ことばかりに使っていたからだ。持たれる側に回るのは随分と久しぶり。
私を持つ手は優しい。遠慮がなくて、しかし傷つけないように。しっかりと握り、やわく熱が伝わる。暖かかった。
爪もたっていないし、怒りや焦りといった暗い感情がこもっているわけでもない。
私、こんな風に鉛筆を使っていたかな?
「どうしたの? もしかして、体調悪い……?」
「え、あ、ああ。違うの。ちょっと、考え事をね」
顔に出てしまったようだ。軽く微笑んで、手を握り返す。彼女の優しさに恥じぬように、そっと、おそるおそる。
「行きましょう。とっても楽しみにしてたんだ」
〇
見るだけのものに価値なんてない。そう思っているのだろうか。獲得できるものは心理的な豊かさだけだから、無意味って思われてる?
休日に美術館に訪れる人は、そう多くない。閑散というほど少なくもないけれど。
静かで穏やかに楽しむには、ちょうどいい。直接、見えるだけのものを楽しむことを好む人が少ないのかと寂しいのは、天邪鬼?
不安が苛立ちを呼び込む。
――社会の歯車になったら、私が鑑賞と創造に抱いた価値も、屑鉄になってしまう。
だって、社会人はこんなにも少ない。
素晴らしいものをみるのは幸福だ。完成された領域を『楽しむ』行為。自分になかったものを取り込むのは、食事と一緒。心に健康と力をくれる。
創造に勤しむことは豊作だ。楽しく煌めいて、新しい可能性を『発見』する快楽。航路を切り開いていくことによって育まれる自信。
全部、無意味だった?
虚しさが去来する。絵によって育んだ私の心。その価値を、今までの審美眼を否定された気分だ。
自分を信じられないのなら、何を目印に進んでいけばいい。こんなに時間をかけて、不安も乗り越えて来たのに、本当に無駄だったの?
そんな恐れが、黄金の夢に錆を落とす。
幼いころはくもりすらなく、まぶしく輝いていた希望。夢。
好きなだけで成立していた気持ち。
きっと今の私の夢は、濁った黄色。煌めきを忘れ、そのくせ甘い期待を捨てきれない。どろどろの、柔らかな金属。欲望混じりに、ぬめった生々しい光沢を放つ希望。
――ああ、だめだ、だめだ。
そんな気持ちでいちゃだめ。私は休みにきた。息をつきにきた。立ち止まりにきた。
自分を否定して立ち止まる。そんな止まり方は、だめ。
頭を左右に振り、浮かぶ懸念を振り払う。
インターネットで調べたところ、今日は特別展を開催中であるらしい。
エミール・ガレ。アール・ヌーヴォーを代表するフランスのガラス工芸家。企業経営者でもあり、己のデザインした製品を工場で工業化、分業生産を行い、販売していたという。世界に存在するガレが、すべて彼の手をかけた作品ではない。
けれど、草花鳥虫のデザインが多く、『もののあわれ』の観念をもつ日本人をよくつかむ。
『自然を素直に作品に投影する』作風は、私も大好きだ。
展示されていずれも、ただの色にとどまらぬ鮮やかな色彩を放っている。それはガラスの透明さゆえか、様々な光と色がまじりあう神秘ゆえか。
「わあ、綺麗だね! ランプなら内側から光って、もっときれいだろうなあ」
「そうだね。綺麗。それに無機物のはずなのに、すごくきらきらしてる……いきいきしてる。澄んでいて、光源がなくても光ってるみたい」
たとえガラスの色は黒でも、そこに薄汚い光は存在しなかった。作品そのものが、それぞれが輝いて見える。
世界を愛しながら、個を失わない。何かに頼った輝きでもない。
美しい、大人の夢だった。
「すごく、綺麗」
ガレの作品のなかには、蛇のモチーフもあるのだろうか。
きっとその蛇は、美しい。とても、とても……美しいのだろう。
時間が止まってしまえばいいと思った。
彼が、私よりずっと多くの時間を過ごし、この美しい生き物をあらわしたのだとしても。
時間が止まってほしいと思った。
今だけは、あらゆる時間と不安から、解き放たれたかった。この純粋ではないけれど無垢な生き物がいる、混じりけない賛美と歓喜を味わうために。
〇
スケッチしていた。尾の長い蛇の。目を緑に塗ろうか迷って、やめた。
そういう生き物だけれど。今、この子にそれはいらないから。
「あれ、結局別の絵を描き始めたの?」
「ううん。同じ蛇よ」
それは、白い殻。透けた鱗模様は、少しだけ黄ばんでいる。
蛇の抜け殻。命のないからだ。けれど、この子は私のなかで生きているのだ。
私だけの蛇。決して美しくはない、可愛い蛇。私から出られない蛇。
一体あと何度、私は抜け殻を描くだろうか。錆はまだ落とし切れていない。苦しいけれど、捨てて、拾うたび、すっきりする。今の私にはそれしかできなかった。
いつか、生きているものを描けたら――今度は、黄金の蛇を描くだろう。
4/22 多少改稿、加筆