29話『勝算』
「さて、と」
茹だるような熱気に包まれた武道大会、会場。初日を終えて二日目を迎えた今日、動員観客数は先日よりも確かに増えている。収容可能人数を大幅に超えた観客数は結果として立ち見が続出。席に座っていても落ち着いて試合観戦が出来ない程に密度が高くなっていた。
「行くか」
控え室を出て通用口を通る途中、過去の栄光を飾った絵画が壁に飾られている。およそ百枚のその絵画は美麗で荘厳な雰囲気を醸し出し、ただの通路を華やかに変化させる。一枚一枚に過去の優勝者が描かれ、その下に紹介文と名前を明記した盾が置いてある。通路の三割を占めて配置されているその盾は希少性の高い鉱石で作られており、その金額は国家予算並みだ。
それが理解出来ない凪はひたすら邪魔に思っていただけである。
四角い舞台、先に来ていたウィルトと対峙する。審判からの注意事項の説明を聞き流し、相対するウィルトを観察する。服装はゆったりとしたローブを羽織っていて某映画の魔法使いのような出で立ちだ。所持している杖がそれを一層際立たせる。柔和な微笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「はじめまして」
「あぁ、はじめまして」
「昨日はカイルがお世話になったようで、ありがとうございました」
選手紹介をするアナウンスが会場に響き渡る中、凪は柄にもなく緊張していた。
「知り合いなのか?」
「えぇ、同じ学園から僕も来ました。 級友です」
笑みを絶やさずに凪に答えるウィルトを一言で表すなら不気味。貼り付けられたその笑顔は胡散臭さ満載だ。
「昨日のカイルが訪問してきたのは偵察?」
「純粋に、あなたに興味があったんですよ、トオノナギさん」
凪の体に悪寒が走る。男にそんなことを言われて喜ぶ人間は特殊な性癖を除いて皆無だ。
「武器は良いのですか?」
「あぁ、必要ない。 むしろ使いたくても使えないのが本音だ」
武器を使った訓練もしてみたがやはり付け焼き刃感が拭えない。中途半端になるくらいなら最初から使わない方が効率がいい、そう判断して凪は武器を使うことを諦めた。
場外が騒がしくなる。試合の開始が間近になった証拠だ。審判の表情も厳しいものへ変化する。
「ウィルトです」
「知っている」
短い言葉で自己紹介を聞く。直後に響く、開始の合図と共に二回戦の幕が上がった。
♢
「ふぅ」
達人の域に達した人間は肉体強化に時間を掛けることはない。呼吸をするように当たり前に即座に強化を終わらせる。その時間で命を落とすことも少なくない為に戦線に出る人間は基本を徹底して練度を高めると言う。
素人の凪にはそんな短時間で強化を終えることが出来ない。慣れていないことも大きいが、何よりも神経系の強化には集中力と時間が必要だった。
「ナギさんが終わるまで待ってますので安心して強化をしてください」
ウィルトの優し気な言葉に凪の怒りが膨れ上がる。
「………舐めてんの?」
「とんでもない。 仮にもリンストン学園において序列五位のカイルを圧倒したあの肉体強化、それを近くで見たいだけです」
人はそれを舐めていると言うんだよ、喉まで出掛かったその言葉を無理矢理押し込む。深呼吸と共に怒気を吐き出す。自分とウィルトを客観視し、甘く見るのが当然だと判断。ならばその油断に甘えさせてもらうだけだ。
「………ん?」
昨日も練習した、肉体強化。いつものように全身へ魔力を走らせようとした時、違和感が凪を襲った。
「魔力が…流れない?」
動揺が走るがウィルトに悟られないようになんとか無表情を貫く。何かの間違いであることを祈り、再度集中する。試合の勝敗、対戦相手、世界のこと、ありとあらゆる全てを意識から除外、魔力の流れ、その一点にのみ意識を集約、コントロールする。
「………え、マジ? 出来んぞ…」
「? どうかしました?」
魔力切れで死ぬこと、体力が落ちることは無いと聞いて安心して魔力を乱用している凪ではこの事態に対処出来る知識がない。実際は魔力回路を酷使し過ぎて回路の一部が焼き切れたことによる循環経路の異常だがそれに気付けない。困惑の色を隠せない凪にウィルトも気付いたようだ。
「魔力が流れん…強化出来ん…」
「………ご愁傷様です」
対戦相手にそんなことを言われるなんて笑えてくる話だが現実は笑い事ではない。そうこうするうちに観客から野次が飛んでくる。いつまで経ってもまともに戦おうとしない二人に痺れを切らした観客が大多数だ。
「えっと………攻撃しますね」
「え、ちょ待てよ! 生身の体に魔法を受けたら俺死ぬって! リアルガチで!」
「死なない程度の魔法にしときますね」
「ちょ待っ!?」
頭上に出現した水球により凪の言葉が途絶える。その水球が凪の頭をすっぽりと包んでしまったからだ。
「がぼぼぼぼ!? ばぼっ?!」
声だけ聞いたらマヌケにしか聞こえない。目で見ると溺死寸前の酷い光景だ。必死に水球を潰そうにも手を出せばその手も水球の中に入るだけで形は崩れない。頭の位置を変えても変わらず凪の頭を包んでいる。地面に擦り付けても変わらぬままだ。
肺に水が入る。耳が水で埋まる。酸素が足りない。視界がボヤける。思考が上手く働かない。
