62話『世界』
『日本は存在しない』
ウルフェスの言葉は死刑宣告だ。帰る気など微塵も思っていないし持ち合わせていないがいつでも帰れる状況と二度と変えられない状況では気持ちの持ち方が違う。
「そう…ですか」
それでも少しは寂しいものなのだ。生まれ故郷に帰れないということは。
「…はっ! ウルフェス様っ! 先程はすみませんでしたああ!!!」
『良い、許そう』
意識が覚醒したアルフは即座にその身を翻して恥も外見もなく土下座。日本に古くから伝わる謝罪の形が何故この世界に伝わっておりそれを違和感なくウルフェスが受け入れているのかは甚だ疑問だ。
「とにかく。 一つ一つ疑問を潰していこうか。 それで構いませんか?」
『構わぬ。 こちらとしても驚かせてしまった詫びがしたいのだ』
高度な知性を持つ生命体。凪は普通に接しているがその存在はこの世界でも大変希少である。知性を持つに至るまでの条件の一つに永い時を生きる、そんな条件がある。悠久とも言える永い年月を生きた生物は生き物として一段上の存在に昇華される。基本性能である身体能力、扱う技、そして知能。それが飛躍的に上昇し、一部では神とすら崇められる存在もいる。
「まず、ウルフェスさん。 あなたは何者ですか?」
『流れ者故に無知か…』
アルフの反応を見る限りでは余程の存在であることが推測される。凪の疑問は事態の伸展に直接的な関わりこそないが純粋な知的好奇心を満たす為に必要なモノであった。
『我は神話の時代を生きた神狼ウルフェス。 今の世にも語り継がれている伝説の存在。 世界を、次元を跨いで様々な世界に出没する存在。 …そうであろう?』
最後の言葉はアルフに向けてだ。確認を問われたアルフの首が物凄い速さで上下する。
『世間にはそう伝わっているはずだ』
「で、実態は?」
『…貴様もなかなか面白い奴やのう』
揚げ足を、見方によっては屁理屈にすら見える凪の返し。気分を害することなくウルフェスは高らかに嗤う。
『我は舞台装置の一つに過ぎぬ。 増え過ぎた人口を殺して天秤を調整し、減り過ぎた人口を時には護る、そんな存在が我だ』
「…まっ、想定内の返答ですね」
『ほお?』
神の悪戯でこの世界に来たのだとしたら、そんな存在がいても何一つ不思議ではないのだ。当然そのことも考慮していた。可能性は低いと思っていたが。
「数千年振りに現世に出て来たのはどうしてですか?」
『先も言った通り、別世界での用事を終えたからだ』
「ふーん…」
「ナ、ナギ君…?」
ウルフェスの醸し出す威圧感、圧倒的な存在感は自分がどれだけ矮小な存在なのかを実感させる。凪はそんなことを感じとれる程繊細ではないので動じていないがアルフは萎縮してしまっている。
腕を組み、熟考する。何を聞くべきなのか。
「…流れ者はどうして流れて来るのか、ご存知で?」
『………世界にとって必要だからだ』
「理由は…」
『すまぬ』
結局のところ自分が何をするべきなのか、何をする為に流れてきたのかは自分の目で確認するしかないのだ。どいつもこいつもヒントだけ与えて正解を教えてくれないという意地の悪い奴ばかりである。
思考ばかりで脳が糖分を欲する。回転の鈍った頭でどうにかこうにか色々と考えてみるがどれもピンと来ない。
「…あー、とりあえず特務は失敗だな」
「魔皇姫はともかくウルフェス様を傷付けるなんて恐れ多いこと私には出来ないよ…そもそも傷付けることが出来ないし…」
『その特務とやらはなんなのだ?』
「皇国からの指令? まぁ任務みたいなもんですよ。 魔皇姫へ攻撃、魔皇姫の生む魔物を殲滅。 それが今回の特務です」
『あれを滅ぼすなぞ不可能だぞ? あやつはここに座標固定されているしプログラム上、消滅することなどあり得ないからな』
「プログラム…?」
聞き捨てならない単語だ。言ってはマズい内容だったのか、狼の顔が若干顰め面になる。
『我は数千年、この世界から離れていた故、世界情勢に疎い。 詳しいことは知らぬがその特務とやらは諦める方が良いだろう』
有無を言わせない迫力だ。空気が焼け付くような、そんな威圧感と共に放たれた言葉に異を唱えることなど出来ない。鈍い凪ですらそれが理解出来た。
『さぁ、もう行け。 二度と会うことはないだろう』
神話を生きた生物はその言葉に魔が宿る。抗うことの出来ない強制力に凪とアルフは揃って元来た道を歩き始める。
『さらばだ、新しき人。 願わくばそなたらの歩く道に光があらんことを』
消えた威圧感と体に戻った自由。慌てて二人が振り返るがそこには何もない。まるで全てが幻であったかのように存在の痕跡一つ残さずに掻き消えていた。
「なんだったんだ?」
「…伝承でしかその名を聞いたことがない存在と会えるだなんて………」
神狼と呼ばれるウルフェスは文字通り、伝承にしかその名は残っていない。神話の時代を生きた賢狼、暴狼とも残されており、神々の大戦に大きな影響を与える存在であったらしい。その名は現在に至るまで残っていて一部ではウルフェスを崇める宗教も存在している。
またウルフェスの秘めた絶大な力の爪痕は各地に残されている。ユナイリー皇国の領土内には存在しないが遥か海の彼方にウルフェスが爪を振るって出来たと言われる溝がある。海の中に残るそれはそこで世界を分割するようにどこまでもどこまでも続いており、終わりを見た者も始まりを見た者もいないという。
「…なんか良く分からんことだらけだな。 まぁ人生なんてそんなもんっちゃそんなもんだけどさ」
先の見える人生は人生ではない。見えないからこそ楽しくもツラく、手探りだからこそ試行錯誤が楽しくて大変なのだ。とはいえそれは凪の個人的な価値観ではあるが。
「世界の裏側に触れた気分だよ」
「そもそもあの魔皇姫の体の中が別世界に繋がっていることが驚きだからな。 何がどうなっているやら」
「…ひとまず戻ろうか。 ウルフェス様を倒すことなんて不可能だよ。 ルティシアでも、皇国の守護者でも、ね」
「そんなに強いのか?」
「凄まじく、ね。 保有している魔力は私の数倍、身体能力はルティシアの数十倍、生物の範疇に収まるレベルじゃないよ」
見る目が養っているアルフにはウルフェスの凄さが実感出来る。だが凪にはただの喋る犬でしかない。威圧感と存在感は確かに凄かったがそれだけだ。それを支える力まで見抜けるほど、凪の目は肥えていない。
魔皇姫に関しては何も言うことはない。どこかの四次元ポケットのような存在であることが判明しただけだ。
「これが小説なら仲間になったり世界の謎が解けたりするんだがなぁ…そう上手くはいかないか」
王道展開ならばウルフェスが小さくなって凪達と行動を共にしたり世界の謎を解き明かすのだが世の中そうは問屋が卸さない。解明する前にウルフェスは逃げるし仲間になる気など微塵もなかったように見えた。
「…とりあえず戻るか」
「うん」
足早に来た道を戻る。早々に情報を伝え、撤収するのがとりあえずの目標だ。最早特務は失敗同然であり、これ以上無為な行為を続ける意味はない。悪戯に疲労を重ねる前に撤退するべきだ。




