10話『要素』
戦闘訓練当日。クラスの隅っこに白い頭があるのを見掛けて声をかけた。
「助かったよ、ありがとな」
「………なんのこと?」
「あんなこと」
あくまでも知らない振りをするルティシアにこちらも敢えてはっきりと指摘しない。曖昧にしておくことも世の中にはある。
「…世界はあなたが思ってる以上に厳しい」
鬼族からその台詞を言われると説得力が半端ではない。その小さな体にどれだけの罵詈雑言、世界の理不尽を受けてきたのだろう。自分が何かした覚えなどないのに、何世紀も前の鬼族がしたから、そんな理由だけで自分が世界から邪魔者扱いされるのはどんな気持ちになるのか。仮にルティシアにそれを聞く奴がいたらどんな手段を使ってでも殺害する。凪にもそれくらいの空気は読めるのだ。
「だろうな。 けど俺は俺の道を行く。 俺の考え方でな」
「………好きにすれば」
字面通りに受け取れば呆れたような印象しか見受けられないが、その口元にはほんのりと笑みが溢れていた。
「よーし、適当に二人組みを組んでくれー」
一部の人間には死刑宣告にも近いティール先生の掛け声を合図に特別クラスの面々が動き出す。
場所はアルフと訓練した模擬戦闘室とは別の部屋、こちらの方が綺麗で大きいことからアルフと一緒に使った部屋は既に使われていない部屋だと推測出来る。
「流れ者、俺と組ませてやろうか?」
「構わんぞ、モブ」
どうしようかと立ち尽くす凪に組まないかと声を掛けてきたのは一人の男子生徒だった。その目からは「サンドバッグにしてやる」が見え見えだった。
「貴族の名前も覚えられんとは…低俗な輩だな」
「序盤で倒される雑魚みたいな発言しか出来ない奴が貴族になるのなら俺は貴族になれないな」
「貴様っ!」
意味は分からないだろうが言葉に込められた侮蔑の意味が理解出来る辺り、無駄にプライドの高い貴族の典型と内心で判断。とはいえ特殊能力のある主人公と違い、凪はあくまで一般人。出自は多少特殊だが戦闘能力は皆無だ。油断は出来ない。
「よーし、決まったなー。 適当に選んでいくから選ばれた奴から始めろよー」
「….ちっ、覚えておけよ…」
「えっ、嫌」
「…」
ティール先生の声が聞こえ、引き下がる自称貴族にさらなる燃料を追加する。額に青筋が浮かんでいくパッとしない顔をした自称貴族を無視し、一組目が始まり待機組が壁際に集まっていたので凪もそれに従うことにした。
♢
「ナギ君! 探したんだよ?! どこ行ってたのさ!」
「同じ室内にいたに決まってんだろ。 それより耳元で話すなら声量を落としてくれ。 うるさい」
先発組を見ていて思ったことは熟練度の振り幅が激し過ぎることだ。強い奴と弱い奴、その差がハッキリとしている。これは世界で戦争が起こっていないからに他ならない。アルフは魔物云々と言っていたが先程の自称貴族のように自分で戦う必要の無い人間が近接戦闘を覚える必要性は一切無い。
おそらく弱い奴、やる気の無い奴は上流階級の人間だ。貴族までいかなくても家が裕福だとかそんなとこだろう。可能性としては魔法専門に特化している線も有り得る。
そして強い奴。こいつらは自分で魔物と戦闘をする機会があるからこそ近接戦に力を入れている。動きを見ていても対人要素の無い動きが素人の凪から見ても何となく分かる。相手を無力化する攻撃を集中して修練しているように思える。無論、魔物だけとは言えない。盗賊、山賊、海賊。ありとあらゆる脅威から自分の身を守る為に練習しているのだろう。
弱い奴は専門の護衛にでも任せればいいが、そのお金がない貧困層、強い奴はそうもいかない。
「なぁ、レベルがハッキリとしてるがどうしてだ?」
「まったくもうっ。 …貴族は最初から前線で戦う気なんてないからだよ。 他の裕福な家庭の人も同じ理由。 護衛を雇えばいいだけの話だからね」
「やっぱり、か。 こりゃ初戦は余裕だな」
