22
「マーヤは、大分ここに馴染んできたみたいだな」
「そうだね。最初はちょっと心配だったけど、今じゃみんなと上手くやっているよ」
夕食の時の、息子テリオとマーヤのおかずの取り合いを思い出し、サルディーニャは喉の奥でクックッと笑った。
ここに来たばかりのオドオドしていた頃にに比べて、見違えるようだ。
マーヤがこの劇団に来てから一ヶ月は経つ。
元々寄り合い所帯のようなこの劇団だったが、それでも東方人というは初めてだ。
始めのうちは、本人が必要以上に遠慮していたこともあり、他の団員もどう接してよいのか分らず、扱いに困っていた。
東方人全てがそうなのかは分らないが、彼女の表情が極端に乏しく、何を考えているのか分りづらいこと、身に着けていた上等な衣服から、貴族の娘では無いかと見られていたことも、それに拍車をかけていた。
そんな中で、自ら世話役を買って出たサーラの努力もあり、少しずつではあったが、確実に仕事を覚え、団員とも徐々に打ち解けていった。
特に歳の近いサーラやテリオとは仲が良く、テリオとは、たびたび喧嘩をしていることがあった。
始めのうちは、新入りということもあってか、マーヤのほうがテリオに遠慮している様子だったが、今では何かされたり言われたりしたら、しっかりとやり返すほどにまでなっていた。
「ねえ、お前さん。どっちがいいと思う?」
「……何がだ?」
軽く首を傾げるドルガンに、サルディーニャは意味ありげに微笑んだ。
「何って、あんた。テリオの嫁には、サーラとマーヤどっちが良いかってことだよ」
「馬鹿な事考えてんじゃねえよ」
ドルガンは呆れ顔で鼻を鳴らした。
「おや、どうしてだい」
夫の態度に、サルディーニャは不満そうな声を上げた。
「まだそんな歳じゃねえ。それに、サーラはともかく、マーヤは無理があるだろう」
「なんでさ。東方人だからかい?」
「それもある。だが、お前も先生の話を聞いただろう」
「マーヤに婚約者がいたかもしれないって、話かい?」
ドルガンは頷いた。
「あんな歳で婚約者がいるなんて、間違いなくマーヤは貴族のお姫さんだ。テリオには吊り合わん」
「そんなことを気にするなんて、お前さんらしくも無い」
サルディーニャは妖艶な笑みを浮かべながら、夫にしなだれかかった。
「その貴族の娘を掻っ攫って、無理矢理嫁にしたのは、何処の誰なんだい?」
「……古い話を」
ドルガンは不愉快そうに眉を顰めた。
「私の見たところ、テリオはマーヤに気があるみたいだね。マーヤは全然これっぽっちも気付いてないけど」
「はなから脈なしじゃねえか」
「まだ分んないよ。テリオの頑張り次第さね」
鼻で笑う夫にサルディーニャは、そう言って反論した。
サルディーニャとしては、サーラとマーヤ、どちらが息子の嫁になっても構わないと考えている。
どちらも器量は良いし、上手くテリオの手綱を握って、尻を叩いてくれることだろう。
もっとも、だからといって二人に自分を安売りして欲しいとは思わない。
息子が二人と今後どういう関係を気付いていくのか、サルディーニャは楽しみだった。
「……なんだか外が騒がしいな」
「そういや、そうだね」
二人は、テントの入り口に目を向けた。
公衆浴場に行っていた連中が帰ってきたのだろうが、それにしても騒々しい。
「だ、団長! おかみさんっ!!」
入り口の織布を跳ね上げ、息せき切って飛び込んできたのは、マーヤとともに話題に上っていたサーラだった。
「どうしたんだい、サーラ。騒がしいね」
「マ、マーヤが、急に倒れたのよ! ねえ、どうしよう!? どうしたらいいの!?」
涙目になってパニックになっているサーラは、懇願するようにサルディーニャに縋りついた。
ドルガンとサルディーニャは顔を見合わせた。
「落ち着きな、サーラ。マーヤが倒れたって、どういうことだい?」
「そうだ、サーラ。まずは深呼吸でもして落ち着け」
二人に宥められ、サーラは若干ではあるが、落ち着きを取り戻した。
「それで、マーヤはどうしてるんだ?」
「ミレーヌさんが、部屋まで連れてって寝かせてる。今、先生に診てもらってるわ」
ドルガンの問いに、サーラは鼻をすすりながら答えた。
劇団に医療の心得のあるものは居ない。
急病人が発生した場合、町医者に診せるまでの応急処置は、劇団で最も知識の多いウィルバーの役目だった。
「先生が言うには、今までの疲れが出たんじゃないかって……」
「とにかく、様子を見に行こうじゃないか」
「そうだな」
二人は立ち上がり、サーラと共にテントの外に出た。
「マーヤが倒れたって、どういう事だよ!」
その矢先に、テリオが三人の前に飛び出してきた。
両親には目もくれず、サーラに向かって、非難するように詰め寄った。
「わ、私だって、分らないわよ……」
普段なら、テリオにそんな口の利き方をされて、大人しくしているサーラではないが、事情が事情なだけに、歯切れが悪い。
「落ち着け、馬鹿息子が。サーラを責めるのは筋違いだろうが」
ドルガンはテリオの脳天に拳骨を落として黙らせた。
「しかし、困ったね。町医者に診せるにしても……」
「うむ……」
この街の町医者は、クルセーナ教の教会が運営している。
担当の医師も、敬虔なクルセーナ教徒だと聞いている。
