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ログインして最初に俺のキャラが出現したのは、ゲーム内のフィールドと思しき場所だった。
周囲には緑の草原が広がっており、ところどころにポツポツと樹木が立っている。
特にチュートリアルのようなものが始まる気配も無い。いきなりゲームに放り出されるみたいだ。
少しして隣に、同じようにログインしてきた先輩の狼男が出現した。
最初にログインして現れる場所は同じらしい。
「チュートリアルは無し、か。クソゲーの条件のひとつ、『不親切』をきっちり満たしているね。大変結構」
先輩らしい、捻くれた感想だった。
「いちおう、ヘルプをいつでも呼び出せるから、それで確認しろってことなんだろうね」
「そうみたいですね……ってあれ?」
先輩と会話しながら、俺は画面の表示で一部気になるところを見つけた。
画面の下部に会話やシステムからのメッセージが表示されるチャットウインドウがあるのだが、文字を入力するスペースが何処にもなかったからだ。
「先輩、このゲーム、チャットはどうやって打つんですかね?」
「チャットウインドウの下に、入力欄があるじゃないか」
先輩がそう言うや否や、先輩のキャラの狼男の発言がチャットウインドウに表示された。
「その入力欄が見あたらないんですよ」
「ウインドウの下だよ。すぐ分る箇所じゃないか……どれ、見せてごらん」
先輩は俺の背後に移動して、肩越しにPCの画面を覗き込んできた。
あくまで容姿だけではあるが、清楚な美人である先輩の顔が間近に迫り、少しどぎまぎした。
「おや。確かに入力欄が無いな。私の画面にはあるんだが」
今度は俺が、先輩のPCの画面を覗き込んだ。
確かに、先輩の画面には、チャットウインドウの下に入力欄があり、そこに先輩の入力した文字が表示されていた。
先輩がエンターキーを押すと、他のキャラにも見えるように発言が表示された。
いったい、どういうことなんだ。
俺のクライアントだけバグっているってことか。
「ああ、そうか。分ったぞ」
先輩は得心がいったというように、ポンと手を叩いた。
「これは、チートを追加で獲得したことによるペナルティさ」
「へ? ペナルティ……?」
「うん。実はね……」
先輩の説明によると、こうだ。
キャラクター作成時に付与されるチート以外で、更にチートを追加する場合、課金が必要だが、実は無課金でも追加する方法がひとつだけある。
それは、自分のキャラが、ゲームを進めていくうえで不利になるようなペナルティを被ることだ。
どんなペナルティが課せられるのかは、実際にゲームを始めてみなければ分らない。
「まーくんのキャラの場合、初期状態で付加されたチートは『生命感知』だけだったんだけど、それだけではちょっと地味だったから、ペナルティ前提の無課金チートを付与したんだ」
つまり、それで付与されたのが、もうひとつのチートである『超回復』というわけらしい。
「おそらく、ペナルティはキャラクターが言葉を喋れないというものなんだろうね。つまりゲーム的には、チャットが打てないということなんだろう」
「ことなんだろう、って……」
そんなんで、どうやってネットゲームをプレイしろって言うんだ。他のプレーヤーとまったくコミュニケーションが取れないって事じゃないか。
「まーくんのはまだ良い方さ。攻略wikiを見てみたら、画面が真っ暗だとか、武器や盾が装備できない、全く移動できないっていうペナルティもあったんだ。目が見えないとか、手足が不自由とか、そういうことなんだろうね」
「それは酷い……」
運営はいったい、何を考えてるんだろうか。
ペナルティを付加するにしても、もっと違うやり方があるだろうに。
「ちなみに、私のチートは課金チートなんで、何のペナルティも無しさ」
ドヤ顔でのたまう先輩。どうせだったら、俺のキャラも課金チートにしてくれれば良かったのに。
「君のぶんのチートも課金してやっても良かったんだけどね。ハンディキャップを持った美幼女って、なんかそそるだろう?」
「いや、意味わかんないです」
……まあ、いいか。
よくよく考えてみたら、俺がこのゲームをプレイするのは、先輩に付き合うときだけだ。
本格的にプレイする気なんて更々無いし、そもそも、他のプレーヤーと交流を持つつもりも無い。
「まあ、とりあえず、プレイをしてみようじゃないか」
「はいはい」
そんなこんなで、その日以来、俺と先輩は『チートオンライン!』というふざけたタイトルのMMORPGをプレイすることと相成った。
日がな一日暇を持て余している先輩が、日中はwikiなどで情報を集め、夜には仕事を終えて帰宅した俺の部屋に押しかけ、ゲームに引っ張り出すというのが日課になりつつあった。
付き合いと割り切っている俺は、それ以外でゲームにログインすることは無く、先輩とのペア狩りしかやっていない。
そもそも、俺のキャラでは、ステータスや能力的にソロ狩りは不可能だ。
しかも、言葉を喋れないという設定が反映されているせいか、NPCとも会話が出来ないので、ソロではクエストの受注なども一切不可能なのだ。
