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40話『特務』

「…おかえり」


「ナギ君、起きてたんだ」



時刻は草木も眠る丑三つ時。ベッドから体を起こしてアルフを出迎えた凪の横には当然のようにルティシアが眠っている。


女の子と同じ布団で眠ることを人は据え膳喰わねば男の恥と言う。日本にいた頃の凪なら間違いなく襲っているし、他の男でも必ず襲う。そもそも男と二人で同じ布団やベッドで寝るとはそういうことなのだ。事に及ぼうとすると途端に嫌がる感違い女子は死滅した方がいい、それが凪の持論である。


だったら最初から来るな。実際にこの言葉を吐いて叩かれた経験のある凪は今の状況を素直に楽しめない自分の体に嫌気が刺していた。


性欲が微塵も湧かないのだ。食欲、睡眠欲と並び立つ、人間の三大欲求の一つである性欲は年頃の男には他の二つよりも時に優先したくなる程、猛烈に掻き立て

、人を狂わせる。



「…どこ、行ってたんだ?」



他に逸れた意識を戻し、目の前に思考を集中させる。照明の消えた室内を照らすのは窓から射す月明かりのみだ。人工味を感じさせない優しい明かりがアルフの横顔を染める。



「んー? ちょっと用事でね。 学園の外に行ってたんだ」



いそいそと寝間着に着替えたアルフが髪を梳かし、寝る準備を始める。今から寝ても数時間しか眠ることは出来ないがそれは凪も同じである。


アルフの長い金髪はたまに一つに結わえられる。規則性は無く、完全に彼女の気分で決められる髪型は凪にとって、密かな運試しになっていた。アルフが髪を下ろしている時は普通で束ねている時は良いことがある。そんな風に内心で決めていた。


現実はそんなに上手くはいかないのだが。


軽い口調で話すアルフとは対照的に、凪は固い声で話す。感情の抜けた表情で、冷静に。



「………特務」


「………………」



ルティシアが起きないようにと配慮された小さな呟きは静かな部屋に思いの外響いた。



「ルティから聞いたよ。 武道大会の途中、抜けたのも特務だろ? そして今日も。 違うか?」



アルフが何も言わずにちょくちょく消えていることはこれまでも良くあった。四六時中一緒に行動している訳ではないので、特に気にはしていなかったが裏の事情を知ってしまった今、気になって仕方なかった。


ルティシアの手前、興味が無いように振舞っていたが実際は興味津々だった。好奇心は猫をも殺すと言うがアルフに関係することなら凪は知りたかった。



「………………そう、だよ」



押し殺すように呟かれた返事は凪にとってどういう意味を持つのか、アルフには分からない。



「…人を殺したのか?」


「………うん」



序列上位の人間はみんな癖がある。マーカスは馬鹿、シャーロットは戦闘狂、そして普通に見えるアルフは凪にとって当たり前の部分が欠落していた。


それは道徳性。倫理観。命の尊さ。


幼い頃の体験が人格形成を崩し、その後の人生が彼女の価値観を大きく歪めてしまった。もう、戻れない程に。



「武道大会の時は他国の偉い人を殺したよ」



厳密には違う。ただ殺したのではなく、大量に殺した、が正しい表現だ。


この世界では飛行船技術が発達している。希少な鉱石と様々な魔法と職人の手による技術、それらを複合した魔法飛行船だ。それなりのお値段になるので民間で所有しているのは荷物の輸送を生業とした企業や人間を運搬する企業が大多数を占める。各国でも王族や上層部専用の飛行船を所有している他、軍でも軍事作戦で使用する際にと幾つか保有している。


武道大会があった日、アルフは一人抜け出して他国の人間が大勢乗ってきた飛行船の一つに魔法を仕掛けた。時限式の爆破魔法は大会終了後、帰国途中の飛行船を綺麗な花火に変えた。これだけでも乗組員を十数名、客員を数十名と三桁に届く勢いの命を奪っている。


それでもアルフには何も響かない。彼女にとって世界とは弱肉強食であり、弱いから死に、強いから生き残る、ただそれだけだった。


アルフの中に一歩踏み出していることを察知。引かれたラインを越え、凪はアルフの心に迫る。



「軽蔑した?」


「ああ、した」



普通なら否定する、それが主人公の当然の反応。だが凪はその真逆である、肯定をする。それも即答だ。


まさか即答されるとは思っていなかったアルフも思わずたじろぐ。それでも、凪の出した答えに少しばかり表情が沈んでいた。しかし、続く言葉に沈んでいた表情が理解出来ないといった表情に変わる。



「俺に黙っていたことを軽蔑するわ」


「…そ、それは訊かれなかったから」


「訊かれなきゃお前は何も言わないんか? 知られたことに多少なりに何か湧かなかったか? 罪悪感をほんのちょっとでも感じなかったのか?」


「それは….」


「くだらん。 人を殺した? だからなんだよ。 手が汚れている? 洗ってこいや。 殺人者? あっそ、で?」



矢継ぎ早に告げられる言葉にアルフは二の句を告げることが出来ない。押し黙ったまま静かになったアルフを見て、凪はさらに言葉を重ねる。


正論で圧殺することも確かに可能だ。しかし、正論ばかりで人を押し付けると反発を生む。相手の主張の一部を汲み取った上で自分の意見を伝え、やんわりと相手の矛先を挿げ替える。ディベートではよくある手法であり、応用すれば依存状態や軽い洗脳も可能だ。