ちなみにこの訓練はトーナメント式になっている。初戦の相手は各々が自由に決められるが二回戦目以降はティール先生の気分で相手が決まる、大雑把なトーナメントだ。
「そうだよ! 初戦! ナギ君は初戦、誰になったの!?」
「あー…分からん。 名前も知らないし顔も覚えてないから群衆から見つけることも出来ん」
「…初日にみんなで自己紹介しなかった?」
「どうでもいい人間を覚えることに脳の容量を割く訳にはいかんでしょ」
特別クラスに入ったその日、クラスのみんなから自己紹介を受けた。アルフの番以外は全員右耳から入って左耳から出てったが。特別クラスは三十人前後しかいなかったことだけ覚えている。
「あ、でも自称貴族って言ってたわ」
「それで余裕って訳ね…一応貴族でも魔法に特化してる人はいるからそこんとこ気をつけてね」
「魔法かー。 未だによく分からんからそれだけ不安なんだよなー」
「ねぇ、授業聞いてんの?」
「最初っから睡眠学習で聞いてるよ」
「それはつまり寝ながら聞いてると?」
歴史関係の授業だけは比較的真面目に聞いている。異世界を歴史的な観点から見てどう文明が発達し、進化し、そして退化してるのか、純粋な興味だ。それ以外は正直どうでもよかった。魔法の知識は要らないが使えるようにはなりたい。だが使えるようにする為には知識が必要だと言われればすぐに諦めることが凪には出来る。
「ナギ君なんか負けちゃえ!」
「あっ、おーい…行っちまったよ…おっ」
走り去るアルフを追い掛けようか迷った時に訓練の決着がついたのか、歓声が挙がる。アルフの背中への興味は早々に失せ、試合結果とこれからの内容に新しく興味を移すことにした。
♢
「あー、次はナギと…その相手ー。 でてこーい」
「俺の番か」
中央でティール先生の声が上がる。隅っこで体育座りをして見学していた凪は立ち上がり、中央に歩み寄る。周囲からは流れ者の凪の実力を話す声が聞こえてくる。
「注目されてんなー」
「それは好都合だ。 貴様の無様な姿を多くの人に見せてやれる」
「出たな自称貴族」
「自称じゃない! 本物の貴族だ!」
憤慨する自称貴族の後ろには心配そうにこちらを見るアルフ。軽く手を振り、心配要らないことを示すと呆れたような顔をされた。
「ふん、女に注意を向ける程余裕があるのか」
「いちいち耳触りだなぁお前」
一挙手一投足に文句を言わなければ気が済まないのか、凪の動向に目を向け文句を垂れる貴族を目障りに思う。
「じゃあ訓練を始めるぞー。 訓練とはいえ勝ち負けはハッキリするし、結果として勝ち上がることになるからまぁ試合みたいなものだなー」
ティール先生から心構えを聞かされる。自称貴族はまさに怒り心頭といった感じで早く始めてくれといった顔だ。
「死なない限り、大抵の怪我は先生が治すから心置きなく大怪我をしてくれよー」
「それは責任者としてマズイだろ」
「中途半端にやって後々に禍根を残すより徹底的にやってさっぱりした方が良いんだよー」
ティール先生独特の語尾を伸ばす、気の抜けた声で怖いことを言ってくるので思わず先生の立場を心配してしまったが、なるほど、それもそうかと納得する。
「ナギは流れ者でこういった経験が皆無だからお前は気を使ってやれよ」
「…先程と言ってることが矛盾してる気がしますが」
「はぁー、貴族って奴は柔軟に対応出来ない奴がなるんかねー」
「分かりましたよっ!」
御しやすい馬のように先生の掌で転がされる自称貴族は先程までの怒りも失せて、疲れた顔をしている。ティール先生は飄々としてどうにも掴めない性格なのだ。しかし流れ者を考慮してくれるのは正直助かる。
「んじゃ、両者準備はいいなー」
相手は少し腰を落とし、いつでも動ける体勢になる。こういう本気を出すってことが凪には少し気恥ずかしい。だから敢えて棒立ちのまま。
「危ないと判断したら強制的に先生が止めるから安心してくれー。 じゃ、始めー」
間延びした緊張感の欠ける声で異世界初めての本格的な戦いが幕を開けた。