17
「て、手前らああああっ!!」
そんな大絶叫を耳にした俺は、朦朧とする頭を振りながら顔を上げた。
俺の目に映ったのは、憤怒の形相でこちらに走ってくるテリオの姿だった。
こんなところで何してんだ、お前。劇団の手伝いはどうしたんだ。
そんな疑問を抱く間もなく、テリオは赤毛に飛び掛っていった。
「な、なんだよ、おま……うがっ!」
戸惑う赤毛の横っ面をグーで殴りつけた後、よろめいたそいつの胸倉を掴んで、地面に押し倒した。
そのまま馬乗りになって、更に今度は、赤毛の襟元を締め上げている。
赤毛は涙目。縦ロールお嬢と茶髪は、頭が追いつかないのか、呆然とその光景を眺めているだけだ。
俺も同様だったが、すぐに我に返った。
(ちょ、ちょっと待て! 何してくれてんだ、お前は!)
そんなことしたら、劇団に迷惑がかかるだろう!
団長の息子のお前がそんなんでどうすんだよ!
心の中で叫びつつ止めようとするも、軽い脳震盪のせいで、足腰に力が入らない。
這いずるようにしてテリオの所まで辿り着くと、背後から抱きつくようにして制止しようとする。
だけど、興奮状態のテリオは、俺をしがみ付かせたまま、赤毛の襟首を掴んでガクガクと揺さぶり続けていた。赤毛はもう、ギャン泣き状態だった。
少しだけ、ざまぁとか思ってしまったけど、さすがにこれ以上はまずい。
しかし、非力な俺の力では、頭に血が上っているテリオを止める事が出来ない。
「はいはい、そこまでそこまで」
頭上から降ってきたそんな声と共に、誰かの手がテリオの腕を掴んだ。
大人の手だった。
顔を上げると、そこには金髪碧眼のハンサム顔があった。
身に着けているのは、清潔感の漂う白銀色の鎧で、まるで騎士のような出で立ちだった。
俺と目が合ったその人は、安心させるかのように、口元に笑みを浮かべた。
どことなく、マルメオさんと同じような、イケメン特有のリア充オーラを感じる。
「な、なんだよ! 邪魔すんな!」
テリオはその腕を乱暴に振り払おうとするが、さすがに大人の男の力には叶わない。
「落ち着きたまえ、少年。友達が怯えているだろう」
その言葉にはっとしたテリオは、ようやく俺が背中にしがみついていることに気が付いたらしい。
不安そうにしている俺と目が合うと、ようやく、赤毛の胸倉を掴む手を緩めた。
その拍子に赤毛は後頭部を地面に打ちつけ、更に悲鳴を上げていたが、無視することにした。
「ア、アリアンテ様!」
叫んだのは、テリオの乱入におろおろしていた縦ロールだった。
それが、このイケメンの名前なんだろう。
「様」付けで呼んでいることといい、小奇麗な身なりといい、たぶん、身分の高い人みたいだ。
よくよく見てみると、鎧の左胸のあたりに、クルセーナ教の聖印が刻まれている。
つまり、教団の関係者ということだ。
これは、非常にまずい状況かもしれない。
「そ、そこの異教徒の仲間が、突然私達に暴力を……!」
危惧したとおり、縦ロールお嬢がここぞとばかりに、こちらを指さして一気に捲し立てた。
「なっ! ふ、ふざけんな、てめえ! 先にマーヤに手を出したのはお前らだろうが!」
「はいはい、落ち着いて落ち着いて」
いきり立ってもう一度飛び掛ろうとするテリオを、イケメン騎士がやんわりと制した。
「ああ、怖い! 異教徒と付き合いのある連中とは、どうしてかくも暴力的なのでしょう!」
芝居がかった口調で仰け反りながら、縦ロールは騎士に訴えかけた。
「こ、この……!」
激高しそうになるテリオに抱きつくようにして必死に抑える。
腹が立つのはわかるが、ここで暴れたら相手の思う壺だ。
「私が見ていた限りでは、先に手を出したのは、君のお友達だったように見えたけど?」
にこやかな笑顔で指摘するアリエンテさんとやらに、縦ロールの顔色がさっと変わった。
意外なことに、俺を弁護するような言葉を口にしたのだ。
「い、いったい、何を……」
