37話『ルティシア・ヴァレスティアの場合』
「さ、ヤろう」
「違う意味に聞こえんだけど」
「気のせい」
満室だった訓練室、その一室をルティシアに入った瞬間、蜘蛛の子を散らすようにして男女が逃げ去った。どうやら蜜月の邪魔をしてしまったようだった。
現在進行形でランキング戦が行われているのもあるが多くはランキング戦の為、訓練を行う生真面目な集団が占拠していた。ランキング次第で学園内での立ち位置が変わるので一部のカースト下位の人間は死に物狂いで頑張っている。また上位に食い込めなくても中堅の位置に入れば学費や食堂代に多少の恩恵が出る。それもあって食欲旺盛な人間や金銭的に貧しい者も多くが頑張っていた。
「………本気でやんの?」
「もち」
「はぁ…わぁったよ」
ルティシアの意思が変わることはない。自分自身が戦闘への欲求不満なこともあるが凪の今の実力を知りたいという純粋な好奇心もあった。
既に決定事項になっていることを察した凪が諦観の境地に達する。
「………………」
「………待つ」
最早待って貰うのが当然になりつつある凪の肉体強化だが使い始めた初期と比べるとその精度と速度は随分と進歩している。反動を最低限に抑え、伝達効率を最適化し、速度を上げる。
それでもまだまだ実戦で使うには程遠いスピードだとルティシアは内心で判断。実戦では待って貰えないのだから。
「………っし、完了」
「完璧に?」
「反応速度まで上げてある。 今の俺が出来る、最高の肉体強化だ。 それで文句ないだろ?」
「………もち」
ルティシアでは治せる怪我に限度がある。欠損した部位までは治せないのだ。それを考慮して手加減することを決めた。
「おいで」
ベットの上で言われたら間違いなく理性を蹴飛ばして飛びかかるところだが今の状況はそんな甘ったるい空気ではない。張り詰めた糸が一本、そんな状況だ。
無論、ルティシアはそんなことを思っても感じてもいない。犬がじゃれついて来ている程度の認識でしかない。それだけの実力差が彼我にはあった。
それを理解した上で凪が一歩を踏み出す。初速で音速に到達し、地面を陥没させながら残像と共にルティシアに襲い掛かる。愚直に正面から攻めることはしない。左右に残像を残した上、人体の限界を超えた跳躍でルティシアの背後に回り、その勢いのまま足払いを掛ける。
この間、一秒にも満たない。だがルティシアはそれに反応する。膝下を破壊力抜群の凪の足が通ることを察知するや否や、一歩前進、結果、凪の足は空を斬る。
攻防の間、僅か一秒。瞬きをする僅かな時間でそれだけの動きがあった。
凪の動きが想定以上だったことを感じ、ルティシアが感嘆の声を内心で出す。
尚、光速の速度は出せない。というより出したらヤバい。この世界の法則がどうなってるのかは分からないが、日本で光速を出すと相対性理論に基づいて質量が無限となり、ブラックホールが精製され、地球は勿論太陽系までを数秒で飲み込んでしまう。
ちなみにこの際、ドップラー効果によりスターボウが発生するので綺麗な虹色が垣間見える。景色は一点に集約し、その様は綺麗の一言に尽きる。
「意外」
「そりゃこっちの台詞だ。 お前、生身の体でこの速度に反応したろ。 あり得ん…」
「想像以上。 強くなったんだ」
「………まぁ、な。 それでも負ける時は負けるさ」
アルフから聞いていた、凪の動き。聞いた話よりも精度が増し、練度が上昇し、無駄が少なくなっている。凪が腕を上げていることを間近で感じたルティシアはやはり自分の考えが間違っていなかったことを改めて悟る。
「………やっぱりナギは凄い」
「んなことねぇよ」
「私の目に、狂いはない」
凪が指先から魔力を抽出、合計十の黒球を放出する。ルティシアを取り囲むように全方位に展開、一瞬止まった後、逃げ場を無くすようにルティシア目掛けて迫ってくる。
(これが魔力の攻撃…)
