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一日休みを貰った俺を、サーラさんは付きっきりで看病してくれた。
サーラさんにも仕事があるだろうし、寝てるだけなんだから一人でも大丈夫だと伝えたんだけど、サーラさんは頑として首を縦に振らなかった。
ちなみに、俺が倒れたときに診てくれたのは、先生だったらしい。
正規の医学の心得があるわけではないが、学者だけあって知識は豊富だ。
そういった理由で、俺の診察を頼まれたみたいだ。
先生が言うには、少し疲れが溜まったのではないかとのことだったらしい。
大した事は無いだろうけど、大事を取って、今日一日大人しくしていることになった。
そんな俺の看病を買って出たのが、サーラさんだった。
「おかみさんからも、今日はあんたの看病するように言われてるんだから」
そう言われては、何も返せなかった。
サーラさんからは、例のアレが始まってしまった時の処理の仕方なんかも教えてもらった。
元男で、知識としてしか知らなかった俺にとっては、結構……いや、かなり衝撃が大きかった。
「私も初めてのときは、怖くて泣いちゃったわ。でも、仕方が無いのよ。女なんだからね」
女だから、か。
いい加減、俺も受け入れなきゃならないんだろうか。
その日は、サーラさんが付きっきりで俺の面倒を見てくれたんだけど、色んな人が俺を心配して、様子を見に来てくれた。
一番初めに俺の様子を見に来たのは、意外にもテリオだった。
『心配かけてごめん』
「べ、別に心配とかしてねーし」
「なーに言ってんのよ。アンタが一番パニックになってたくせに」
「そ、それは、お前じゃねーか!!」
……まあ、来た途端に、サーラさんと痴話喧嘩を繰り広げるというお約束な事をやってくれたわけだが。
半ば追い出されるようにして、テリオが帰った後は、昨日一緒に風呂に行ったミレーヌさんが、仕事の合間に様子を見に来てくれた。
自分が最年長者だったということもあってか、責任を感じて酷く落ち込んでいるみたいだった。
「ごめんね、マーヤ。あたしがもっと早く気付いてれば……」
俺は慌てて首を振った。
むしろ、迷惑をかけてしまって謝りたいのはこっちのほうだった。
「やあ、マーヤ。気分はどうだい?」
「マルメオさん。それ以上近づかないで。マーヤが妊娠しちゃうわ!」
「なにそれ、ひどい!」
「具合はどうだ、マーヤ。今日は何も考えずゆっくり休め」
そんな感じで、マルメオさんや団長も合間に様子を見に来てくれた。
「うん。熱も無いようですし、たぶん大丈夫でしょう」
問診に来てくれた先生が、一通り診察っぽいをことをした後、頷いた。
「明日からはいつも通りで良いと思いますが、無理はしないようにしてくださいね」
俺は神妙に頷いた。
なんだか、大袈裟になってしまい、みんなに心配をかけて申し訳なく思う反面、大事に思われていることが嬉しかった。
結局、その日は終日ベッドの上で過ごし、普段よりも早く床に就くことになった。
夢を見た。
夢を見ながら夢だと気付く夢を、確か明晰夢と言ったっけ。
俺は、その明晰夢を見ていた。
映画かテレビの視聴者のように、俺は森の中の小径をてくてくと歩いていく自分自身を、第三者の視点で眺めていた。
格好は俺がここに来たときと同じような巫女装束だったが、千早は羽織っていない。
その代わりに、両手で手提げ袋のようなものを持っている。
髪は今の俺よりも長く、日本の神社で見掛ける巫女さんのように、首の後ろで一纏めに束ねていた。
夢の中の俺は、軽い足取りで、森の中を進んでいく。
すると、前方から、何か風を切るような音が聞こえてきた。
特に不審に思うでもなく、夢の中の俺は、その音源に向けて足を進めていった。
やがて、森の中にぽっかりと口を開けているような広い場所に出た。
そこでは、一人のローニンの青年が、一心不乱に素振りを続けていた。
剣道の袴のようなものを履き、上半身も同じような上着だったが、もろ肌脱ぎで上半身を曝け出している。
