9.5話『感覚』
ルティシアは困惑していた。自身に芽生えた「感情」に戸惑っていた。
あの日、いきなり声を掛けてきた一人の男子生徒。鬼族であるルティシアに臆面も無く話し掛け、まるで友人のように気さくに笑ってくれた。
ルティシアは友人を持ったことがない。物心が付いた時には既に同族は死に絶え、他種族は彼女を見ると恐れ、避け、まともに接触を図ったことなどなかった。
彼女とまともに接触したことがあるのは暗殺者のみである。彼女はそういう世界で生きてきた。
あの日、凪と名乗る男子生徒に話し掛けられ、ルティシアの世界は変わった。
今までにルティシアに話し掛けてきた人間は確かにいる。その殆どが男で多くは彼女の美貌に邪な思いを抱いての声だった。中には彼女の持つ、圧倒的な戦闘力を欲しての声だった。
ルティシアはそんな連中を文字通り一蹴し、蹴散らしてきた。報復で送られてきた刺客もバラバラにして送り返し、事故に見せかけた事態にも冷静に対処してきた。
そのどれもと彼は違った。その笑みに裏はなく、ルティシアの容姿に卑猥な妄想をすることもなく、その力を欲することもなかった。
彼は言った。親しくしたいと。彼女は思う。親しくしていいのだろうか。
半ば洗脳染みた先祖への恨み。彼女の手は多くの血で汚れ、染み付き、二度と綺麗にはならない。そんな自分が友人など持っていいのだろうか、と。
答えは否。頭では分かってる。けど心がそれを否定する。
だからこんなことをしてしまう。特別クラスのまとめ役とも言えるアルフと一緒に特訓する彼を見てしまう。
ルティシアから見て、彼は虫けら同然だった。彼女が手を振れば彼の頭は吹き飛び、彼女が手を握れば彼の手は呆気なく潰れる。圧倒的弱者であった。
だけどそれでも気になってしまった。だからこうして毎日来てしまった。
特訓が終わり、アルフがいなくなったのを見計らい、彼を癒した。どうしてアルフは癒してあげないのかと憤りさえ覚えた。そして憤る自分に更に困惑した。
日に日に彼の怪我は酷くなる。日に日に彼の動きが鋭くなる。それでも彼女には届かない。
およそ、人の持てる才能全てを掛け合わせても彼女には届かない。鬼族とはそんな存在なのだ。だからルティシアは努力も練習も特訓もしたことがない。する必要が無いから。だから努力は無駄だと思っている。
しかし、彼の努力はなぜか無駄に思えない。あるべくしてある姿のように見えてしまう。魅入ってしまう。
そしてそんな彼に興味が尽きない。
♢
自身に芽生える感情を理解出来ぬまま、今日も彼女は彼を見る。
周りからストーカーだと感違いされたまま。