60話『難題』
戦闘開始から数時間。凪は疲弊していた。自身の肉体強化に加え、能力の使用の為に常に想像し続けることが苦痛となってきていた。幾度も幾度も繰り返さされる触手を攻撃する想像は凪の脳を疲弊させるのに充分な回数が行われている。
「………」
言葉すら出すのが疲れるといった具合だ。死んだ目でひたすら迫り来る触手を攻撃し攻撃し攻撃する。単調にして流れ作業にもなりつつある行為が凪の体力と精神力を大幅に削っていた。
「…鬼哭剣の影響範囲は操作出来てるんだよな」
力任せな戦闘を行うルティシアだが近場に鬼哭剣がある。本来なら鬼哭剣の能力により戦闘力が吸われてしまい、充分な力を発揮することが出来ないのだが戦闘開始前にシャーロットからそのことを指摘されていた。
鬼哭剣の能力は操作可能であると。今回だけ特別に能力が及ぶ範囲を狭めるからルティーは全力を出してくれと。
気を遣ったシャーロットの発言にルティシアは軽く頷くだけに留めた。
「………全力? あれが全力?」
ルティシアはこの戦闘中、一度も魔力を使用していない。それは即ち、生身の身体能力だけで戦っているということだった。
「あいつが本気出しゃ終わるだろ…うん、間違いなく終わる」
肉体強化は術者本人が生来持っている身体能力を強化する技だ。強化する倍率はそもそもの身体能力に大きく起因している為、生身の体が強ければ強い程肉体強化の影響が大きくなる。つまり鬼族であるルティシアが肉体強化を行った時、どこまで強くなれるのか未知数であった。
横たわるリアムを囲むようにして陣を組む四人。それぞれの顔を眺めれば事態がどれだけ悪い方向へ向かっているのかが良く分かった。
シャーロットの力が尽きるのは最早時間の問題だ。肩で大きく息をしながら剣を振っている。足がフラつき上体も不確かだ。その証拠に取り零す触手が増えていた。それをカバーするルティシアは普段と変わらず無表情だ。シャーロットのカバーだけではなく、アルフや凪の取り零した触手を光速の如く動きで瞬く間に殲滅していた。
「………アルフ」
「なに!」
アルフがこの戦いで使った魔法は既に数千近い。一度の発動で数百の上級魔法を同時展開、隙あらば古代級が空を埋める勢いで展開されていた。常人なら不可能な数の魔法を行使し、使用した魔力量も国一つでは足りない程に大きい。それでもその顔に疲労は見えず、ただひたすら対処に追われていた。
「みんな集まってるしここらでちょっと大きな魔法頼める?」
周囲を気にする必要がない今ならば思う存分にその力を振るうことが出来る。
「了解! みんな伏せてっ!」
極大の魔法陣が上空に展開。それを確認して一斉に対処を放り出して全員が伏せる。虹色の魔法陣が発動される。
「おおー」
リアムを中心とした一行は円のようになっている。三角の角に立つようにして凪とアルフ、シャーロットが立ち、ルティシアは辺りを動き回るようにして陣が敷かれていた。その円の外は触手が埋め尽くす。
アルフの魔法が発動した瞬間、円の外の地面が陥没、重力を操作する魔法らしく、触手が地に墜ちる。もがくように動くが重力から逃れることは出来ない。
「まだまだーっ!」
上空に展開されている魔法陣から一つの光球が出てくる。太陽にも似た揺らめきを湛えたそれは自然界には存在しないであろう温度を以って触手を殲滅に当たる。
降り注ぐ数百条の熱線は触れた触手を融解させ、例え触れていなくとも分子から沸騰させて生命活動を阻止。地面に突き刺さっても熱線はその超超高温で阻害する何物をも焼き尽くして地に穴を大量生産する。
タンパク質が焼ける匂いが辺りを充満。その匂いに顔を顰めながら凪が立ち上がる。
「景色が開けたな」
数千、数万の触手が一度に消えたことで目の前の障害物が無くなった。見るのが久しぶりにすら感じられる魔皇姫が鎮座していた。
