61話『消化』
「ルティシア大丈夫かな…」
「あいつなら問題ねぇよ」
魔皇姫の体は肥大に肥大を重ね、全長が百メートル以上にまで大きくなっている。その全身から触手が生えてくるので常に触手から襲われながら二人は走っていた。
前走を埋める触手へアルフの魔法が炸裂。開けた視界を走りつつも横から攻めてくる触手には凪の持つ黒刀が能力で排除する。
「確かにルティシアは強いかもしれないけど、誰かを背にして戦う経験なんて無いんだから分かんないじゃん。 戦いに絶対なんてないんだよ?」
「いいや、絶対だ。 あいつなら心配いらん」
「…どうしてそこまで断言出来るのさっ」
口は動かしつつも手は休まない。常に襲い来る触手を排除する為に魔法陣はその姿を一度も消すことなく絶えずありとあらゆる攻撃を行い、また凪も黒刀に添えられた手を放すことはしない。
「俺が頼んだんだ。 ルティがその期待を裏切る訳がない」
力強く断言する凪の瞳に浮くのは絶対の信頼と自信。信用度ではルティシアよりもアルフの方が高いが戦闘力込みでの信頼度は誰よりも強いルティシアの方が高い。何より惚れている男の頼みに応えない女は存在しないという呆れた根拠だ。
「信じてるんだね、鬼族を。 ルティシアを」
「女の嫉妬は見苦しいぞ?」
「違うもん!」
「勿論お前も信じてるさ。 適材適所だ、あの場ではルティが適任だし俺と共に戦う相棒はお前が適任、ただそれだけの話だ」
口では否定しつつもその表情にはどこか翳りが見える。それを察知した凪は思ってもいない出鱈目で何とかフォローする。
凪がルティシアを置いてきたのは別に適任だったからではない。何となくである。気分で決めたことに理由など存在しない。アルフを連れてきた理由も然りであった。
そんなこととはつゆ知らず、凪の相棒発言に気を良くしたアルフが喜色満面で笑顔を浮かべる。
「それなら仕方ないね!」
「発言と表情が一致してねぇよ」
前方に終わりが見える。魔皇姫の体の終着点だ。仮にルティシア達の方が頭だとしたらこちらはお尻に該当する。
「………?」
「攻撃が止んだな…」
魔皇姫の体を走り抜けると今まで襲ってきた大量の触手が嘘のようにその姿を消していた。
「んで、だ。 あれは何か分かるかなアルフ君」
「はい先生! 魔皇姫が産んだ魔物でっす!」
「正解。 後でご褒美にキスしてあげよう」
「謹んで遠慮しまっ………お受け致します」
おふざけを交えながら緊張感を解す。凪の意図を理解出来ていないアルフは恥ずかしそうな顔で身をくねっている。途中まで否定したのは羞恥の為だ。辺りに人がいないことを思い出してからは小さな声で同意している辺り、アルフは凪にホの字である。
順調にハーレムを形成していることを実感しながらも対峙した魔物を観察する。
「犬畜生じゃねぇか。 しかも無駄に神々しい特典付き」
「スゴい神性…魔皇姫が黒だとしたらこっちは白だね」
銀色の毛並みを湛えた犬。本当は狼なのだが凪達には犬との区別が付かないので便宜上犬と仮定する。体長は目測で十メートル程。地面から背中の頂点までの高さも同じ位の犬がそこにいた。
「…なんだろ、選択を間違えた気がしないでもない」
溢れる雰囲気は魔皇姫の比ではない。絶対強者の風格がそこにはある。剥き出しの鋭い犬歯、全てを見透かす力強い眼光。地に立つ脚は全てを踏み潰す迫力が備わっている。
「魔皇姫が産む魔物ってのはどんな魔物が多いんだ?」
「さぁ? 私には分からないけど…」
「嫌な予感しかしないんだが」
未だに動きを起こさない存在を前に悠長な態度を取る二人だがこれでも細心の注意を払っている方だ。現に凪の右手は黒刀に添えられ、アルフも油断なく犬の動向に目を向けている。
「こいつを倒すことも任務の一つだろ?」
「これが魔皇姫から生まれた存在ならそうだね」
「じゃ、やるか」
特務の内容は魔皇姫への攻撃と魔皇姫が産む魔物を殲滅することだ。自身に課せられた任務を完遂する為に凪が動こうとするが。
「ちょっと待って」
「なんだよ」
「さっきまでは触手だったからどうでもよかったけど、魔物とはいえ命だよ? ナギ君にそれを殺すこと出来る?」
倫理観の問題を提議するアルフに凪が押し黙る。
「ナギ君のいた世界は平和だったんだよね? それこそ命を奪うようなことをしたことがない程に。 そんな人がいきなり命を奪うことが出来るの?」
アルフの言うことは尤もである。魔物という認識があってもその姿は巨大な犬と大差ない。日本で動物は愛護法によって守られた存在であり、それを害することは触法行為に当たり、普通に捕まる。既に土台が出来てそれが当然の世界で生きてきた凪に何かを殺すことが出来るのか、アルフの心配はそれである。
触法は姿形からして躊躇いはない。これがスライムや害虫の見た目をしていたらアルフも黙っていただろう。この世界でも普通に飼われている犬の姿をした魔物が出た故にアルフも口を出したのだ。
「問題ない」
「ホントに?」
「あぁ」
窺うようにこちらを見るアルフへ顔を向けることなく杞憂だと切り捨てる。その顔に迷いはなく、現実を見据えている。