直接痛むウィルトを見た訳ではなかった。だがアルフから聞く話では想像を絶する痛みがこれにより与えられていたという事実。ルティシアの中で興味が湧いた。
ウィルトと同じく、敢えて受ける。
「………想像してたよりも痛くない」
ルティシアを襲ったのはマッサージの感覚。全身の凝りが解されるような感覚だ。それを聞いた凪の顔が呆れ顔になる。
「お前の体はどーなってんだよ…あの速度で動いても体は壊れないし、魔力の攻撃も痛くないって…」
「………鬼族だから?」
「お前にも分かってねぇのかよ…規格外過ぎんだろ」
実際、鬼族と人間では体の構造に差異がある。細かく言えば骨密度や血管の太さ、心拍数や肺活量、魔力経路も全てが人間の上位互換とも言える程に頑強に出来ている。そしてそれを理解出来ている人はいない。
解剖学が発展してない故だ。
「…今度は私の番」
「おう、来いよ」
ルティシアが少しだけ、本当にほんの少しだけ、膝を曲げる。凪に確認出来たのはそれだけだった。
「………後ろにいるんだけど」
「…は?」
全ての認識反応が格段に上昇しているはずの凪にさえ視認出来ない速度でルティシアは凪の背後に回っていた。つまらなさそうに呟くルティシアに慌てて後ろを振り向くも既にいない。
「………前に戻ったよ?」
「…はああああ!?」
地面は割れていない。凪の強引な動きではなく、自然で流れる動作にして無理のない動きをしている証拠だ。音も気配も凪に感じさせることなく、一瞬にして動いてみせるルティシアに空いた口が閉じない。
「どうなってんだよお前の体…」
「………例えば」
呟いた直後にゆっくりとした動きでしゃがむ。そのままゆっくりと地面に手刀をする。
凪とルティシアの距離はおよそ五メートル。ルティシアの現在地から訓練室の壁までは数十メートル。凪の足元を通り過ぎ、壁まで亀裂が入る。
「こんなことも出来る」
何でもなさそうに行うルティシアの手には怪我が見受けられない。多少の土が付いただけだ。本当に力を入れずに地面を叩き割っていた。
「………いや、降参するよそりゃ。 マトモに戦う奴は頭がイかれてる」
「………それでも、弱点はある」
「弱点?」
「人類の英知の結晶。 鬼族に対抗する術。 それが鬼哭剣」
「きこく?」
「鬼が哭くと書いて」
「鬼哭?」
「そう、それ」
地面に漢字を書いて、字の確認を行う。本来は漢字を理解することは出来ないはずなのだがルティシアは苦もなく凪の示す漢字に理解を示した。
「その鬼哭剣があると鬼族にどう有効なん?」
「…鬼哭剣の一撃は鬼族の纏う鎧を裂き、武器を砕き、そして死に追いやる。 世界に数本しか存在しない、至高の宝剣」
「ふむ、凄さがよく分からん」
「鬼族に対する最終兵器。 鬼族が斬られて悲鳴を上げることから鬼哭と名付けられた………そう、書いてある」
「一族に伝わる書物的な?」
「そう」
その剣の存在がなかったら人類は絶滅していた。そう話すルティシアの表情はいつもと変わらない無表情だった。
「続き、ヤる」
「お、ちょっと待って」
「?」
「試したいことがあってね」
先程と同様に若干膝を曲げるルティシアにタイムを言い渡す。凪が試したいこと、それは棒の能力。
「………来い」
来るかどうかは凪も知らない。ただの厨二病で終わる可能性が過るが棒の未知数な能力に賭けて呼ぶ。
手を前の空間に突き出すとそのまま空間に亀裂が発生し、その中に凪の手が吸い込まれる。思わず叫んで手を引っ込めたくなる衝動に駆られるがグッと我慢し、無造作に中で何かを掴む。
手を引き出すと棒が入っていた。
「こんなことも出来たわ」
「…なかなか珍しい能力」
「そうなのか?」
「使用者を識別、その声に反応して剣が自分で動くのは希少」
思わず手の中の棒を見つめ、しげしげと眺める。相変わらず、光を反射しない純粋な黒で染められた棒は物を言わない。
再度適当に我流で構えてルティシアと対峙する。ただの暇潰しだが何か発見があるかもしれない。
ちょっとした期待を込めて、凪は棒を振った。