途端に縦ロールはしどろもどろになり、視線を泳がせはじめた。
「君のお友達が、東方人のその子を引っ張って転ばせたのが先だよね? その前には、その子に何か色々と言っていなかったかい? どうせ口が利けないのだろうとか、言葉が理解できないのだろうとか」
穏やかな笑みを浮かべたまま、次々と縦ロール達の罪状を指摘していく。
どうやら、近くでずっと見ていたらしい。
だったら、その時点で止めてくれと少し思ったが、こちらを弁護してくれているようなので、大人しくしていることにした。
縦ロールは肩を震わせながら、下唇を噛み締めて俯いていた。
「そして、その後こっちの子が」
そう言いながら、テリオに顔を向けた。
「君のお友達に掴みかかったんだよね」
次に、俺を転ばせ、テリオにボコられた赤毛を見た。
赤毛は未だに、顔を手で覆ってしゃくりを上げている。
「違うかな?」
「そうだ! そいつらが先にマーヤに手を出したんだ!」
弾劾するように叫ぶテリオに、縦ロールは悔しそうに顔を伏せ、置物のように突っ立っていただけの茶髪は、おろおろとしていた。
「で、でも! 相手は異教徒です! 髪の黒い人間なんて、悪魔の手先です!」
猛然と顔を上げた縦ロールは、俺のほうを睨みつけながら叫んだ。
「教義を遵守するのも大事だけどね。ただそれだけに凝り固まっては、無用な軋轢を生み出すばかりだよ。今は昔とは違うんだ」
非難するわけでも諭すわけでもなく、世間話のような何気ない口調で、アリエンテさんは縦ロール達に言った。
「それから、君もちょっとやりすぎ」
今度はテリオにお鉢が回ってきた。
当然、大人しく聞くような奴ではないので、言い返そうとするが、後ろから引っ張って何とか黙らせた。
非難がましい目でこちらを睨んでくるが、俺はゆっくりと首を振った。
俺は庇ってくれたアリエンテさんに頭を下げると、素早く黒板に感謝と謝罪の言葉を書き込んだ。
『助けてくれてありがとうございます。お騒がせしました』
アリエンテさんは、少し意外そうな表情になった後、感心したように笑顔で頷いて、どういたしましてと言った。
なんにせよ、丸く収まりそうで良かった。
最悪の場合、騒動を起こしたという理由で、街から追い出される可能性だってあったのだ。
縦ロールのほうに目をやると、こちらも驚いたように目を丸くしていた。
たぶん、俺が言葉を理解していると思っていなかったんだろうな。
そいつと目が合ったので、思いっきり舌を出してやった。大概、俺も大人気ない。
ついでに中指も立ててやろうかと思ったけど、さすがにそれは思いとどまった。
「い、行くわよ……!」
憎々しげに俺をひと睨みした後、縦ロールはそう吐き捨てて歩き去って行った。
赤毛と茶髪が、肩を怒らせる縦ロールお嬢を慌てて追いかけて行った。
縦ロールと取り巻きが姿を消すと、何事かと遠巻きに見守っていた通行人達も徐々に散り始めた。
「やれやれ……」
歩き去る3人の背を眺めつつ、アリエンテさんは肩を竦め苦笑をもらした。
「彼女は、ここの大司教猊下の娘さんなんだけどね。少し、教義を盲信するところがあるんだ」
予想通り、教団のお偉いさんの家族だったわけか。
それで、たまたま目に付いた異教徒の俺を苛めて遊ぼうとしたわけか。
宗教組織の階級とか良く分らないけど、大司教って結構偉い人だったよな。
「だからなんだ! こいつに乱暴していい理由になるか!」
怒りが収まらないのか、テリオはアリエンテさんに食って掛かった。
俺もお前と同じ気持ちだけど、ちょっとは抑えてくれ。
せっかく助けてもらったのだから、あまり波風を立てたくない。
この人は教団の関係者らしいけど、話が分る人みたいだし。
しかし、どういう立場の人なんだろうか。
教団のお偉いさんの娘に堂々と意見を言えるところからして、それなりの地位にいる人なんだろう。
「うん、その通り。君の意見が正しいよ。済まなかった」
アリエンテさんは、俺達に向かって頭を下げた。
