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道と言っても、細い轍が出来ているところ以外は、ほとんど草むらも同然で、非常に歩きにくい。
はっきり言って、さっきから逃げ回っていた森の中と大差が無いくらいだ。
だけど、足を止めるわけにはいかない。例の二人組みがすぐ背後まで迫っている。
「このガキ!」
「逃がさねえぞ!」
背後から迫る怒号に押されるようにして、俺は半ベソをかきながら走り続けた。
こんな身体なせいか、酸欠気味で今にも倒れそうなくらいに疲労困憊だった。
俺にとって幸運だったのは、逃げた先の道の向こうから、何かがやってくるのが見えたことだった。
それは二頭仕立ての馬車だった。結構なスピードでこちらに近づいてくる。
助けて! 助けてください!
声が出ないことは既に分り切っていたことだけど、そう叫ばずにはいられなかった。
もちろん、喉がヒューヒューと鳴るだけで、何の声も出ないが、馬車に向かって駆けながら、大きく両手を振り回して自分の存在をアピールした。
下手をすれば轢かれる可能性もあったが、俺は意を決して馬車の進路上に身を投げ出すように飛び出した。
馬の蹄に引っ掛けられそうになった瞬間、御者の男性はようやく俺に気付いたらしく、大声を上げながら手綱を引いて馬を操った。
そのおかげで、俺の直前で馬達が棹立ちになり、寸でのところで轢かれることだけは避けることが出来た。
「お、おいこら! 危ないじゃないか!」
抗議の声を上げる御者に縋りつくと、俺は必死に身振り手振りで自分が追われている事を伝えた。
始めは訝しげな顔をしていた御者の男性だったが、道の向こうからやってくる山賊風の男達を見て、すぐに状況を察してくれた。
「乗れ!」
背後の荷馬車を肩越しに親指で指し示した。
察しの良さに感謝しつつ、俺は身体を折り曲げて深々と頭を下げると、あたふたと荷台に乗り込んだ。
車内は荷物の木箱で満載だったが、何とか隙間に身体を滑り込ませた。
「しっかり捕まってろ!」
俺が乗り込んだのを確認すると、男性はそう叫び二頭の馬に鞭を入れた。
けたたましく嘶くと、猛スピードで走り出した。
俺を追いかけてきた山賊風の男達が、鉈を振り回して馬車の進路を妨害してきたが、さすがに猛然と突っ込んでくる馬車を止める事は出来ず、慌てて路肩に飛びのいた。
背後から聞くに堪えない罵声が聞こえてきたが、すぐに遠のいていった。
助かった……
連中の姿が見えなくなったとたん、俺の身体から一気に力が抜けていった。
一気に緊張の糸が緩んだのか、それまで感じていなかった疲労感がどっと押し寄せてきた。
こんな身体になってしまった挙句、慣れない服装で駆けずり回っていたのだから、当然といえば当然だ。
「大丈夫か、お嬢ちゃん」
山賊が見えなくなって少し経った頃、助けてくれた御者の男性は、馬車の速度を緩めると俺のほうを心配そうに振り返った。
年の頃は20代前半ぐらいだろうか。身なりは小奇麗で、帽子から覗くくすんだ金色の髪もきちんと整えられている。
さっきの小汚い連中とは大違いだ。
「こんな所で、一人でどうした? 親御さんは一緒じゃないのか?」
さっきも山賊に似たような事を言われたが、こっちは純粋に気遣っているように思えた。
助けてくれたこともあるし、ひとまず、信用しても良さそうだ。
それよりも問題は、口がきけないこの状況で、何をどう説明すれば良いのかだ。
「大丈夫だ。怖がらなくてもいい。俺は怪しい者じゃない」
俺が警戒しているとでも思ったのか、兄ちゃんは、気さくな笑みを浮かべた。
「この先にある街で公演している旅の一座『幻想楽団』のメンバーで、マルメオって言うんだ」
