25話『賭博』
凪の音速を超えた動きが広い闘技場、否、今の凪にとっては狭い闘技場を縦横無尽に駆け回る。時折響く衝撃波、呻くカイルの存在が確かに凪がそこにいる証拠になる。
(ちっ! 強化した視力でも残像しか捉えられねぇ!!)
カイルの焦った顔に最初の余裕は面影すら残っていない。凪の拳が、蹴りがカイルの肉体に接触して初めてその存在を知覚出来る、そのスピードにカイルは対処することが出来ないでいた。
(一撃一撃は軽い…軽いが被弾回数が尋常じゃねぇ。 このままじゃジリ貧だ)
思考する間もカイルを容赦なく殴打が襲う。致命傷にこそならないがジワジワと体力が削られていく。打開策が見つからない現状に精神力が削ぎ落とされる。
「………仕方ねぇ、か」
「…? どうした、降参か?」
構えを解き、ただ立ち尽くすだけになったカイルは奥の手を切る決意をする。まさか一回戦でこれを使うことになるとは、とカイルの中で凪の評価が上昇する。初めて会った流れ者に賭けを持ち掛けられ、挙げ句にその対象がお互いの友人権。普通の神経を持っていたらそんなことは出来ない。
「いいぜ、認めてやる。 お前はつえぇ。 そして面白い。 最高だ」
「お褒めの言葉、ありがとさん。 で?」
「こっちも少しマジになってやんよ!!」
長剣を振り翳す。剣と体が一体化する感覚を久しぶりに感じるカイルは己の気持ちが高揚していることを自覚していた。ここまで昂ぶっているのはいつ振りだろうか。
「付与! 蒼炎!!」
「なっ!?」
観客から驚く声が聞こえる。解説者は知識があったのか、興奮する声で声高にカイルの行動を解説している。体を通して愛用の剣に魔力が流れ、剣に流された魔力がカイルの意思に従いその姿を顕現させた。
「付与魔法だ。 初めて見たか?」
「あぁ…そんなことも出来るんだな」
「魔力の伝達を効率良く行える素材を元に作った剣でしか出来ない条件はあるがな」
「いいのか? そんなことまで話して」
「流れ者以外は誰でも知ってる。 気にすんな」
蒼い炎を纏う長剣、それを一振りすれば炎もそれに追随する。揺らめく蒼炎は攻撃範囲を拡大させ、触れた者を焦がす。カイルの切り札の一つだ。
「さぁ、二回戦だ。 今度はこちらから行くぞ!」
意気込むカイルの気迫をどこかおかしく感じながら迫る剣を避ける。当人には申し訳ないがカイルの攻撃は今の凪にとって脅威となり得ない。今の凪は肉体強化による恩恵で攻撃力、耐久力、敏捷性、その全てが今のカイルを上回っているからだ。下回る肉体を持つカイルの攻撃はそもそも凪に当たらない。しかし有効打を持たない凪にもカイルを沈める手立てがない。
凪よりかは幾分か精度の劣る肉体強化を図っているカイルも同じように耐久が上昇している。その状態では凪の知識と経験で堕とすことが出来ないのだ。所詮肉体を強化したからといって根本的に強くなる訳ではない。
何度も繰り返すが土台が違う。そういった意味では今の凪にとってカイルは強敵であった。
消耗戦は凪には不利だ。脳のリミッターを解除した状態で無理に体を動かして戦っている。全身の筋肉組織と細胞神経が既に悲鳴を上げ始めていた。
(これ以上は体が持たん…)
先程までとは違い、不用意に近付くとカイルの蒼炎により体を焼かれる。いくら肉体が強くなっても皮膚の耐火温度までは変わらない。凪の体に出来た軽度の火傷が経験の差を物語っていた。例え目に見えない速度で攻めても経験により攻撃先を予測され対処されてしまう。剣と拳ではリーチが違うのだ、必然的に凪の攻撃よりカイルの剣の方が遠くまで届く。例え容易に避けることが出来たとしても素人の凪には本能で恐怖を感じてしまうのだ。
「どうした? もうバテたか?」
「当然だ、肉体に無理かけまくってる。 そう長くは持たん」
「そこは普通否定するとこだろーが」
「見え見えの虚勢に意味なんざねーよ」
絶え間なく続く攻防と心理戦の最中、カイルの挑発に素直に答える。
「そろそろ終わらせんとやばい」
「やばい?」
「今は痛覚を遮断してるから感じないけど全身がやばい」
「肉体強化で痛覚を遮断してんのかお前…馬鹿だろ。 痛みは大切なセンサーだぜ?」
「その痛みに怯む瞬間が命取りになる時があんだよ」
音速を超える速度での動きを可能にする凪の肉体強化だが当然音速を越えれば衝撃波が発生する。周囲に問題がなければそのままにしているが観客に被害が及ぶ場合はその衝撃波すらも凪の中に押し留めている。その際の衝撃はなかなかに強いモノだった。
例えその速度で動けるとはいえカイルの肉体強化の練度はなかなかに高い物だった。それこそ一瞬でも意識が逸れれば斬られると思わせる程の剣速に鋭い太刀筋。端から見れば凪の優勢だが内実は非常に危ういものだった。
(肉を斬って骨を断つ…それしかねぇか)
強化された思考回路は枯葉が落ちる数秒で先の展開を予測し、発展し、結論を出す。その上で最良の選択肢を選び、吟味し、最善を選び出す。
試合を終える為に凪の出した最善手は諸刃の剣でもあった。
カイルと距離を取り、全身に散る魔力に意識を向ける。意図的に右腕と両足以外に流れている魔力を解放、余剰分を再度右腕と両足にのみ集約させる。今の状態で魔力の流れていない部分を斬られたら豆腐を斬るよりも容易く裂ける。
