9話『最弱』
「ちょっと待ってくれ、とりあえず落ち着こう、なっ? なっ?」
「充分落ち着いてるけど? 落ち着いてる上での行動だけど?」
「その鈍器を降ろすんだ、さぁ早く、間に合わなくなってもしらんぞっ!」
「むしろ間に合わない方が都合が良いんですけど?」
「ダメだこいつ早く何とかしないと…」
長さは二メートル、太さは成人男性の胴体はあるだろう棍棒を振り上げて迫ってくるアルフを尻目に、どうしてこうなったのか、まるで命が尽きる前の灯火のような、そんな走馬灯が凪の頭を駆け巡っていた。
♢
事の発端は先日、特別クラスの担任を任されているティール先生の一言だった。
「来週から本格的な戦闘訓練始まるからな〜。 各々適当に用意しとけよ〜」
その一言でアルフの性格が別人のように変わった。元々アルフは華奢な体つきをしている。ほぼ全裸を見た凪が言うのだからその言葉は何よりも信用出来る。故に肉弾戦タイプでは無いと勝手に思っていたのだが違った。
こいつは戦闘狂だ。それも実力の伴っていない方の。
それはそのティール先生から一言によって始まった、凪の戦闘訓練という名のアルフのストレス発散で確信した。
その日から毎日、放課後の時間を利用して模擬戦闘室で凪の特訓が始まった。武術や格闘技を習ったことがない素人同然の凪はどんなことをするのだろうかとワクワクしていた。そんな自分を思い返すと殴りたくなってくる。
初日に行った特訓は、ただひたすら狂人と化したアルフから逃げ回っていた。最初は人の変わり様から恐怖を感じていたのを鮮明に覚えている。どうにも武器を持つと人が変わるタイプのようで、変わった先が最悪だった。逃げ回る凪を追い掛け、叩き、飛ばし、蹴り、殴り、時には失神させられた。
何が怖いって終始笑顔で行うことだ。暴力も介抱も指導も全て変わらぬ笑顔で。それが更に恐怖を誘う。
身体中に出来た痣は寝ると翌日には消えた。理由が分からなかったのでアルフに質問をしたら笑顔で「さぁ?」と返事をされてから黙っている。骨折しても翌日には何故か治る。怖くて理由は聞けていない。
二日目も三日目も四日目も常に同じ武器、まるで長年愛用しているかの如く扱う棍棒を片手に走り、歩き、時に跳躍して凪に迫ってきた。笑顔で。一度、特訓が終わってからその棍棒を持とうとしたが片手では上がらなかった。両手でやっと数センチ浮いた。疑問を口に出そうとしたが止めた。アルフが笑顔でこちらを見ていたからだ。
そして最終日。怪我の痕跡も体力の消耗も翌日には消えて常に全快状態の凪が逃げる冒頭に繋がる。
「このどこが特訓なんだよっ!」
背後から迫り来る棍棒を咄嗟に前転で回避、即座に立ち上がりそのまま前方へとヘッドスライディングの要領で飛ぶ。間髪置かずに数瞬前まで凪のいた場所に棍棒が振り下ろされた。
「特訓始めた頃から思ってたけどナギ君って体の使い方が上手だよね」
「華奢な女の子が片手で振り回す棍棒を両手でようやく持ち上げることが出来た時点で才能は…ねぇよっと!」
頭部のある高さに全力でフルスイングするアルフに合わせてしゃがみ、回避する。アルフよりも凪の方が身長は高い為、必然的に頭部を狙おうとするとアッパー気味にスイング移動する。
「これぐらいなごふぉっ!」
「えーっ? なんてーっ?」
物理学、慣性の法則を完全に無視した動きを見せた棍棒により頭頂部を叩かれる。凪の頭を通過するかと思いきやそのまま直角に急降下したのだ。強制的な進路変更の犠牲か、多少は威力が落ちてはいたがそれでも常人の凪にはほぼ致命傷となる。結果、頭頂部が裂け、肉が空気に触れ、血が凪の顔を彩っていた。
「っーーだぁ!!」
痛みと失血に視界が歪みながらも棍棒を振り払い、射程範囲内からの離脱を図る。思わず叫びそうになるがそれを喉の奥に押し込み隙を与えない。
「ナギ君ってさー…なんかやってた?」
「一般人だよバーロー!!」
痛みを誤魔化すように叫び、目に血が入らないように額を抑える。視界が消えた瞬間に撲殺されるのが目に見えるからだ。
「痛みへの耐性といい体捌きといい…なかなかセンスあると思うよ」