「どうしてそんな断言出来るの?」
「この世界に来てからナニカが俺を侵食しているんだ。 それはゆっくりと俺に侵入し思い出や過去を食い潰し、この世界で生きる上で不必要なモノを消し去っている。 人を殺したくない忌避感も現実に戻りたい切望も今の俺には無い」
ゆっくりと目を閉じ、夢想する。朧げな、あやふやな記憶しか思い出すことが出来ない。日本にいた頃の自分が何をしてどうやって生きていたのか、明確に思い出すことが難しくなってきていた。
「心配するな。 何も変わるつもりはないさ。 俺は俺だ。 それ以外の何者でもない」
心配そうにこちらを見つめるアルフを直視し、笑う。無理をしていない自然体の笑みにアルフも安心したように笑い、眼前の敵を見つめた。
「アルフ、牽制と様子見がてら魔法を頼む」
「どんな魔法がいい?」
「そうだな…属性への耐性があるかもしれないしそこら辺を調べる為にもとりあえず炎とか氷とか雷とか?」
「おっけー、任せてよ! ちょっと本気出すよ〜」
魔法を発動する際には特に制約は存在しない。今までの戦いの中でアルフが魔法を使う時はただ無造作に立っていただけである。
だがここにきて初めて動作を込みで魔法を展開させていくアルフに今までとは違った魔法が展開されるのを確信する。それは言葉通りにアルフの本気に近い魔法だった。
虹色の魔法陣が総計五十になって大小様々な規模で空間を埋め尽くすようにして展開。
「星が壊れない程度には抑えるけど、覚悟してねー」
言語が伝わるかは分からないが声を掛ける。その声を合図に全ての魔法陣からありとあらゆる現象を伴った魔法が射出される。炎雷、氷雪、爆雷、水雷、深炎、業火、黒炎、迅雷。表現出来る言葉が足りなくなる程の現象が一直線に、時折歪な動きで犬を襲う。
着弾と同時に爆音。世界の許容範囲を超えた一撃は空間を歪ませ、因果律が狂い、多重世界にまで影響を及ぼす。
爆風に吹き飛ばれそうになるが黒刀を地面に突き刺して何とか堪える。爆音で鼓膜が破れ、三半規管にも影響が出たのか、平行感覚が狂う。
それを察知したアルフが直ぐに回復魔法を発動。互いに無傷のまま、黒煙が昇る目の前を眺める。
「いや、やりすぎだろ」
「そう? まだまだ抑えている方なんだけど」
「思いっきり空間が歪んでたからね、ヤバイからね」
再び魔法を発動。荒れ狂う突風が煙を吹き飛ばして全貌を明らかにさせる。
「無傷…」
「んー、やっぱりもっと出力を上げた方が良かったかなぁ」
変わらない毛並みを湛えた犬は初めの場所から動いていない。その体に傷はなく、埃や乱れも存在しない。ただ悠然と立ち、こちらを見ている。
「………犬さーん?」
「ちょ! ナギ君!? 何してんのさ!」
「や、神話級が効かないってことは実質詰みじゃん。 それに見た目が賢そうだからもしかすると意思の疎通が可能かなって」
『犬ではない、狼だ』
「ほれみ、可能じゃんってええええ?!」
「自分で驚いてどーすんのよ!!」
底から響くような重低音、渋い声が聞こえる。狼だと訂正する犬は人間にはよく分からない表情でこちらを見ていた。
『先の攻撃、なかなか見事だったぞ。 小娘、名は?』
「え…アルフ、ですけど….」
唐突に始まった和やかにすら感じられる会話にアルフの思考が追いつかない。考えることを放棄してとりあえずは質問に答えることに専念しようと内心で決意。凪は開いた口を塞いでいない。
『ふむ…深淵の如き魔力量、それに天賦の才。 あれでもまだまだ序の口といったところか』
冷静に分析を進める犬の口は動いていない。思念のような物で会話をしているのか、その声は耳にではなく脳内に響く。
『貴様は? 何者だ』
「…や、まず狼さんは?」
この場において相手の機嫌を損ねることは死に直結する。神話級魔法が効かない相手を凪一人でどうにかすることなど不可能である。
『む、確かに自己紹介がまだであったな。 我が名はウルフェス。 神狼と人は呼んでいた』
「ししししししんろう!!?」
「ご丁寧にありがとうございます。 俺は遠野凪。 別世界から来た流れ者です」
相手が遥か雲の上にいる格上であることを理解した凪の口調が正しくなる。ウルフェスの自己紹介を聞いたアルフが理解出来ない行動をしているがそれを無視して話を進める。
「それでどうしてウルフェスさんは魔皇姫から?」
『こやつの体内は様々な世界に繋がっておっての。 少し次元を越えて別世界の用事をこなしておった。 ………空気の匂いから察するに数千年程かの』
「別世界に? …そこに俺の世界は?!」
『ふむ、日本かね?』
凪のこれまでの言動には日本だと察することが出来るだけの証拠はない。にもかかわらず鋭敏過ぎる洞察力は凪の出身地を的確に見抜き確認を問う。ウルフェスの言葉に大きく頷き、答えを待つ。
色々と疑問は生じるがそもそも異世界で常識が通用するとは思っていない。惚けたツラのアルフを放置し、感じる疑問は全て置き去りに、そんなものだと無理やり納得して話を進めた凪は冷静に、見ようによっては自暴自棄になりながら話を進める。