子供相手でも、誠実に謝罪してみせたことに、俺は驚いた。
テリオも予想外の反応に毒気を抜かれていた。
「自己紹介が遅れたね。私の名はアリエンテ・ロロネーと言う。格好からも分るとおり、クルセーナ教の聖堂騎士さ」
聖堂騎士。なんか仰々しい名前だ。
教団の保有する私設の軍隊という認識で合っているんだろうか。
宗教団体が持つ固有の武力と聞くと、どうしても嫌なイメージしか思い浮かばない。
助けてもらっておいて何だけど、正直、極力係わり合いになりたくない。
とはいえ、この人自身に思うところはないし、向こうが名乗ったのだから、こちらも名乗るが礼儀だろう。
『俺はマーヤ。こっちの騒々しいのはテリオ』
俺は黒板に自分とテリオの名前を書いてみせた。
本名は「マヤ」だが、テリオが既に俺をマーヤと呼んでいたし、その理由をいちいち説明するのも面倒なので、普段の呼称のほうを名乗った。
「マーヤちゃんとテリオくんだね。よろしく。マーヤちゃんは、女の子……だよね?」
マルメオさんと同じところを見咎められた。俺は頷く。
「おい! 騒々しいのってどういう意味だ!?」
テリオの奴が噛み付くように割って入って来た。
自分で証明してるじゃないか。
『言葉通りの意味だ』
素早く黒板を書き換えて、鼻先に突きつけてやった。
口が利けなくなってから、文字を書くスピードが、やけに早くなった気がする。
「フフフ……仲が良いんだね」
少し呆気に取られた後、アリエンテさんは愉快そうに笑っていた。
「ところで、マーヤちゃん。黒板をぶつけたところは大丈夫かい? 見せてごらん」
アリエンテさんは心配そうに屈み込むと、俺の顎に手を当てて、上を向かせた。
顎を擦る指の感触がこそばゆい。
なんかこれって、端から見ると、童話のお姫様が、王子様からキスしてもらうシーンみたいに見えるんじゃないだろうか。
これが普通の女の子だったら、格好いい騎士様に優しくしてもらって、胸をときめかせるところなのかもしれないけど、俺の場合、生憎と中身は男だ。
「おい、マーヤ! お前、まだ仕事残ってんじゃないのか!?」
おっと、そうだった。
だけどさ、何もそんな怖い声出さなくても良いだろ。
何かいらついてるみたいだけど、どうしたんだよ、急に。
『俺、まだ仕事が残ってるので行きます。助けてくれて有難うございました』
まだ配達の仕事が残っている俺は、アリエンテさんに黒板を示した。
「そ、そうだったのか」
テリオの大声に少し驚いたのか、アリエンテさんはちょっと戸惑い気味だった。
「でも、本当に大丈夫なのかい?」
俺はしっかりと頷いて立ち上がった。
憮然としているテリオを引っ張り、一緒に頭を下げた後、行こう、とテリオの手を引いた。
「気をつけて帰るんだよ」
その声に振り返って大きく手を振り返し、俺達はその場を後にした。
「おい! いい加減、離せよ!」
アリエンテさんが見えなくなったあたりで、テリオが俺の手を振り払った。
取っ組み合いをした後で興奮していたのか、顔が妙に赤かった。
『どうしてここに?』
「サーラ……じゃない、マルメオさんにお前に付いていけって言われたんだよ」
なるほど。あの二人の差し金だったわけか。
気に掛けてもらえるのは有り難いけど、俺ってそんなに信用無いんだろうか。
実際、絡まれてしまったわけだが。
「勘違いするなよ。別にお前が心配だったわけじゃない。マルメオさんのお願いだから、仕方なく付いてきてやったんだ」
いかにも渋々やらされたんだという感じで、テリオは言い捨てた。
まあ、一応、こいつにも礼を言っておいたほうが良いのかな。
結論から言えば、こいつの行動は無駄というか、危うく状況を悪化させるところではあったんだけど。
『ありがとう、テリオ』
「なっ……!」
黒板にそう書いて見せてやったところ、面白いようにうろたえてくれた。
もしかして、照れてるのかな。
赤い顔でそっぽを向くテリオが、ちょっと面白かった。