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「どうも、お疲れ様です」
兵士の前まで馬車を進めたマルメオさんは、ハンチング帽の庇を軽く上げて挨拶した。
俺も荷台から顔を覗かせ、おそるおそる頭を下げた。
兵士は一瞬驚いたような顔を見せた後、何とも言えないような表情で、ゆっくりと口を開いた。
「おい、マルメオ。ついにこんな子供にまで手を出したか。しかも、今度は東方人か?」
「ちょっ……ひ、人聞きの悪いことを言わないでくれるかな、カイウスさん!」
マルメオさんは、慌てふためいたように両手を振った。この兵士とは顔見知りなんだろうか。
けっこう気安い仲のように見える。
「何言ってんだ。この前は、南国人の豪商の娘にコナかけて、娘の父親に殺されかけただろうが」
「い、いやっ、それは……」
へえー、ふーん……
何となく、女の扱いに手馴れているような感じはしてたんだけど。
つまりは、そういう人だったわけだね。
「マ、マヤちゃん! 誤解。誤解だから。ね?」
若干笑顔を引きつらせたマルメオさんが、弁解じみた言い訳をするが、俺の中でのこの人のイメージはもう確定してしまった。
慌てぶりから察するに、結構な前科……もとい、武勇伝をお持ちのようだ。
まさかとは思うけど、俺を助けてくれたのは、そういう下心があってのことじゃないよな。
「……」
俺は半眼で、詰問するようにマルメオさんを見つめた。いわゆるジト目というやつだ。
「いや、そんなことよりだね」
レイプ目の小娘にそんな目で見つめられ、さぞかし居心地が悪かったのだろう。
視線に耐えかねたのか、マルメオさんはやや強引に話を変えようとした。
「街道でまた山賊が出たんだが。何とかならないもんかね」
「またか……」
カイウスさんは、忌々しそうに表情を歪ませた。
「この子も、山賊に追われていたのを保護したんだよ」
マルメオさんはかいつまんで、俺を助けたときのことを話して聞かせた。
俺が言葉を話せないこと、保護者が居ないこともそれとなく伝えてくれた。
「どうにかしたいのは山々なんだが、領主のボンクラがなぁ……おっと」
カイウスさん首を竦めて口を噤んだ。
詳しい事情は良く分らないが、街道の治安が宜しくないのは、この辺りを治めるエライ人のせいらしい。
とりあえず、あまり大きな声で言えないことだけは理解できた。
きっと、領主への悪口なんて、日本で政治家の悪口を言うレベルの問題ではないのだろう。
「こちらも何かと人手不足で、ゴロツキの討伐にも中々人手が割けないんだよ」
カイウスさんは溜息混じりに吐き捨てるように言った。
「この子は、その山賊に襲われそうになっていたんだ。身寄りが無い上に、自分の名前以外、思い出せないそうなんだ」
「んー、そりゃ困ったな。さっきも言ったとおり、こっちは人手不足でなぁ」
「ああ、わかってるよ。だから、この子を暫く劇団で預かろうかと思うんだよ」
「そうしてもらえると助かる。こっちも、保護する余裕が無いんだ」
マルメオさんは懐から金子のようなものを取り出し、カイウスさんに手渡した。
それが正規の通行税なのか、カイウスさんへの個人的な賄賂なのかは、俺には判断できなかった。
その後、何か書類のようなものにマルメオさんが署名を行い、手続きはすぐに終わった。
「お嬢ちゃん。他の連中はともかく、この男にだけは気を許しちゃいけないぞ?」
別れ際、カイウスさんは俺の顔を覗きこみ、おどけるようにそう言った。
「ちょ、ちょっと! 変なこと吹き込まないでくれるかな!?」
慌てるマルメオさんとカイウスさんのしたり顔を交互に見渡した後、俺はできるだけ真剣な表情で、しっかりと頷いてみせる。
カイウスさんは声を上げて笑い出し、マルメオさんは不本意そうに肩を落としていた。
これ以上、変なことを吹き込まれては適わないと思ったかどうかは知らないが、マルメオさんは、やや慌てたように馬車に鞭を入れた。
愉快そうに手を振るカイウスさんに見送られ、馬車は街の門をくぐった。
マルメオさんの馬車は、行きかう通行人の間を縫うようにして進んでいく。