「くだらん。 くだらんくだらんくだらん。 お前が人を殺したとかどうでもいいわ。 んなどうでもいいことでいちいち態度を変えねぇわ、めんどくせぇ」



荒い言葉遣いではあるが声量は静かだ。興奮していてもルティシアを気遣えるだけの冷静さを併せ持っている証拠だった。



「俺の嫌いな人間のタイプの一つにバカが入っている。てめぇの勝手な価値観と先入観で相手の性格を決めつけて嫌われたくないからとかほざくバカだ。 くだらん。 いいか、アルフ」



名前を呼ばれたことにより、俯いていたアルフが顔を上げる。月明かりがアルフの目尻を光らせ、嗜虐心を唆られる光景であった。


努めて、優しい声音で、ゆっくりと話す凪。アルフの心に染み渡るよう、アルフの感情を溶かすよう、その言葉は確かにアルフの中に染み込んでいった。



「俺をこの世界で生きていけるようにしてくれたのはお前なんだ。 俺を助け、導いてくれたアルフ、お前だけなんだよ。 他の奴に発見されていたら俺はどうなっていた? 奴隷か? 見世物? 殺されていた? なぁアルフ…俺は何があってもお前を嫌いになんかならない。 絶対にだ」



区切り、大きく深呼吸。




「世界がお前を見捨てても俺はお前を見捨てない。 約束してやるよ」




堕ちた。どこか確信染みた凪の直感はアルフの顔を見れば正解であることが分かる。顔が真っ赤なのだ。


洗脳する際に使用される、相手の全てを否定し、その上で自分だけは分かっている、自分だけは味方でいてあげるという、いわば飴と鞭。その鞭を与えないまま飴を与え、警戒心を解く。そして甘い言葉で相手の隙間に入り込み、心の片隅に残る。普段は影響しないが、心が弱った時、その残った言葉が大いに影響を及ぼすのだ。


理論は確立していない、凪の体験と経験と知識で作られたハリボテのテクニックである。しかし、今のアルフには絶大な効果を与えた。



「……………ホント、ナギ君っておかしいよね」


「気付くのがおせぇよ。 俺と目が合ったその瞬間に理解しなきゃダメだろ?」



よく分からない方向性に自信過剰な発言をする凪にアルフは微笑みで返す。良くも悪くも凪とはこういった性格で、こういった存在であることをアルフは実感した。


無駄に自信家で、無駄に空気を読まない。重たい雰囲気の場合は敢えてその雰囲気を軽くするように戯ける、端的に言えばピエロだった。



「………うん、ありがと」



凪が言ったのはアルフのことなど微塵も考えていない、自分の主張だけである。それでもアルフは感謝の言葉を口にする。アルフ自身も何に対して感謝しているのかは分かっていない。それでも、今はそうしたい気分だったのだ。



「よく分かってるな。 そこで謝るようなバカだったら見捨ててたわ」



謝罪の言葉ではなく、感謝の言葉を告げるアルフに凪の好感度が上がる。謝りの言葉は一回で充分だ、いつまでも謝罪を続けるバカは凪の嫌いなタイプである。



「あれ、見捨てないんじゃないの?」


「俺が嫌がることをお前がしない限りは、な」


「なにそれー」



いつもの空気、いつものアルフに戻っていることを確認して凪は安堵する。いつまでも気不味い雰囲気は嫌なのだ。


ちなみに凪がされて嫌がることはほぼ皆無な為、見捨てることはほぼあり得ない。そして自分がされて嫌なことは他人にはしない主義の凪はそれ故に相手に対してなんでもする。相手が嫌がっても自分はされても嫌ではないのでする。だから友達が少なかった。そしてその数少ない友人を大切にしていた。



「さぁ、もう遅い。 寝ようか」



空は既に赤みが掛かっている。明け方まで話し込んでいたことに若干の驚きを感じながらも明日、厳密に言えば今日だが、睡眠を促す。


人は多少の飢えは我慢出来る。水も食料も無くても数週間は生き延びる。しかし、睡眠は別だった。人は寝なくては死ぬ。頭がおかしくなって廃人と化すのだ。


そんな大切な睡眠の為、凪は丸くなる。丸くなる姿勢で寝るのは胎児の頃の記憶がそうさせるという有力な一説が残っているが凪はそれを信じていない。


隣で熟睡しているルティシアの頭を撫でると気持ち良さそうにしていた。



「あ、ちょっと待って」


「?」



待機を促すアルフに凪が怪訝な顔を向けると。



「………は?」


「なんとなく、したくなったの。 じゃ、おやすみ」



ほっぺたにキスをされた。

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