「おいおい、無防備過ぎんだろ。 肉体強化を解除したのか? お前、即死すんぞ」
律儀にも凪の行動を待つカイルの言葉は無視する。
「さて、終わらせるか」
カイルが口を開こうとしたその時、凪が動き出す。両足に溜めた魔力を解放、肉体強化による恩恵と解放された魔力の爆発力によりその速度はやばいの一言だ。地面が割れ、凪の一歩と同時に陥没する。カイルに向かって疾駆しながら右腕の魔力を強固に固める。今の凪は右腕以外は生身だ。そのスピードに耐え切れずに身体中に裂傷、血飛沫を撒き散らしながらカイルに迫る。
カイルが動くよりも早く到達、そのまま速度を殺すことなくカイルの隣を右腕を差し出した状態で駆け抜ける。ラリアットの要領だ。従来の技と比べるとその威力は桁が違う。首に凪の右腕が当たり、カイルが水面を跳ねる石のように吹き飛んでいく。
当たった瞬間、嫌な音がした。
失血と過度の肉体酷使によって意識を失う僅かな時間、凪は全身がボロボロなのを悟った。爆発的な速度の対価に両足の腱は切れ、生身で速度に耐えた左腕は肘から先が消失して骨が剥き出しだ。腹部からは腸がはみ出て地面に鮮血と共に広がっており、両耳は空気を裂く速度に耐え切れずに摩擦で削ぎ落ちている。
無傷で勝つのは難しい、場違いな感想を抱きながら凪の意識は闇に墜ちた。遠くに響くアナウンスが確かに凪の勝利を伝えていたことを聞きながら。
♢
「………知らない天井だ」
意識の覚醒と同時に全身の感覚を確認する。消失した左腕の存在、腹部に垂れ下がっていた、裂傷から湧き出た腸の有無、足首から先の動き、その全てが試合開始前と変わらぬ存在を凪に示す。
欠損した箇所の魔法による回復。既に存在しない部位をどのように魔法が復元しているのか、自身の現状も弁えないままにそんな感想を抱く。
「ナギ君!? 大丈夫?!」
「…その声はアルフか、相変わらずうっせぇ声だ」
「本気で心配してんの!」
体を起こすことが出来ない凪の視界外からアルフの心配そうな声が聞こえる。怪我人へと向ける声量ではないが仕方ないのかもしれない。
「体が動かん。 どうなってる」
「大方の怪我は私が治したよ。 会場に配備されてる救護の人が使える魔法じゃナギ君の怪我を治すのに限度があったから…」
「ま、欠損してたしな。 ありがとなアルフ」
体に色濃く残る疲労が凪の体を縛り付ける。あそこまで肉体強化を使用したのは凪も初めてであり、どこまで強化が適用され、どこまで体が壊れるのか、凪にも未知の領域であったが想像以上に強力で想定以上に反動が大きいことに内心で反省する。
この大会はただの戦闘訓練とは違い、相手を殺すこと以外のルール違反は存在しない。それ故使われる武器には刃潰しがされておらず、殺傷能力が高いままで使用される。そんな背景から大会の救護員には高い回復魔法が使える人間が配備されていると事前にルティシアから聞いていたがそんな人間でも凪の怪我を全て治すことが出来ない事実に戦慄する。もしもアルフがいなかったら、凪はどうなっていたのか。
「体が動かないんだが…肉体強化の反動か?」
「あそこまでの肉体強化だもん、それくらいの反動は出るよ」
「そうか…結果は?」
「審判の判定で対戦相手が先に戦闘不能に陥ったと判断されてナギ君の勝ちだったよ。 私も勝ったからお互い二回戦進出かな」
「こんなボロボロになってまで二回戦か…棄権しようかな」
痛覚を遮断していたおかげで凪が痛みを知覚することはなかった。だがもしも仮に痛覚が機能していたらいくら痛みへの耐性が高いとはいえショック死する可能性もある。
「…二回戦のことはナギ君に任せるよ。 正直、あんなナギ君を見てまで出場を強いることなんて私には出来ない」
どこか沈んだ声でアルフの声が聞こえる。凪の体が動かないので表情の確認は出来ないがその沈痛な声音に反省の色が多分に混じっていることは理解出来た。
あれだけ自分から誘っておいて、断られるや否や拉致って参加させ、結果があの見るも無惨な凪の体だ。ここで反省しない奴は頭のおかしい奴である。
「まぁ…考えとくわ。 それよりどうだった?」
「? どうだったって?」
「俺の腸の色」
「…嫌なことを思い出させないでよ……」
「欠損した部位はどうやって? 繋げたのか?」
「古代級の回復魔法には過去の肉体と現在の肉体を比べて怪我だけを感知し過去の肉体へ現在の肉体を変異させる魔法があるの。 だから厳密に言うと回復というより一部の肉体だけ時が巻き戻ったって感じかな」
「………すげぇな」
若返りの可能性を示唆する魔法だ。古代級にはいったいどれだけの人智を超えた魔法が存在するのか、それを超える神話級はどれだけの魔法なのか、凪には想像もつかない。
「とにかく、今日は安静にするように」
「分かりました、先生」
頭の片隅にカイルの怪我の具合を心配する自分がいることに気がつくが凪の勝利が確定してる現在、死んでいることはない。これだけの魔法があるのだから全快してるだろうなとどこか安心しながら凪は睡魔に身を委ねる。
遠くに聞こえる喧騒が心地いい眠り歌になる。凪の手に重ねられたアルフの手が凪を安心させて夢の世界へ旅立たせた。




