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 炊事場と街の共同井戸の間を何往復かしてかめの水を満たすと、俺の朝の仕事はひとまず終わりだ。


「あ、マーヤ。ご苦労さん」


 そこで丁度、炊事婦達に混じって配膳をしていたサーラさんと出会った。


「悪いんだけど、もうすぐご飯だから、寝坊助共を起こしてきて!」


 傍にあった鍋とお玉を引っつかむと、俺のほうに手渡してきた。

 俺は頷いてそれを受け取る。

 水汲みの後の総員起こしは、今までは手の空いている人間が行っていたらしいが、俺がここに来てからは、ほぼ俺の仕事になっていた。

 既に起きている人もいるが、それでも朝が弱い人や、夜更かししていた人は未だに惰眠を貪っている。

 そういう人らを、お玉と鍋を駆使して叩き起こすのが俺の任務だ。

 まず、最初に向かったのは、団長夫妻が寝室として使っているテントだ。

 心の中でお邪魔しますと呟いた後、テントの中に入る。

 奥さんであるサルディーニャさんは俺達女衆の家事の指揮を執っているので、ベッドの上で暢気に高いびきをかいているのは団長だけだ。

 いちおう、身体を何度か揺すってみるが、起きる気配は全く無い。

 俺は軽く息を吐くと、おもむろに左手に鍋、右手にお玉を構えた。

 そして、団長の耳元でそれを激しく乱打しまくる。


「んごげっ!?」


 カエルが踏み潰されたような奇声とともに、団長の身体が跳ね起きた。

 鍋とお玉を手に見下ろしている俺に気付くと、ぼさぼさの頭髪を掻き回しながら上半身を起こした。


「……マーヤか。いつも言ってるだろう。普通に起こせ」


 三白眼でギロリと睨みつけてくるが、寝癖のついた頭では、普段の迫力も半減だ。

 普通に起こしたけど、起きなかったじゃん、と思ったが、そんな長い台詞をいちいち書いてはいられない。

 俺は予め、黒板に書いていた「朝ごはん」という文字を団長の顔前に突きつけた。


「ああ、わかったわかった。着替えたらすぐ行く」


 うっとうしそうに手を振る団長に俺は、鷹揚に頷いて背を向けた。


「サーラといい、マーヤといい、日に日に女房に似てきやがるな……」


 背後からそんなぼやき声が聞こえたが、無視した。




 次に俺が向かったのは、劇団の皆から「先生」と呼ばれている人のところだ。

 あちこちを旅しながら、地方の民話や風習などを収集・研究している民俗学者のような人だ。

 正確には劇団の一員ではなく、目的地が同じということで帯同している食客のような人だ。

 テントに入り、そっと中の様子を伺う。

 先生はベッドではなく、書き物や調べ物をするときに使う小さな机に、突っ伏するようにして眠っている。

 何か調べ物をしているうちに、疲れてそのまま眠ってしまったのだろう。

 書き散らかしたメモやら何かの本やらが、さして大きくない机の上に乱雑に広げられている。

 それらを下敷きにして、メガネをかけた青年が横っ面を押し付けるようにして、眠りこけていた。

 この人の名前は、ウィルバーさん。

 本人はあまり話したがらないけど、噂ではどこかの貴族の次男坊らしい。


(先生ー。朝飯だよー。起きてー)


 心の中で呟きながら、先生の身体を揺さぶった。

 団長とは違い、軽く呻いた後、先生――ウィルバーさんは、机から顔を上げてくれた。

 しょぼしょぼの目を瞬いている先生の眼前に、俺は「朝ごはん」と書かれた黒板を突きつける。


「あー……? ああ、マーヤさん、お早うございます」


 メガネを掛け直した後、先生は子供のような無邪気な笑みを浮かべた。

 どうでも良いけど、寝癖が酷い。その上、本の上に突っ伏して眠っていたもんだから、ほっぺたにはインクがこびり付いていた。


「ご飯ですね。わかりました」


(ちょ、ちょっと、ちょっと!)


