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「マーヤは、大分ここに馴染んできたみたいだな」

「そうだね。最初はちょっと心配だったけど、今じゃみんなと上手くやっているよ」


 夕食の時の、息子テリオとマーヤのおかずの取り合いを思い出し、サルディーニャは喉の奥でクックッと笑った。

ここに来たばかりのオドオドしていた頃にに比べて、見違えるようだ。

 マーヤがこの劇団に来てから一ヶ月は経つ。

 元々寄り合い所帯のようなこの劇団だったが、それでも東方人というは初めてだ。

 始めのうちは、本人が必要以上に遠慮していたこともあり、他の団員もどう接してよいのか分らず、扱いに困っていた。

 東方人全てがそうなのかは分らないが、彼女の表情が極端に乏しく、何を考えているのか分りづらいこと、身に着けていた上等な衣服から、貴族の娘では無いかと見られていたことも、それに拍車をかけていた。

 そんな中で、自ら世話役を買って出たサーラの努力もあり、少しずつではあったが、確実に仕事を覚え、団員とも徐々に打ち解けていった。

 特に歳の近いサーラやテリオとは仲が良く、テリオとは、たびたび喧嘩をしていることがあった。

 始めのうちは、新入りということもあってか、マーヤのほうがテリオに遠慮している様子だったが、今では何かされたり言われたりしたら、しっかりとやり返すほどにまでなっていた。