大部分の触手が消え、残った触手は意に介さない程度の脅威でしかない。ルティシアがすぐさま神話級魔法の範囲から逃れていた触手を殲滅する。
「………ごめんなさい、もう魔力切れですの」
「お疲れさん」
「大丈夫? どっか怪我してない?」
「………」
リアムは依然目を覚まさない。へたり込むシャーロットは最早使い物にならない。
「ルティ、肉体強化は出来るよな?」
「…もち」
「今、してるか?」
首を横に振り、否定するルティシアを目にした凪の頭が高速で回転する。
周囲には触手の姿は見えない。一通りの触手を殲滅出来たアルフの神話級魔法にはどれだけの威力秘められており、どれだけの範囲をカバーすることが出来ていたのか、その詳細は知るだけ無駄だろう。
魔皇姫本体からは既に何百もの触手が伸び始めている。このままでは先程と同じ状況になるだけだ。ここで一手を打たない限り、現状は何も変わらないし変えられない。
残った戦力はアルフとルティシア、そして凪の三人。
「…ルティ、肉体強化をしてあれの相手、出来るか?」
「…うん。 ナギは?」
「ちょっと休憩しようと思ってたんだけどな…」
渋い顔で魔皇姫の遥か後方へ目をやる。強化された視力が捉えたのは魔皇姫とはまた違った別の魔物の姿。
「こいつ、産卵したみたいだから生まれた魔物の相手をアルフと一緒にしてくるわ。 リアムとシャーロットの二人を守りながらになるけど頼めるな?」
お願いではなく確認。凪の言葉とは裏腹にその顔は拒否することを許さない雰囲気だ。
「私一人の方がやりやすいんだけどー」
「アルフ一人じゃ至近距離にまで来た相手に対応出来ないから仕方ないだろ。 その為に俺がわざわざ戦ってやるんだから」
「………私は問題ないけど…平気?」
凪以外には見せることのない、憂いを帯びた表情。心配そうに見つめるルティシアを鼻で笑い一蹴する。
「俺を誰だと思ってる? 遠野さんだぞ?」
友人と会話している際や教室で楽しくみんなが話している時、たまに静寂が訪れる時がある。一瞬だけみんなが話すことを止め、静かになるのだ。科学的に説明出来る現象の一つだが古くから迷信として妖怪の仕業であると各地に残っている。
そして今、そんな静寂が場を支配した。
「…じゃ、行くぞアルフ」
そもそも笑いのツボが分からない異世界人を相手にボケたことが間違いであったことを認識しながら先程までのことを無かったかのように進める凪。その頬を羞恥で薄っすらと赤い。
「気をつけて」
「ルティシアもね! 杞憂だと思うけど一応油断しないで」
本体から伸びる触手を振り払いながら肉体強化で颯爽と駆ける。ルティシアはそんな二人を見送りながら一抹の不安を覚えた。
「…大丈夫かな」
感じた気持ちを口に出してから思わず失笑する。鬼族の自分が誰かを心配している現状に。
凪と行動を共にするようになってルティシアは大きく変わった。他人と接する機会も増え、口を開く回数も以前と比べたら遥かに多い。感情を表に出すことも増えて初めて知る気持ちもあった。
そんな自分を認めてくれて、忌避することなく接してくれる人も徐々にだが増えてきた。その全てに共通しているのは凪が関係していることだ。
「………」
二人の背中を追う触手を手刀で寸断。自分を、世界を変えてくれた愛おしい人へ目を向けて祈る。どうか何事もありませんようにと。
「…久し振りに本気を出してみる」
肉体強化を図って戦闘したのは過去に何度かある。それらは幼い頃に人類から抹殺されそうになった時だ。己の命を守る為に戦った時だ。
「誰かの為に戦う…」
背中へ目を向ければ横たわるリアムと心配そうにこちらを見るシャーロット。戦うことが出来なくなった二人に触手が襲い掛かれば間違いなく待っているのは死だ。
「………ふふん」
凪の期待に応える為、仲間を守る為、ルティシアは戦う。背負った物の重さを心地良く感じながら、軽くなった心と体で魔皇姫を見据える。