街の風景は、昔テレビで見たローマやミラノといった、イタリアあたりの風景に良く似ていた。
車がないことを除けば、舗装された石畳や、やたらと狭い路地、立ち並ぶ屋台などそっくりだった。
俺は、荷台から御者台のほうに身を乗り出し、そんな風景を物珍しそうに眺めていた。
やがて馬車は、市街地を抜け、建物が少ない開けた場所に出た。どうやら、街の外れに向かっているらしい。
更に暫く進むと、前方にサーカスの天幕のようなものが見えてきた。
その周囲には、それよりも小さなテントがいくつか立ち並び、出入りする人の姿を見ることが出来た。
「あそこが、そうだよ」
マルメオさんがこちらを振り返り、一番大きなテントを指さして見せた。
俺は、やや緊張した面持ちで、頷いた。
マルメオさんはわりと気軽に言ってくれたけど、見ず知らずの人間が押しかけて本当に大丈夫なんだろうか。
馬車がテントに近づいていくと、それに気が付いた女性と思しき人影が、こちらに走り寄ってくるのが見えた。
「マルメオさん、おかえり!」
「やあ、サーラ」
快活な声に答え、マルメオさんは軽く片手を上げて挨拶を返した。
駆け寄ってきたは、栗毛色の髪を三つ編みにした少女だった。
俺よりも2,3歳年上ぐらいだろうか。
そばかすの浮いた顔は、美人というよりも可愛らしいという感じだ。
「あれ。その子は……」
マルメオさんの後ろから顔を覗かせている俺を見て、少女は怪訝な表情になった。
俺はぺこりと頭を下げた後、首から提げた黒板に「こんにちは」と書いて見せた。
「ああ、この子はね。マヤちゃんって言うんだ」
次の瞬間、サーラと呼ばれた少女は、柳眉を逆立てると、マルメオさんに食って掛かった。
「ちょっと、マルメオさん! まだ子供じゃない! 何考えてるの!?」
「いやいやいや! だから、違うってば!」
さっきの衛兵、カイウスさんと同じ勘違いをされている。
こんな女の子にまで、そういうふうに見られているということなのか……
俺の中のマルメオさんに対する印象が、どんどん下方修正されていく。
「しかも、どう見ても良いところのお嬢様じゃないのさ!」
いいところのお嬢様って……俺が?
もしかして、格好のせいだろうか。
たしかに、巫女服の上に着ている千早は、肌触りなんかからすると絹のように思える。
俺の世界でも絹製品は高級品だが、こっちはそれに輪をかけて、希少価値が格段に違うのだろう。
「だからね、それについて団長に相談しなきゃならないんだ」
「まさか、示談金を払うから、給料を前借りしたいってこと?」
「違うって!」
マルメオさんと勘違いしている女の子のやりとりを眺めているのも面白かったけど、このままじゃいつまで経っても堂々巡りで話が進まない。
俺は手早く黒板に文字を書くと、二人の間に割り込むようにして、サーラという女の子に見せた。
「えっ……? 『マルメオさんには、山賊から助けてもらいました』?」
きょとんとした表情で、サーラさんは俺の書いた字を読み上げる。
「本当に?」
伺うように尋ねてくるサーラさんに、俺は何度も頷いた。
視界の端で、マルメオさんが「グッジョブ!」とでも言いたげな笑顔を浮かべているのが見えた。
続けて俺は、口が利けないこと、自分の名前以外、何も覚えていないこと、途方に暮れていたところを山賊に襲われて逃げていた事を、手早く書いた。
俺の書いた字に目を通したサーラさんは、一転して悲しそうに表情を歪ませ、目に涙を浮かべた。
「そ、そんな。何も覚えていないなんて……か、可哀想……」
随分と喜怒哀楽の感情が激しい人みたいだ。
本当のことが話せないとはいえ、ちょっと罪悪感を覚えてしまった。
「まあ、そんなわけだから、これから団長に相談しに行くんだよ。この子をここに置いてもらえいないかどうかね」
「そういうことなら、私も協力するわ! 一緒に団長を説得してあげる!」
着ているダブリエの前掛で涙をわしわしと拭い、サーラさんは力強く宣言した。
「大丈夫よ、マヤちゃん! 何も心配は要らないからね!」
「ま、まあ。そんなわけだから、団長のところに行こうか」
やたらと気合一杯のサーラさんとマルメオさんに連れられ、俺は一番大きなテントへと向かった。