男だったら一度は夢見るような、均整の取れた惚れ惚れするような見事な肉体美だった。
彼が鋭く木刀を振るたびに、風切り音と共に玉のような汗が飛ぶ。
ああ、これは、先輩だ。
何の疑問も無く、俺はそう思った。
夢の中の俺は、先輩に声を掛けることも無く、近くにあった手頃な石に腰を降ろした。
軽く握った両手を膝の上に置いて、じっとその姿を見つめている。
先輩は俺に注意を払うことなく、黙々と素振りを続けていた。
俺はというと、少しの間、大人しくその様子を眺めていたんだけど、すぐに飽きたらしい。
頬杖をついたり、両足をぶらぶらさせてみたり、しまいには、しゃがみ込んでそこらへんに落ちている石をひっくり返しては、這い出してくる虫を枯れ枝でつついて遊んだりしていた。
「摩耶」
「あ、兄様。終わったの?」
背後からの声に、俺は肩越しに振り返った。
そこには、素振りを終えた先輩が立っていた。
身体からうっすらと湯気が立ち上っているのは、激しい運動の後だからだろう。
汗でぐっしょりと湿った体毛を見て、ローニンって、犬猫と違って汗腺があったんだなぁとか、どうでも良い事を考えてしまった。
俺は立ち上がって、膝についた草切れなどを払った。
「よく飽きないね。毎日毎日」
「それが日課だからな」
呆れ顔の俺に、先輩は澄まし顔で返した。
「……まあ、良いよ。はい、朝ごはん」
「悪いな」
手提げ袋の中から、熊笹の葉で包まれたおにぎりを取り出した。
先輩は優しげな笑みを浮かべ、おにぎりを受け取った。
「どう?」
「うん。旨いぞ」
「そりゃ当然よ。私が作ったんだもの」
僅か三口でおにぎりを一個を完食した先輩は、すぐに二個目に取り掛かった。
食事をしている間、俺は持参した手拭で、先輩の身体の汗を拭い始めた。
なんだか、手つきや仕草が随分と甲斐甲斐しい。
二つ目のおにぎりも瞬く間に胃袋に収めた先輩は、添えられていた漬物をぽりぽりと齧っている。
「この糠漬けもか?」
「そうだよ」
俺は腰に手を当てて、ふんすと得意げに鼻を鳴らし、無い胸を張った。
「ご馳走さん」
「お粗末様」
先輩の労いに屈託の無い笑顔で微笑みながら、俺は水筒を差し出した。
水筒を受け取った先輩は、喉を鳴らして水を飲み始めた。
狼の口吻ではやや飲みにくいのか、口の端からダラダラと水がこぼれていた。
俺はそんな先輩の口元を手拭で拭ってやり、先輩もそれが当たり前であるかのように、されるがままだった。
いちゃついているようには見えず、リア充というよりも、長年連れ添った熟年夫婦みたいな雰囲気が、二人の間に漂っているように思えた。
「なーんか、実感沸かないなー」
先輩の隣にちょこんと腰掛けた俺は、先輩の横顔を見上げた。
「来月になったら、兄様のお嫁さんかー」
軽口のように言いながらも、俺の表情は嬉しそうだ。
「嫌なのかい、摩耶」
「ううん。そういうわけじゃないけど、今までだって、屋敷で一緒に暮らしてたわけだし……
「今更夫婦になって一緒に生活する……と言っても、ピンと来ないというわけか。成程」
先輩は狼の顔に、少し意地の悪そうな笑みを浮かべ、俺の耳元に口を寄せた。
「もちろん、それだけじゃない。夫婦の営みだってあるんだぞ」
そう囁きかけた途端、俺は茹蛸のように顔を真っ赤にして俯いてしまった。
その様子がおかしかったのか、先輩は声を上げて笑った。
「まあ、それは、まだまだ先の事だがな。さすがに子供に子供を産めというのは酷な話だ」
追い討ちのように放たれた言葉に、俺は顔を赤くしたまま、上目遣いに先輩を睨み付けた。
そんな小動物染みた反応に薄く笑みを浮かべながら、先輩は宥めるように俺の頬に手を触れた。
「怒るな。冗談だ」
「うー……」
不満そうに唸りながらも、俺にあまり嫌がっている様子は見られなかった。
うっすらと、目を細めてすらいる。
もしかして、肉球の感触が気持ち良いんだろうか。
「俺、先輩のそういうところ、昔っから嫌いです」
「そうかい? 私は大好きだよ、まーくん」
そんな二人のやり取りを最後に、俺の意識は覚醒へと向かって行った。