「ねえ、お前さん。どっちがいいと思う?」

「……何がだ?」


 軽く首を傾げるドルガンに、サルディーニャは意味ありげに微笑んだ。


「何って、あんた。テリオの嫁には、サーラとマーヤどっちが良いかってことだよ」

「馬鹿な事考えてんじゃねえよ」


 ドルガンは呆れ顔で鼻を鳴らした。


「おや、どうしてだい」


 夫の態度に、サルディーニャは不満そうな声を上げた。


「まだそんな歳じゃねえ。それに、サーラはともかく、マーヤは無理があるだろう」

「なんでさ。東方人だからかい?」

「それもある。だが、お前も先生の話を聞いただろう」

「マーヤに婚約者がいたかもしれないって、話かい?」


 ドルガンは頷いた。


「あんな歳で婚約者がいるなんて、間違いなくマーヤは貴族のお姫さんだ。テリオには吊り合わん」

「そんなことを気にするなんて、お前さんらしくも無い」


 サルディーニャは妖艶な笑みを浮かべながら、夫にしなだれかかった。


「その貴族の娘を掻っ攫って、無理矢理嫁にしたのは、何処の誰なんだい?」

「……古い話を」


 ドルガンは不愉快そうに眉を顰めた。


「私の見たところ、テリオはマーヤに気があるみたいだね。マーヤは全然これっぽっちも気付いてないけど」

「はなから脈なしじゃねえか」

「まだ分んないよ。テリオの頑張り次第さね」


 鼻で笑う夫にサルディーニャは、そう言って反論した。

 サルディーニャとしては、サーラとマーヤ、どちらが息子の嫁になっても構わないと考えている。

 どちらも器量は良いし、上手くテリオの手綱を握って、尻を叩いてくれることだろう。

 もっとも、だからといって二人に自分を安売りして欲しいとは思わない。

 息子が二人と今後どういう関係を気付いていくのか、サルディーニャは楽しみだった。


「……なんだか外が騒がしいな」

「そういや、そうだね」


 二人は、テントの入り口に目を向けた。

 公衆浴場に行っていた連中が帰ってきたのだろうが、それにしても騒々しい。


「だ、団長! おかみさんっ!!」


 入り口の織布を跳ね上げ、息せき切って飛び込んできたのは、マーヤとともに話題に上っていたサーラだった。


「どうしたんだい、サーラ。騒がしいね」

「マ、マーヤが、急に倒れたのよ! ねえ、どうしよう!? どうしたらいいの!?」


 涙目になってパニックになっているサーラは、懇願するようにサルディーニャに縋りついた。

 ドルガンとサルディーニャは顔を見合わせた。


「落ち着きな、サーラ。マーヤが倒れたって、どういうことだい?」

「そうだ、サーラ。まずは深呼吸でもして落ち着け」


 二人に宥められ、サーラは若干ではあるが、落ち着きを取り戻した。


「それで、マーヤはどうしてるんだ?」

「ミレーヌさんが、部屋まで連れてって寝かせてる。今、先生に診てもらってるわ」


 ドルガンの問いに、サーラは鼻をすすりながら答えた。

 劇団に医療の心得のあるものは居ない。

 急病人が発生した場合、町医者に診せるまでの応急処置は、劇団で最も知識の多いウィルバーの役目だった。


「先生が言うには、今までの疲れが出たんじゃないかって……」

「とにかく、様子を見に行こうじゃないか」

「そうだな」


 二人は立ち上がり、サーラと共にテントの外に出た。


「マーヤが倒れたって、どういう事だよ!」


 その矢先に、テリオが三人の前に飛び出してきた。

 両親には目もくれず、サーラに向かって、非難するように詰め寄った。


「わ、私だって、分らないわよ……」


 普段なら、テリオにそんな口の利き方をされて、大人しくしているサーラではないが、事情が事情なだけに、歯切れが悪い。


「落ち着け、馬鹿息子が。サーラを責めるのは筋違いだろうが」


 ドルガンはテリオの脳天に拳骨を落として黙らせた。


「しかし、困ったね。町医者に診せるにしても……」

「うむ……」


 この街の町医者は、クルセーナ教の教会が運営している。

 担当の医師も、敬虔なクルセーナ教徒だと聞いている。

 一目で異教徒と分かるマーヤを診てもらえる可能性は低い。

 やがて四人は、マーヤ達が寝泊りしているテントの前まで来た。

 団員達が、心配そうにテントの入り口に集まっていた。


「あっ、団長におかみさん!」


 ドルガン達に気付いて声を上げたのは、ミレーヌだった。


「みんな自分のテントに戻れ。ここで騒いでいては、マーヤも落ち着かないだろう」


 ドルガンは、心配そうにしている団員達に戻るように伝えた。

 一緒に浴場に行った女達が特に心配そうだったが、団長の指示に従って渋々と引き上げていった。


「ああ、団長さんにおかみさん」


 ドルガンが、次いでサルディーニャがテントの織布をくぐると、マーヤの傍で様子を見ていたウィルバーが振り返った。

 ウィルバーの肩越しにマーヤの様子を見る。

 特に具合が悪いようには見えず、傍目には眠っているようにしか見えなかった。


「どんな様子だい、先生」


 小声で尋ねるサルディーニャに、ウィルバーは、困ったように頬を掻いた。


「良く眠っています。大した事は無いと思うのですが、なにぶん、医学の心得は無いので……」

「ひとまずは、様子見ってところか」

「そうですね。出来れば、ちゃんとしたお医者に診てもらったほうが良いと思います」

「分かった。すまなかったな、先生」

「いえいえ。マーヤさんには、研究でお世話になっていますしね」


 三人はテントを出ると、その前で心配そうにしているサーラとテリオにも伝えた。


「サーラ。マーヤに何かあったら、直ぐに知らせるんだよ」

「うん、わかった。任せて」


 サーラは神妙な表情で頷いた。


「テリオ。お前も自分の寝床に戻れ」

「わ、分かったよ……」


 テリオは尚も心配そうにしていたが、渋々自分のテントへ戻っていった。




「う……んっ……」


 気が付くと、そこは俺は見慣れた自分の部屋だった。

 部屋と言っても完全な個室というわけではなく、大き目なテントの内部を、布を敷居にして区切っているだけだ。

 一人一人のスペースは、四畳半ぐらいと、かなり手狭だ。

 ちなみに、俺の部屋はサーラさんと隣同士なので、目の前の布を隔てた向こう側は、サーラさんの部屋だ。

 テントの隙間から差し込む日差しの強さからして、既にけっこう日が高くなっているみたいだ。


(たしか、サーラさん達と風呂に行って……)


 その帰りにぶっ倒れたんだ。

 みんながここまで運んでくれたんだろう。

 しかし、なんだって急にこんなことになったんだろう。

 そうだ。先輩の事を思い出した途端、急におかしくなったんだ。

 今だって、そうだ。

 先輩の顔を思い浮かべると、心臓の鼓動が早くなって、妙に落ち着かない。

 それに、意識を失う寸前、俺は先輩を「にいさま」と呼んでいた。

 いったい、俺はどうなってしまったんだ。

 何がなんだか、さっぱり分らない。


(とりあえず、起きるか……)


 身体を起こそうとするが、なんだか、下腹部が妙に重苦しい。腹痛とはちょっと違う、初めて感じる不快感。

 ……ふと、股間の辺りに違和感を感じた。

 妙にじめっとしているというか、とにかく下着が濡れているような、気色の悪いな感覚だ。

 まさか、いきなり前後不覚にぶっ倒れただけでなく、お漏らしまでしてしまったのか。

 震える手を恐る恐る股間に伸ばし、指先に感じた異様な粘度に戦慄する。

 よりによって、大のほうを漏らしてしまったのか。

 愕然としながら、引き抜いた指を確認する。

 指先についているどす黒いものが何なのか、理解するまで少し時間がかかった。

 鼻を突く口に鉄を含んだような匂いは、明らかに血の匂いだ。

 つまり、これは。


「―――っ!」


 「それ」が何なのか理解できた途端、俺は声にならない悲鳴をあげ、その拍子に寝台から転げ落ちてしまった。

 けっこう、凄い音がした。


「マーヤ! どうしたの!?」


 隣室のサーラさんが、敷居の布を跳ね上げて飛び込んできた。

 自分の指先を見つめたまま、呆然としている俺の様子に、直ぐに状況を理解したらしい。


「おかみさんを呼んでくるわ。大丈夫よ、何も心配する必要は無いからね」


 サーラさんは安心させるように微笑んだ後、俺の部屋を出て行った。

 とりあえず、手についたものを、近くにあった紙で必死に拭い取る。

 爪の中にまで入り込んでしまい、中々取れない。気色悪い。

 そうこうしているうちに、サーラさんが、サルディーニャさんを連れて戻ってきた。


「マーヤ。大丈夫だよ。何も心配する必要は無いからね」


 サルディーニャさんはそう言って、その豊満な胸に俺を抱きしめた。

 子供をあやすように、何度も背中を擦ってくれた。


「何も心配することは無いよ。それは病気でも何でも無いんだからね」


 うん、分かってる。

 分かっているけど、なんと言うか、やっぱりショックだった。

 自分が女になってしまったのは、あくまで見てくれだけだと思っていたから。


「それはね、マーヤ。お前が大人の女になったっていう証なんだよ」


 ああ、そうなんだ。やっぱり、あれなんだ。


「結婚して子供を産める身体になったって事なんだ。お目出度い事なんだからね」


 優しく諭すサルディーニャさんの言葉が、俺の心にしみ込んで来るようだった。


「サーラに色々教えてもらうといい。今日は仕事は良いから、休んでおいで」

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