そんなアルフの言葉に思い出すことがあった。凪には上に二人の兄がいる。長男とは七歳、次男とは三歳離れていて男三兄弟の末っ子が凪だった。
男兄弟というのは基本的に力がモノを言う世界である。少なくとも凪の家庭ではそうだった。幼い頃から兄貴二人に殴り、蹴られ、理不尽な暴力を受けてきた。故に凪たち兄弟の中での暗黙のルールは「兄の命令は絶対」というのがあった。長兄が一番偉く、次男もそれには逆らえない。そして三男は誰にも逆らえず、長兄が次男に命令をし、次男は三男に命令をし、そして三男が嫌がると拳が飛んでくる。そんな兄弟だった。
だが別に嫌っていた訳ではないし、良いこともあった。兄の弟というだけで怖い先輩からは優しくされ、大人になってからも何かと心配してくれた。悪い面もあれば良い面も多かったのだ。そして凪はそれが当たり前だと思って生きてきた。
「兄貴に鍛えられたからな。 ちょっとやそっとじゃ俺は折れねぇぜ」
「実際簡単に骨が折れてる訳だけど」
「心の問題だよっ!」
「けどさぁー」
そんな生き方をしてきた凪にはこの世界で生きる上で一つ問題があった。
「どうしてやり返さないの?」
ひたすら耐える人生に反撃の文字がなかったのだ。
「暴力は苦手だ」
「これは戦闘。 実戦ならナギ君、即死してるよ」
「模擬戦闘だし、戦闘訓練だ」
「実戦の為のね」
「だが世界は平和だ。 そんな必要はないだろ?」
アルフのため息が模擬戦闘室に響く。
「ナギ君、魔物って知ってる?」
「言葉だけなら。 肉眼で確認したことはない」
ゲームや小説なんかで出てくる定番のモンスターだ。名前くらいは凪でも知っている。
「この世界は確かに平和だよ。 だけど、それは戦争が起こっていないから平和って意味であって、魔物が人を襲って人が亡くなるなんてことはしょっちゅうあるんだよ?」
「ですよねー」
異世界に魔物は付き物。当然そのことも予想出来た。けど日本で暮らして生きてきた凪にイマイチ実感が湧かないのは仕方ないことかもしれない。
「冒険者ギルドだってあるし、魔物と戦闘する意味も込めた戦闘訓練なんだからもう少し真面目にやってよね」
「心配してくれるなんて優しいじゃん」
真顔で叱ってくるアルフの顔はどこか憂いを帯びていた。大方の予想では親族ないし、親しい人物を魔物との戦闘で亡くしているのだろう。それを知りたくなくて、察していないと主張したくて、からかいの声を上げる。
「はぁ…もういいよ。 今日はおしまい。 ナギ君も早く寝ないと失血死しちゃうから気をつけてね」
「死ぬ可能性の高い怪我を口頭での注意で済ますのを心配してる分類に分けていいのか悪いのやら」
黙って棍棒を隅に放り投げ、黙々と汗を拭き始めたアルフにどこか居心地の悪さを感じながらもそれ以上の言葉は掛けようとせずにただ黙って鈍痛に耐え、止血用にタオルを頭に押し付ける。
やがて身支度を整えたアルフは凪に冷たい視線を投げ、それでも凪が黙っているのを確認すると諦めたように外に出ていった。一人残った室内に虚しい声が響く。
♢
「ラノベ的な主人公にはなりたくねぇんだけどなぁ…」
♢
天井に近い窓から室内へ夕日が差す。室内の中心で大の字になって寝てる凪を優しく包む。誰も来ないはずの模擬戦闘室の扉がそっと開いた。
「………」
少女はキョロキョロと辺りを見回す。お目当の人物が倒れているのを見ると慌てて走り寄った。
「………はぁ」
呼吸を確認、それが規則正しい寝息だと判明すると少女の口からは溜め息が漏れた。それは安堵からなのか、呆れからなのか、少女にも分からない。
傷だらけの凪の体に手を翳す。淡い光が凪を包み、夕日にも負けない輝きを放つ。少女が手を戻すと凪の怪我は消えていた。残るのは衣服と顔に付着した血と、床に残る血溜まりのみ。
少女はそれを確認すると来た時と同じようにそっと扉を開けて退室。去り際に凪を見つめ、黙って出る。
「………学生寮のベッドはゲームの宿屋と同じ効果があるのかと思ってたけど…違うっぽいな」
その背中を見つめ、ポツリと呟いた言葉は白い頭の少女には届かなかった。