一目で異教徒と分かるマーヤを診てもらえる可能性は低い。
やがて四人は、マーヤ達が寝泊りしているテントの前まで来た。
団員達が、心配そうにテントの入り口に集まっていた。
「あっ、団長におかみさん!」
ドルガン達に気付いて声を上げたのは、ミレーヌだった。
「みんな自分のテントに戻れ。ここで騒いでいては、マーヤも落ち着かないだろう」
ドルガンは、心配そうにしている団員達に戻るように伝えた。
一緒に浴場に行った女達が特に心配そうだったが、団長の指示に従って渋々と引き上げていった。
「ああ、団長さんにおかみさん」
ドルガンが、次いでサルディーニャがテントの織布をくぐると、マーヤの傍で様子を見ていたウィルバーが振り返った。
ウィルバーの肩越しにマーヤの様子を見る。
特に具合が悪いようには見えず、傍目には眠っているようにしか見えなかった。
「どんな様子だい、先生」
小声で尋ねるサルディーニャに、ウィルバーは、困ったように頬を掻いた。
「良く眠っています。大した事は無いと思うのですが、なにぶん、医学の心得は無いので……」
「ひとまずは、様子見ってところか」
「そうですね。出来れば、ちゃんとしたお医者に診てもらったほうが良いと思います」
「分かった。すまなかったな、先生」
「いえいえ。マーヤさんには、研究でお世話になっていますしね」
三人はテントを出ると、その前で心配そうにしているサーラとテリオにも伝えた。
「サーラ。マーヤに何かあったら、直ぐに知らせるんだよ」
「うん、わかった。任せて」
サーラは神妙な表情で頷いた。
「テリオ。お前も自分の寝床に戻れ」
「わ、分かったよ……」
テリオは尚も心配そうにしていたが、渋々自分のテントへ戻っていった。
「う……んっ……」
気が付くと、そこは俺は見慣れた自分の部屋だった。
部屋と言っても完全な個室というわけではなく、大き目なテントの内部を、布を敷居にして区切っているだけだ。
一人一人のスペースは、四畳半ぐらいと、かなり手狭だ。
ちなみに、俺の部屋はサーラさんと隣同士なので、目の前の布を隔てた向こう側は、サーラさんの部屋だ。
テントの隙間から差し込む日差しの強さからして、既にけっこう日が高くなっているみたいだ。
(たしか、サーラさん達と風呂に行って……)
その帰りにぶっ倒れたんだ。
みんながここまで運んでくれたんだろう。
しかし、なんだって急にこんなことになったんだろう。
そうだ。先輩の事を思い出した途端、急におかしくなったんだ。
今だって、そうだ。
先輩の顔を思い浮かべると、心臓の鼓動が早くなって、妙に落ち着かない。
それに、意識を失う寸前、俺は先輩を「にいさま」と呼んでいた。
いったい、俺はどうなってしまったんだ。
何がなんだか、さっぱり分らない。
(とりあえず、起きるか……)
身体を起こそうとするが、なんだか、下腹部が妙に重苦しい。腹痛とはちょっと違う、初めて感じる不快感。
……ふと、股間の辺りに違和感を感じた。
妙にじめっとしているというか、とにかく下着が濡れているような、気色の悪いな感覚だ。
まさか、いきなり前後不覚にぶっ倒れただけでなく、お漏らしまでしてしまったのか。
震える手を恐る恐る股間に伸ばし、指先に感じた異様な粘度に戦慄する。
よりによって、大のほうを漏らしてしまったのか。
愕然としながら、引き抜いた指を確認する。
指先についているどす黒いものが何なのか、理解するまで少し時間がかかった。
鼻を突く口に鉄を含んだような匂いは、明らかに血の匂いだ。
つまり、これは。
「―――っ!」
「それ」が何なのか理解できた途端、俺は声にならない悲鳴をあげ、その拍子に寝台から転げ落ちてしまった。
けっこう、凄い音がした。
「マーヤ! どうしたの!?」
隣室のサーラさんが、敷居の布を跳ね上げて飛び込んできた。
自分の指先を見つめたまま、呆然としている俺の様子に、直ぐに状況を理解したらしい。
「おかみさんを呼んでくるわ。大丈夫よ、何も心配する必要は無いからね」
サーラさんは安心させるように微笑んだ後、俺の部屋を出て行った。
とりあえず、手についたものを、近くにあった紙で必死に拭い取る。
爪の中にまで入り込んでしまい、中々取れない。気色悪い。
そうこうしているうちに、サーラさんが、サルディーニャさんを連れて戻ってきた。
「マーヤ。大丈夫だよ。何も心配する必要は無いからね」
サルディーニャさんはそう言って、その豊満な胸に俺を抱きしめた。
子供をあやすように、何度も背中を擦ってくれた。
「何も心配することは無いよ。それは病気でも何でも無いんだからね」
うん、分かってる。
分かっているけど、なんと言うか、やっぱりショックだった。
自分が女になってしまったのは、あくまで見てくれだけだと思っていたから。
「それはね、マーヤ。お前が大人の女になったっていう証なんだよ」
ああ、そうなんだ。やっぱり、あれなんだ。
「結婚して子供を産める身体になったって事なんだ。お目出度い事なんだからね」
優しく諭すサルディーニャさんの言葉が、俺の心にしみ込んで来るようだった。
「サーラに色々教えてもらうといい。今日は仕事は良いから、休んでおいで」




