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「ヒャッハー! 待ちやがれえ!」
どこぞの世紀末モヒカンのような歓声を上げながら、薄汚れた身形をした髭面の男達が追いかけてくる。
(うおおおおお!)
俺は声にならない悲鳴を上げながら、必死に走った。
袂がだぶつく上に結構重たいし、足元がスースーするが構ってはいられない。
しかし、履きなれない草鞋とあっては、全力疾走なんて不可能だ。
このままじゃ、追いつかれるのは時間の問題だ。
(畜生! それもこれも、全部先輩のせいだ!)
心の中で悪態を吐きながら、俺は慣れない身体と服装で必死に走っていた。
先輩をストーキングしていたセフレ男と格闘の末、あっさりと殺されてしまった俺だったが、次に気が付いたのは、淡い陽射しの射し込む森の中だった。
起き上がろうとして、自分の身体と服装に強烈な違和感を感じ、上手い具合に傍にあった水溜りを覗き込み、そこに映る姿に卒倒しそうになった。
そこに映っていた自分の姿は、20代半ばの中肉中背の男の姿ではなく、巫女装束のショートボブの12,3歳くらいの美幼女だったからだ。
全く見覚えの無い顔ではない。
それどころか、ここ最近は頻繁に目にしていた人物だ。
それは、先輩が自キャラの回復タンク用に作った『チートオンライン!』での俺のキャラ――秋月 摩耶の姿だった。
な、なんだこりゃ!?
……そう叫んだつもりだったのだけれど、全く声が出なかった。
思わず自分の喉を押さえ、もう一度、ゆっくりと声を出そうと試みる。
が、やはり全く声は出ず、微かに聞こえるのは、喉から漏れる呼気の音だけ。
水溜りに映っている少女は、酸欠の金魚のように口をパクパクしているだけだった。
全身から嫌な汗が噴き出してくる。
いったい、何がどうなっているのか。
落ち着け。とにかく、まずは落ち着け。落ち着いて、現状を確認するのだ。
行き詰った時は、ああでもないこうでもないと思い悩んでいても、何も解決しない。
まずは行動だ。何でもいいからとにかく今出来ることをやるんだ。
俺は何度か深呼吸して気を落ち着けると、ゆっくりと立ち上がってみた。
やっぱり、いつもに比べて視線が低いような気がする。
改めて、自分の今の姿を確認してみる。
身に着けている衣装は、水面に映ってる姿と同じ、神社でよく見かける巫女さんの服装だ。正確には、巫女服の上から、さらに薄手の千早を纏っている。
水面に映る少女の顔は、人形のように愛らしい姿だが、俺の内心を反映しているかのように、顔色は青ざめている。
レイプ目もそれに拍車を掛けていて、一昔前の心霊番組に出てくる髪が伸びる人形みたいに見えた。
水溜りに映る姿でそこまで判るのだから、実際はもっと虚ろな表情をしているのかもしれない。
ふと、重大なことに気が付いた俺は、おそるおそる、自分の股間に手を伸ばしてみた。薄々理解してはいたが、そこに俺の求める感触は、その痕跡すら存在しなかった。存在したら、それはそれで別の意味で問題ありだが、その事実は俺を慄然とさせるのに十分だった。
ストーカーに殺されて死んだと思ったら、ゲームで俺が使っていた幼女の姿になっていた。
おまけに、容姿だけではなく、言葉を話すことが出来ないというハンディキャップまで反映されていた。
と、言うことは、俺のキャラがゲームの中で使用できたチートも使うことが出来るということなんだろうか。
チート能力は、キャラ作成時に獲得した『生命感知』と、先輩によって、チャットが出来ない(=言葉が話せない)というペナルティ前提で獲得した『超回復』の二つだ。
とりあえず、『生命感知』を使用して、周囲に危険な生物なんかが存在しないか確認してみたい。
(……でも、どうやって使うんだろう)
ゲームなら、アイコンをクリックするだけで済んだが、リアルとなるとそういうわけにも行かない。
目をつぶって、意識を集中させるとかしてみれば良いのだろうか。
何となく思いついてみただけだが、とりあえずやってみることにした。
すると、脳裏にゲーム画面で『生命感知』を使用したときに表示されたレーダーのようなものが浮かび上がってきた。
その中心にいる青のドットが、どうやら俺自身のようだ。
