54話『魔境』
結局あれからろくな説明も話し合いも出来ず、ただの口論に成り果てた会話をするという時間を過ごし、約束の時刻になってしまった。
熱くなった三人を宥め、落ち着かせ、冷静に考えさせてから凪は文句を言う。正論で固められた凪の言葉に三人は終始謝罪の言葉を吐き続けた。何も情報が得られずに特務へ挑むことになったが、それでも良いかと思っている自分もいた。
(世の中そんなもんだし。 先の分かる人生なんざつまらんだけだし)
先が見えないからこそ楽しい。不幸があるからこそ幸福がある。谷がなければ山は出来ない。凪の考えはそれに基づいている。
人は幸せだけでは生きていけない。そこに不幸というスパイスを加えることによって日々が輝き、毎日を過ごすことが出来るのだ。これが不幸だけになれば人は自ら命を絶ち、幸せだけになってしまえば人として屑になる。
痛みを知ってるからこそ、弱者へ優しく出来る。不幸を体験してるからこそ、幸せを噛み締めることが出来る。要はメリハリである。平坦な人生はつまらないと考える、凪独特の人生観だ。
「用意は出来たかな?」
二度目の学園長室。用意と言っても大したことではない。少しばかりの食料と水、それと戦う用意だ。並んだ五人で帯剣しているのはリアムだけ。凪とシャーロットは鞄だけで鬼哭剣と黒刀は持っていない。
「ナギ君、あの黒刀は?」
「呼べば来るし」
「同じく、ですの」
アルフも上の二人と同じく鞄一つ。ルティシアに至っては何も持っていない、文字通り丸腰である。
「…まぁ、アルフ君がいればどうにでもなる、か」
そもそも転移の魔法と簡単に言っても展開し発動出来る人間は皇国内でも把握している人数は少ない。また転移の魔法は移動距離によって消費される魔力が増減する上に基準とされる減少魔力が膨大。そのうえ高い魔法適正値と本人のセンスによって左右される為、使える人間は本当に希少である。
アルフはその全ての合格点、基準点の遥か上に君臨している。距離も人数も莫大な魔力を前にした時、無意味になる。
「アルフ君」
「はい、学園長」
並び立つ状態からアルフが一歩前に。服装も全員制服姿であり、何も知らない人間から見ればただの遠足の風景でしかない。
「魔の森に入る入り口付近に転移魔法陣が設置してあるからとりあえずそこまで転移するよ。 みんな、捕まってくれる?」
凪はアルフの右腕を絡めるようにして取り、空いた凪の腕にルティシアがしがみつく。
「シャーロット嬢、失礼するよ」
残ったアルフの左腕にはシャーロット。そのシャーロットにはリアムがほんの少しだけ触れた。
「では学園長。 行ってきます」
「あぁ、頼むよ」
虹色に輝く魔法陣が五人の足元に浮かぶ。指輪と同じ、景色の歪みから始まり、やがて学園長室の背景が何とも言えない光景へと変化、再構築が始まる。
気分的にはいつもの面子と変わらない人員の為、イマイチ緊張感が出せずに凪の初めての特務が始まりを告げた。
「ここが魔の森、ね」
再構成された世界。凪の目の前に広がる景色はどこまでも続く、森だった。左を向けば終わりの見えない森の縁、右を見ても同様の景色が広がっている。
少なく見積もっても樹齢数百年は経っている、巨木。それがどこまでも続いているのだ。壮観の一言である。
「立ち入り禁止区域に指定されている森だ、勿論普通の木とは違うんだろ?」
「そうですの。 生長速度は通常の数十倍。 さらにその巨木一本一本が生きてますの」
序列一位の恩恵に禁止書物の閲覧が可能になる項目がある。シャーロットは既にそこから事前知識を得ており、凪の疑問に答えれるだけの解答を持ち合わせていた。
「生きてるってーと、この巨木が動くとか?」
笑いながら話す内容は当然冗談だと凪は思っている。しかし真顔を崩さないシャーロットに流石の凪も笑えなくなる。
「…マジ?」
「マジですの。 迂闊に近付くと攻撃されますの」
思わず木から一歩離れる。
「この森の奥に魔皇姫ってはいるんだよな?」
「はいですの」
「この巨木が攻撃してくるんだよな?」
「生きていれば無差別に」
「………無理じゃね?」
森と呼ばれるだけあって、生える巨木の密度はかなり高い。根っこの部分や枝のことを考えればこんなに近付いて自生するなど有り得ないのだがそもそも普通の木ではない為に常識は通用しない。
「そもそも魔の森ってどうしてそう呼ばれるようになったんだ?」
「色々と理由はありますけど、この森自体が未だに生長していることや魔皇姫の存在があるからというのが有力ですの。 …二位の権限でもある程度は魔の森に関する情報の閲覧が可能だったはずですわ。 リアムは何をしていたんですの」
かつての二位に向ける猜疑の瞳。魔の森と呼ばれる所以を聞いたリアムが狼狽する。
「き、貴族は何かと忙しくてだね」
「都合のいい時だけ貴族を全面に押し出すの止めてくださいですの」
言い訳をばっさりと斬り捨てられ、リアムが項垂れる。以降、墓穴を掘らない為に彼の口数が減ることになる。
「………生長してる」
立ち並ぶ巨木を眺めながら今まで黙っていたルティシアが呟く。
「今シャーロットが言ってたろ、聞こえてなかったのか?」
「違う」
「…ルティーの言う通り、この森は日々その範囲を拡大させてますの」
行ったことはあっても情報としては無知なアルフはシャーロットの言葉に終始耳を傾けている。一行は木々を眺めながら、シャーロットの言葉に耳を澄ませる。