旅の一座。劇団みたいなものだろうか。それとも、サーカスとかかな。
なかなかのイケメンだし、確かに舞台俳優なんかが似合いそうではある。
俺は少し躊躇したが、マルメオさんの目を真っ直ぐに見つめ、自分の喉を指さした後、ゆっくりと首を振った。
幸いなことに、その仕草だけで意図は伝わった。
「そうか……言葉は、分るんだな?」
その質問には、しっかりと頷いた。
「よし、それじゃ……」
マルメオさんは少し屈み込んでごそごそやると、ボードのようなものを俺に差し出してきた。
それはA3ぐらいの大きさの黒板だった。その上には、チョークと黒板消しが乗っかっている。
「使い方はわかるかな? これで文字を書いて、間違ったらこっちで消すんだ」
チョークと黒板けしを順に指差しながら、マルメオさんは俺に説明してくれた。
俺はうなずいて、黒板を受け取ると、チョークを手に取った。
そこに自分の名前を書こうとして、ふと気が付いた。
この人といいさっきの山賊といい、話している内容は理解できているが、文字はどうなんだろうか。当たり前のことだが、俺は日本語の読み書きしかできない。
上目遣いにマルメオさんの顔を伺ってみると、先を促すようににっこりと微笑まれてしまった。
ままよとばかりに、俺は日本語で自分の名前を黒板に書き始めた。
この容姿で、日本で暮らしていた時の名前を名乗るのは少し躊躇われたので、ゲーム内での俺のキャラ名でもあった秋月 摩耶の名前を書いた。
書き終わった後、おずおずとそれをマルメオさんに見せてみる。
「アキヅキ・マヤ、か。うん、いい名前だ」
俺は日本語で自分の名前を書いたんだけど、マルメオさんには支障なく読めているみたいだ。
「先生から聞いたんだが、東方では家名のほうが先に来るんだよな。だから、マヤのほうが君の名前か。よろしく、マヤちゃん。ああ、先生って言うのは、うちの一座に居候している学者の先生だよ」
俺は頷き、自分の名前を黒板消しで消した後、気がついたらここにいたこと、両親は一緒では無い事などを続けて書いた。
まさか、気が付いたらゲームのキャラになってました、なんて言えるわけもないので、自分の名前以外は何も覚えていないということにして、そのことも付け加えた。
「そうか。可哀想に……」
マルメオさんは、一瞬不憫そうな表情になったが。
「そういうことなら、とりあえず、うちに来るといい。さっき話した先生に色々と質問してみれば、何かわかるかもしれない。ああ、心配しなくても大丈夫! 君と年の近い子がいるから、すぐに仲良くなれるよ!」
すぐに明るい表情になり、矢継ぎ早のマシンガントークが始まってしまった。
イケメンなのにおしゃべりなのは、ちょっといただけない。
まあ、もしかしたら、山賊に襲われてショックを受けているであろう俺の気を、少しでも紛らわそうと考えているのかもしれない。
「まあ、詳しい話は、一座のテントに着いてからにしようか。それまで休んでいると良い」
朗らかに微笑みながら言うと、マルメオさんは前を向いて、馬に鞭を入れた。
人が歩くぐらいのゆっくりとした速度だった馬車が、徐々に加速を始めた。
まだ、完全に安心は出来ないけど、何とか助かった。
車内に並べられている荷箱のひとつに寄りかかり、俺は溜息を吐いた。ようやく、一心地つけたような気がする。
これからどうなるのか、この世界が何なのか、俺はどうなってしまったのか、不安は尽きないが、今はとにかく眠い。
立て続けに起こる予想外の事態に、精神的にも肉体的にも限界が近かった。
そのせいか、快適とは程遠い馬車の揺れが、まるで揺り篭のように心地よく感じられる。
俺は木箱の一つにずるずると寄り掛かり、そのまま眠りに落ちていった。