俺以外の他の生物はと考えた次の瞬間、ジャミングをかけらたかのように、自分の周囲が白いドットで埋め尽くされた。
いったい何がと焦ったが、すぐに原因が分った。
フィルタを「俺以外の他の生物」なんて条件にしてしまったせいで、周囲の植物や、茂みや物陰に潜んでいる小動物や虫なんかまでも感知してしまったせいだろう。
(俺に危害を加える可能性があるもの……)
そう念じてみると、埋め尽くされていた白いドットが一斉に消えうせ、自分自身を表す青のドットと、俺のすぐ後ろの二つの黄色のドットだけになった。
黄色のドットは、状況次第で敵対する可能性がある生物を表している。
さっきまでは、自分に関係のない周囲の生物すべてが表示されていたせいで、それらに埋もれていて、すぐ後ろの黄色のドットに気付かなかったのだ。
おそるおそる、背後を振り返ると、ちょうど茂みを掻き分けて、その正体が姿を現すところだった。
姿を現したのは、二人の男だった。
その外見を端的に述べると、山賊という言葉がぴったりだった。
むさ苦しい髭面な上に上半身は殆ど裸で、獣の皮を腰に巻いている。
腰にぶら下げているのは、鉈のような蛮刀だ。
こんな外見では、それ以外のモノを連想ほうが難しい。
「お?」
男のうちの一人が、俺を見て声を上げた。嫌な予感しかしない。
「お嬢ちゃん。こんな所で何をしているのかな?」
「お父さんやお母さんはどうしたのかな~? 街まで連れて行ってあげようか~?」
野卑な笑いを浮かべながら、二人の男は俺のほうに近づいてきた。
「見ろよ、この黒髪。こんなところに異教徒とは珍しいな。まだガキだが、中々の上物だな。こいつは、高く売れるぞ」
「着てるものも上等だぜ。こっちも高く売れそうだ」
いくつもの物騒なフレーズを耳にした俺は、くるりと背を向けると、脱兎のごとく走り出した。
「逃げやがったぞ!」
「待ちやがれ!」
そして、冒頭の状況に戻るわけだ。
咄嗟に逃げ出した俺だったが、こんな身体で大人の足にかなうはずも無く、あっさりと捕縛されてしまった。
「ひひひ。鬼ごっこはおしまいだよう~?」
おどけたように言いながら、男の一人が俺の胸倉を掴み、むさ苦しい髭面を近づけてきた。
吐き気を催すような口臭に思わず顔を顰める。
「なあ、ちょっと味見してみようぜ。異教徒なら、中古でも高く売れるだろ」
「……っ!」
俺の顔に走った怯えの表情に気を良くしたのか、男はいたぶるように舌なめずりをしながら、更に顔を近づけてきた。
冗談じゃない。
こんな姿になってしまったが、俺は男なんだ。
男に、それもこんなむさ苦しくて息の臭いオヤジに強姦されるなんて、死んでもごめんだ。
「ほらほら、暴れるんじゃないよ~? 痛いのは最初だけだからねえ~?」
背筋に怖気が走るような猫撫で声で、男は手足を振り回して暴れる俺を押さえつけようとした。
男の節くれだった指が、袴の裾を捲り上げようとしたとき、振り上げた足の先に何か柔らかい物を蹴り上げた感触があった。
その瞬間、目の前にある男の顔が赤黒く変色した。
額に汗を滲ませながら、あえぐように口をパクパクと開閉させている。
たまたま、俺の足が、男の股間に絶妙の力加減で打撃を与えたのだ。
俺への拘束も弱まり、この隙に俺は男を振り払って走り出した。
同じ男として、多少なりとも気の毒な気がしたが、だからといって、黙って手篭めにされるのはごめんだ。
「ば、馬鹿野郎! 何やってんだ!」
もう一人のほうがうずくまる男を罵倒し、俺を追いかけてきた。
何とか逃れることは出来たものの、このままじゃ、また同じように捕まってしまう。
自分の身長ぐらいある茂みを必死に掻き分けていると、前方の視界が急激に広がった。
車の轍よりも狭い二本の溝が、左右に伸びている。
これは道だ。日本の道路のように整備されているわけではないが、田圃の畦道のように、車輪の部分だけ、雑草が茂っていない。
この道を辿っていけば、誰か人の大勢いるところにたどり着けるかも知れない。
背後から、男の怒号が追いかけてくる。
男達をあらわすドットの色は、今は敵対を示す赤色になっているが、そんなものを確認するまでもなく、捕まればどうなるかなんてわかりきっている。
藁をも掴む思いで、俺は助けを求め、道なりに走り始めた。