12.5話『感情』
彼女は戸惑いを隠すことをしなかった。ただただ、目の前の光景に素直な驚きを感じた。
流れ者が紛いなりにも貴族を打ち倒す。
貴族とは皇国の建国当時、初代皇帝に尽力し、国を支え、時に守り、そして領土を拡げる為に戦い、その身を全て捧げた一族が貴族となっている。故に貴族とは国の為に身を粉にして働いてきた自負があり、今の国があるのは貴族の存在があったからだと傲慢に思っている。
貴族はその一族毎に様々な突出した能力を建国当時から持っている。武力、魔法、金銭、情報、隠密、内政、外交、商売、その秀でた能力で国を支え、その秀でた能力故に貴族なのだ。
そして彼、遠野凪が倒した貴族はその武力に秀でた貴族の出。だからこそ彼女、ルティシアは驚いた。
アルフとの特訓を見ていた限り、彼が勝つ可能性は低いと考えていた。凪は回避には優れているのかもしれない。それはルティシアの目から見ても優秀な部類に入っても違和感がない程の能力だった。
だが攻撃する場面を見たことがなかった。不思議に思っていた。逃げるだけじゃ何も変わらないと。
そこまで考えて気が付いた。私と同じだと。
鬼族であることは変えられない。何かを変えたいなら周りを変えるしか方法はない。けど最初から無理だと決め付けて何もしてこなかった。現実からずっと逃げてきた。
けど彼は違った。確かに攻撃し、相手を打ち倒し、周囲の認識を変えた。それは数十人という些細な規模でしかないが確かに変えたのだ。
ルティシアは考える。自分は何かを変えられたのだろうかと。答えは否。何も変えられていない。何も変わっていない。
世界は変わらず鬼族に辛く、生き辛い世の中だった。
ルティシアから見たらずっとずっと弱い存在。そんな彼に小さいながらも世界を変える力があって、自分にはない。彼よりも遥かに強い自分が、だ。
悔しかった。悔しいと感じたのは初めてだった。何かに執着したのも初めてだった。
どこかで喜ぶ自分がいた。人並みに感情があったことを喜ぶ自分が。光り輝く彼に世界を変えて貰えそうな気がして喜ぶ自分が。
他者に頼ったことのない自分が何を考えているのだろうか。おかしくて思わず口元が綻ぶ。
♢
彼を見定める為に、自分を見定める為に彼に会おう。そう決めた彼女の足取りは軽やかだった。
「…待ってて」
自室で休んでいるだろう彼を訪ねに行く。
今日が自分の運命を決めることを薄々感じながら。