先輩との狩りは単調の一言に尽きる。
湯水のごとく金をつぎ込んだ先輩の狼男・三笠が、敵の真っ只中に突っ込んで無双し、戦闘が終了したら俺の巫女幼女・摩耶が、
チート能力の「超回復」で体力を回復させるという、面白みの全く無い脳筋プレイが殆どだ。
ちなみにこの「超回復」というチートなんだが、どんな瀕死の状態でも、体力をMAXまで回復させ、更には毒や麻痺などのステータス異常までも治癒させるという優れものだが、自分自身には効果が無い。
紙装甲の俺は、敵に撫でられただけで死んでしまうので、先輩が敵を殲滅する間、俺は安全な場所で、戦闘が終わるまでひたすら待機することになる。
その間することが無いので、適当に本を読んでいたり、ゲームクライアントの裏でブラウザを立ち上げて、ネットで動画を鑑賞して時間を潰すというのが殆どだ。
「終わったよ、まーくん。回復頼む」
「ああ、はいはい」
俺は読んでいた文庫本を置くと、PCに向き直った。
ゲーム画面の摩耶を操作して、三笠の受けたダメージをチートスキルで回復させる。
課金チートでブーストしまくっている三笠は、殆ど無敵に近い。
受けたダメージと言っても、本当に微々たる物で、はっきり言って俺がいる必要性が全く無い。
ちなみに、三笠の数あるチート能力の一つに「魔法無効化」というものがある。
敵からの魔法攻撃はもちろん、味方の回復魔法なども無効化するチートなんだが、俺の「超回復」だけは、何故か問題なく効果が出た。
チートは魔法という扱いではないからなのか、単なるバグなのかは分らないし、いちいち調べる気にもならない。
「それじゃあ、次の狩場に向かおうか。索敵してくれ」
「へーい」
俺は、摩耶のもう一つのチートスキルである「生命感知」を発動させた。
「生命感知」のスキルは、その名のとおり、周囲の生物を探知する能力だ。
発動させると、画面の右下にレーダーのようなものが現れ、周囲のPCやNPC、そしてモンスターなどが色別のドットで表示される。
色はそれぞれ、青が自分やパーティメンバー、白が無関係、赤がこちらに敵意を抱いている対象を意味する。
さらに、状況次第で敵対する可能性がある場合は、黄色のドットで表示される。
探知範囲の変更や表示対象を絞るフィルター機能もあり、敵の沸きポイントを探したり、逆に強敵を避けて移動したりするのに便利な機能だ。かなり地味だけど。
「マップの左隅のあたりに溜まってますね」
「OK。行こうか」
こんな感じで、敵を索敵して殲滅し、体力を回復して、索敵して殲滅……というルーチンワークを延々繰り返すのが、俺達のプレイスタイルになっていた。
はっきり言って、何の面白みも無いんだけど、どこが気に入ったのか、先輩は飽きもせずにそれを繰り返していた。
そうやって暫く狩りを続けていると、傍に放り投げてあった先輩の携帯電話が、けたたましい着信音を鳴り響かせた。
しかも、その着信音が、緊急地震速報の警報音なのだから、悪趣味にもほどがある。
「鳴ってますよ、先輩」
「後でいいよ。今狩りの最中だし。それに、相手は誰かわかってる」
先輩は携帯を一顧だにせず、吐き捨てるように言った。
しかし、緊急地震速報のアラーム音は、いつまで経っても鳴り止む気配は無い。
この音は地味に心臓に宜しくない。
「誰なんですか、その相手って」
いい加減、出るか切るかしてくれないかなと思いつつ、先輩に尋ねた。
「ああ、昔のセックスフレンドだよ」
「ぶ」
思わず噴いてしまった俺を見て、先輩はにやりと口の端を吊り上げた。
昔の、ってことは、今は違うってことなんだろうか。
「お互い身体だけの関係だったはずなのに、いつの頃からか、何を勘違いしたのか彼氏ヅラをしてくるようになったんで、ウザくなって別れたんだ」
先輩はつまらなそうに鼻を鳴らした。
そのセフレ曰く、別れた後も「お前は間違っている」「男遊びなんて止めろ」「お前は本当は寂しいだけなんだ。俺ならお前を救える」などと、事あるごとに電話やメールをしてくるのだという。
ちょっとしたストーカーみたいなものだよ、と先輩は辟易した様子で語った。
その男は確かに気持ち悪いが、先輩も先輩だと思う。
「着信拒否にするか、番号変えるかすれば良いじゃないですか」
「そんな輩のために、何で私が手間を掛けなきゃならないんだ」
至極もっともな提案をしたところ、先輩は憮然とした表情でそう言った。
「なら、せめて警察に相談したほうが」
「あいつらは、人が死ななきゃ動かんだろう。無駄だよ」
これまた、まったく取り合ってもらえなかった。
一時期に比べれば、少しはまともになったと思うんだけどな。
「……刺されないように注意してくださいね」
「おや、心配してくれているのかい?」
「そりゃあ、もちろん」
意外そうな表情の先輩に向かって、俺は真面目腐って頷いて見せた。
「先輩に死なれたら、誰がこの部屋の料金割り引いてくれるんですか」
安月給の俺にとって、家賃半額の魅力は何物にも代え難いのだ。
「ああ、そう。そうね。そんなことだろうと思ったよ」
そんな軽口を叩き合う程度で、俺も先輩も、そのことについてさほど気にも留めていなかった。その時は。