 俺の横を通り過ぎて、ふらふらとテントを出て行こうとする先生を、慌てて引き止めた。


「ふぇ? どうしました、マーヤさん」


 不思議そうに振り返る先生に、卓上に置いてあった手鏡を取って突きつけた。

 そこに映る自分の姿に、ようやく状況が飲み込めたのか顔を赤くした。


「し、失礼。顔を拭きますね」


 先生は傍にあった手拭で、顔を拭き始めた。

 顔だけじゃなく、寝癖もちゃんと直して欲しい。


「ところで、マーヤさん。記憶は戻りましたか?」


 顔を拭きながら先生は、俺に尋ねてきた。

 俺がここに着たばかりの頃、新入りが東方人と知って喜んだのがこの先生だ。

 民俗学者なだけあって、東方人の暮らしぶりについて詳しく知りたかったらしく、俺が記憶喪失(ということにしている)と知ったときの落胆振りは無かった。

 それから、事あるごとに、俺に記憶が戻ったかを尋ねてくるのだ。

 本人に全く悪気は無いのだろうけど、少し鬱陶しい。

 俺が首を振ると、先生は落胆したように肩を落とした。


「記憶が戻ったら、すぐに教えてくださいね。東方の人々の暮らしぶりや文化を詳しく知りたいのです」


 はいはいわかりました、という感じで、俺はおざなりに頷いた。


「そうそう、マーヤさんの着ていた服、また貸してもらえませんか? 色々と調べたいのです」


 俺が来ていた服というのは、この世界に来たときに身に着けていた巫女服のことだ。

 台詞の字面だけを捉えると、非常に変態チックだが、先生の場合は、文字通り学術的な興味以外の何物でもない。

 ちょっと、デリカシーというか、TPOをわきまえていないところはあるが。

 こんな人でも、それまでに収集した民話や伝承といった知識は非常に豊富で、劇団に演目の元ネタを提供している事もあって、劇団員にはわりと好意的に受け入れられていた。

 かくいう俺も、この人の持っている本などから、この世界の色々な情報を仕入れているので、非常に助かっている。

 あの巫女服のどこをどう調べるのはは分らないが、その程度ならお安い御用だ。

 俺が頷くと、先生はまた子供のようにありがとうございます、無邪気に笑った。




 先生が身嗜みを整え、皆のところに向かったのを見届けた後、俺は次に起こす人のところへ向かった。


「やあ、マーヤ。お早う。毎朝ご苦労さんだね」


 次に向かったのは、俺をここに連れてきた恩人でもあるマルメオさんのところだ。

 俺が起こしに来るだいぶ前に起床していたようだ。

 既に寝間着から普段着にも着替えて身嗜みも綺麗に整えて、俺を待ち構えるかのようにテントの前に立っていた。

 黒板に「おはようございます」と書いて掲げた後、ふと違和感に気付く。

 

「すぐに食堂に行くから、他の連中を起こして来なよ」


 マルメオさんの様子が少し変だ。

 俺が来る前に起きているのなら、さっさと食堂に向かえば良いのに、どうして俺が来るまでここにいたんだろう。

 寝室を覗いてみて誰も居なければ、俺はすぐに別の人を起こしに行くわけだし。

 テントの入り口を塞ぐようにして立っているのも妙だ。怪しい。

 マルメオさんの脇から、テントの中を覗き込もうとすると、あからさまに俺の視界を遮ろうとする。


「どうしたんだい、マーヤ?」


 いつもと変わらない笑顔で見下ろすマルメオさんを、俺は胡乱げな表情で見つめた。

 『生命感知』を発動してみると案の定、テントの中には、誰かいることを表す白いドットが存在した。

 つまり、そういうことなのだ。

 半レイプ目で見つめる俺の視線に耐えかねたのか、マルメオさんは俺から目を逸らした。


「……マーヤ。大人には大人の事情というものがあるんだよ?」


 なんだそりゃ。女連れ込む言い訳にはならんでしょうに。


「そ、そうだ。これで何か美味しいものでも食べなさい」


 マルメオさんは自分の懐に手を突っ込んでゴソゴソやった後、俺に数枚の銅貨を握らせてきた。

 ちらりと、手の平に視線を走らせる。

 端金ではあるけど、仕事の合間に屋台で買い食いぐらいは出来るだろう。

 ここは大人しく買収されてやることにした。


『なるべく早く来てね』


 黒板にそう書いて見せると、マルメオさんはとびきりの良い笑顔でもちろんだと頷いた。

 ホッと肩を撫で下ろすマルメオさんに背を向け、俺は次の場所に向かった。


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