絶体絶命の凪が朦朧とする意識の中で覚えたのは屈辱だった。早々に手札を切らざるを得なくなったこの状況、それを作り出したウィルトへ身勝手な怒りをぶつける為に行動を起こす。
「………?」
暴れることを辞めた凪が右の人差し指を立てる。ウィルトがその指先を追って視線を動かすと爪先に小さな黒い玉が浮かんでいた。空間に出来た染みのようなその玉は色を反射せず、全てを吸い込んでしまいそうな程にひたすら真っ黒だった。
いつ意識を失くしてもおかしくない状態で凪は必死に勝つ為の手札を切る。立てた指をウィルトに向かって振った。
「………なんですか、これ」
空間をウィルトに向かって水平移動する黒玉は猛烈に遅かった。腰の曲がった老人が階段を登るスピードとほぼ変わらないスピードでウィルトに近付いていく。
「…さて、どうしましょうか」
避けるのは容易い。数歩横に移動すれば黒玉はウィルトの横を通り過ぎるだろう。しかしウィルトには簡単にそれを選ぶことの出来ない理由があった。
一つは凪の異変だ。黒玉を放つ前はもがき苦しんでいたのが今は堂々と二本の足で立ち、こちらの反応を窺っている。気絶してもおかしくない苦しみの中、それを見せることなく威風堂々と。それだけの自信の理由が黒玉にあるのか、気になるのが一つ。
もう一つはウィルトの持って生まれた欲求、知的好奇心だ。既存の魔法には存在しない黒玉、流れ者が使った魔法と思しき黒玉、どれだけの威力があってどんな効果があるのか、純粋に知りたかった。
「このままあと数分もすればナギさんの意識が失くなるのは確定している…となれば結論は一つ」
一歩前に進めば黒玉に当たるという距離。ウィルトは敢えて受け止める結論を出した。現在の状況はウィルトの圧倒的優勢、凪の方は肉体強化も行えないという最早ただの人間と変わらない。仮にこれでダメージを食らっても水球さえ維持出来れば余裕で勝てるとの判断だ。
しかしこれが裏目に出る。
「がっ! あああああああ!!」
黒玉がウィルトに当たった瞬間、ウィルトの体が吹き飛ぶ訳でも、黒玉が弾ける訳でもなく、ズブリ、と黒玉がウィルトの体に侵食した。その瞬間、ウィルトの体に耐え難い激痛が走る。全身の血管を針で突き刺して捏ねくり回して鈍器で叩き潰すかのような形容し難い激痛は、水球を維持させる為の集中力を途切れさせるのに充分な威力を持ってウィルトの体を暴れ回る。
「ああああああっがはっ、おええぇぇえ」
可愛らしい童顔には似合わない叫び声をあげて押し寄せる吐き気に耐え切れずに嘔吐する。吐瀉物を吐き出す間も全身を激痛が襲い続けて体が余りの痛みに痙攣を開始する。およそ人体の許容範囲を大幅に超えた痛みはウィルトの目から血涙となって溢れてくる。
何も考えられない、何も出来ない無力感の中で俯いて吐瀉物を吐き出していたウィルトの顔面が上に飛び上がる。水球から脱出した凪の蹴りだ。吐瀉物と一緒に蹴り上げられたウィルトの顔面は見るも悲惨な光景となって空を舞う。吐瀉物と共に。
「っはー! はー! はー! っおぇ、うえっ」
酸素を取り込み、脳を活性化させ、心臓を動かし、血液を送り出すように荒い呼吸をする凪の顔も悲惨だった。鼻水を垂れ流し、目と耳からは水が未だに零れている。水で濡れていて分からないが股間部分では大と小が洪水を起こしている。生き残ったはいいがその姿は社会的に死んだも同然である。
「悪いが、俺はな、現実主義、者でな」
物語ならば種明かしの為、追い込んでいる相手にわざわざ時間を与えてやり、余裕の笑みで解説を始めるところだがこれは現実だ。
息も絶え絶えの凪が辛うじて意味の伝わる言葉を吐く。合間合間に咳き込み、吐き気を堪え、下半身の気持ち悪さを無視し、衆人環視の中で見せた自らの痴態を一刻も早く終わらせる為に動く。
痛みが引いてきたウィルトもプライドで意識を保って凪の方を見る。口元は汚い汚物で汚れ、下半身からも悪臭が漂う。その目に宿るのは怨みによる殺意のみ。
「すぅー…はーっ! ………説明する時間も与えてやらんぞっ!」
自らを鼓舞するかのように大声を出して気合をいれる。ウィルトに吶喊する凪だがその身体能力はただの人だ。強化を行なっていない状態での先程の蹴りも大したダメージを与えていない。
そこまで意識を回すことが出来ないままに凪はウィルトへと反撃を開始する。力が無いのなら首を絞めればいい。絞殺しなくても頸動脈さえ絞めれば勝機が見える。
汚物塗れのウィルトと接触するのは心理的な嫌悪が生じるが勝利への執念でそれを跳ね除ける。未だに身動きのとれないウィルトの背後へ回り、腕を回して首を強烈に締め上げる。
痛みの余韻が残っているウィルトに魔法を使う余裕はない。獣人とはいえ死を覚悟するほどの痛みを受けては自慢の身体能力を発揮することさえ叶わない。
無惨で悲惨で吐き気と恐怖しか覚えない試合に会場は沈黙で支配されていた。解説するべきアナウンスはただの置物と化し、審判ですら距離を置いて試合経過を見ている。
凪にとっては数時間にも感じる数十分、ウィルトの体から抵抗が消えたのを感じて腕を離した。審判の叫ぶ勝敗に目もくれずに控え室に向かって全力疾走で駆けていった。