「魔の森は遥か昔、小さな林程度の規模でしかなかった。 当時の子供達の格好の遊び場として近隣に住む住人から親しまれていたらしいですの」
田舎で良く見る光景だ。自然豊かな環境で育った子供は虫も触れ、木登りも得意という子供が多い。極少数だが高い建物が存在しない田舎故に風の流れを読み、天候の変化を予言することも出来る者もいる。現代では燕が低空飛行をしていると天気が荒れるという迷信も存在する。
「その小さな林の中心には大きな大きな巨木が聳えていたらしいですの。 その大きな巨木は御神木として近隣から崇め、讃え、そして護られていたんですの」
災害にも負けず、人の手も及ばずに育った木は後世においてその名を轟かすことが多い。屋久杉がその例になる。得てして長年を生きたそういう巨木には不思議な力が宿る。
「神の木と呼ばれたそれはどんな時代も世界を見つめ続けていた」
聳え立つ巨木は世界を睥睨する程の大きさがあったという。天を突くその木は雲にまで達し、人間の視力では幹しか視認することが出来ず、その上に茂る枝を、葉を見たことは誰もない。
「ですが…」
言葉を区切り、改めてシャーロットが周囲へ目を向ける。普通の木とは違う魔の森に生える木はその雰囲気から既におかしい。禍々しい空気を湛え、通常の木と比べて若干黒みがかっている。
「人間同士の争い、獣人との争い、鬼族との争い。 世界に血が流れ、その血を神の木が吸ってしまった」
世界に聳える巨木はその大きさに比例して地中にも巨大な根を張っている。その根は世界中の地面にまで広がっており、そして世界に流れる血を吸った。
「その結果、神の木は穢れてしまいましたの。 そして穢れた神の木は周囲の木々にも悪影響を及ぼし、魔の森が生まれた」
凪達の目の前に聳える巨木。その大きさ故に空を見上げても中心に聳えるという神の木を見ることは出来ない。
「いつの世もどこの世界も人ってのは傲慢なんだよ」
二つの世界を知っている凪の言葉には説得力が溢れていた。その言葉に四人は押し黙る。
「昔話はお終いですの。 今は過去のことよりも現在のことに目を向けるべきですの」
「シャーロット嬢の言う通りだ。 とりあえずどうやって魔の森の内部に入るかって問題だが…」
リアムが魔の森へ近付くと巨木から枝が触手のように伸びてくる。それを斬り払うと更にその数を増やして伸びてきた。
「見ての通り、普通に掻き分けて入る訳にはいかないな」
「拘束されるだけならまだしも、血を吸われ続けると死んじゃうからみんなも気をつけてね。 …シャロの言ってた通り、だから血を吸ってくるのかな」
「今は世界の成り立ちなんざどうだっていい」
伸びる枝は獲物を捕まえると雁字搦めにしてその身動きを取れなくする。そして自由の利かない獲物に鋭く尖った枝を突き刺し、吸血するのだ。魔の森の内部には隠れて浸入した馬鹿の乾燥死体がいくつも転がっている。
「私の魔法で何とか出来るかな?」
「アルフ嬢の使える魔法の中にこの状況で有効な魔法があるのかい?」
「焼け野原にしてみる?」
思案気なアルフから発言。スケールの大き過ぎるその提案にシャーロットが慌てて制す。
「この森はゼクシオ国との国境付近にありますの! それが焼け野原になってしまったら外交上問題が起きますから止めて下さいですの!」
「良い案だと思ったんだけどなぁ…」
外交云々の前に未だに肥大し続ける森が皇国を飲み込んでしまっては本末転倒である。そんな数百年先の未来はどうでもいいのか、目先の利益のみを重視したシャーロットだ。
「とりあえず中心部まで真っ直ぐ焼き払えばいいんじゃね? どうせ暫くしたらまた生えてくるんだろ?」
「それは…そうですけど…」
「アルフ、やってくれ」
否定出来るだけの材料が無いのか、言葉を濁らせるシャーロットを一瞥、アルフへ促す。
一行の頭上に特大の魔法陣が出現。虹色の魔法陣は甲高い音を鳴らしながら回転。
「伏せててね〜」
のんびりした口調とは対照的に込められている魔力は膨大だ。
通常の魔法に必要な魔力を仮に百だとするとその百を満たすことによって本来の魔法が発動される。これが少ないと思い通りの展開にならず、不発や思い描いた事象とは異なった現象が引き起こされることもある。百よりも多く魔力を使っても威力が強化されることは普通は無い、そう考えられている。
アルフの場合、百の魔力が必要な魔法に対して込める魔力はその何十倍である。百必要なら数千万、五十必要なら数百万、数千必要なら数億といった具合に過剰過ぎる魔力を込めている。当然魔力の無駄遣いであり、早々に魔力切れを起こしてしまうのだがアルフの場合はそうならない。桁が違う、次元の違う魔力量を保有している為だ。
そして許容範囲を遙かに超えた魔力量で発動される魔法は想定される威力の何倍にも膨れ上がって世界に顕現する。多少魔力を多めに込めた所で威力に変化は起きないのだが桁の違う魔力量を込められてはそういかなかった。
展開されていく虹色の魔法陣から圧倒的な熱量と質量を誇った熱線が射出。側で見ているだけでも肌を焼かれるその超高温に凪達が慌てて避難する。その熱線は木々に触れる前に対象を蒸発させ、一直線に飛んでいく。
全てが終わった時、真っ黒に染まった地面と木々達が焼失したことにより出来た一本道しか残らなかった。




