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短編小説

ダブルブラッド

作者: 伊那

昔別名義で書いたシリーズ第四弾。2012年製。

「確実に殺してね」

 あたしじゃ手が震えちゃうかもしれないから。

 そう言って彼女はおれに、短筒(じゅう)をわたした。

 海ぞいの村だったから、海のむこうからやってきたものはたくさんあった。魚や船はもちろん、大陸の人間、短筒、異国の神様、それから、彼女の父親もだ。彼女の祖先はおれたちに似た顔の大陸人よりももっと遠いところに住んでいたらしい。

 髪は茶色で、瞳は灰色だった。

「こんなもの、目なんか必要なかったっていうのに」

 彼女はおれたちの言葉をよく理解し、そして彼女自身もそれをしゃべるというのに、まるでおれたちとは違う存在のようだった。そういうナリをしていた。ただそれだけだった。

「それ以上近づいたら殺すからね」

 はじめて会った時は威嚇していたのに。

 今はこんなにも近くにいる。そして短筒をわたすのだ。

「何もあいつに似なくてよかったのに」

 彼女は人間を、とりわけ父親を嫌っていた。だから同じ性別のおれ、ひいては男を憎んでさえいた。

「異国の男が、母さんを無理矢理、分かる?」

 まるで虫けらを見る目でわらった。彼女は、自分を生んだ母よりも、父を憎んだ。

 もしかしたら、彼女の父親の故郷なら彼女は受け入れられたのかもしれない。そんな遥か遠いところ想像もつかないが、彼女と同じような肌や髪の色をした存在がいるところ。

 だがここは違った。おれが住むところは、狭く同じような人間しかいなかった。彼女が何をされてきたのかは想像できた。

 おれだってはじめて彼女を見た時には、身をすくませた。見たことのない肌のいろ。髪、瞳。顔だちだって何かが違う。

 だけれども。彼女はおれを睨んで、おれのよく知る言語を吐いた。物騒な内容だったけれど。

 のちに聞く彼女の母はおれたちの村の隣り村の出身だということからも分かるように、きっと彼女は母一人に育てられたのだろう。

 その容姿を受け継いだ父親は何処かへ行ってしまったらしい。それだけが彼女の特異なところ。ただそれだけ。

 母がいないのは見て分かる、いなくなったか亡くなったかは分からない。けれど最近のことなどではなさそうだ。

「あんた、何でまた来るの?」

 すさんだ目で、わずかに悲しそうに見えたから。真剣に考えてみることにした。

「なんでだろ。暇だから、かな」

 彼女は顔中いっぱいにしわを寄せたが、何も言わなかった。真剣になり過ぎてそれを言えなかった。


「死にたいのか」

 いつか聞いたことがある。短筒をわたされたけど、すぐに地面に置いたその日、聞けなかったこと。

「こんな世界、生きてる意味ない」

 じゃあなんでまだ呼吸をしてるのかとは言えなかった。彼女は自分を殺そうとするだろう。

 おれ自身は毎日楽しくて仕方ないほどに生きることが素晴らしいとは思わないが、死にたいと思って生きるのは辛いだろうと思った。

 彼女の背中がひどくか細く見えた。力を込めたら折れそうだ。そうしてみたくて、でもそれも彼女を怒らせると分かっていたのでやめた。

 彼女とは、村の外れでなんとなくしゃべったりしていた。ちょっと行くと彼女の家があり、そこに彼女は暮らしていた。少し歩けば、浜辺がある。そんな簡素な家の中で、一人くらしていた。


 ある日彼女は姿を見せなかった。約束なんてしてないけど、気になったから彼女の家にはじめて入った。

 彼女は胸を上下させ眠っていたから、安心したけど、具合はよくなさそうだった。

「出てって!」

 相手がおれだと分かってからも、一度困惑した様子を見せてまた言った。

「早く出て」

「なんで。看病するよ」

「やめてよ」

 彼女は本当に辛そうだったから。額に手をのばし、熱がないかをはかろうとしただけなのに、ひどくおびえて身をひきつらせた。

 あっけにとられた顔をして、あとずさる。

「何もしない。熱があるかと思って」

 普段、すこしなら身体が触れたりぶつかったりしたことくらい、あるのに。

「早く出てってよ」

 彼女は拒否。

 おれは一度彼女が寝つくのを待とうかと思ったが、どうせ手間だと、彼女にあきらめてもらうことにした。

「あきらめろ、お前は病人で、おれは病人じゃない。勝つのはどっちかな」

「男なんて……力があるだけのくせに」

 病人じゃなくたって、と考えたのだろうか。飛躍した内容だったが彼女の平素からの男性嫌いはよく分かっている。

 おれはとりあえず病人にしたらよさそうなことをはじめることにした。なさそうだが薬がないかと棚をあさる。薬はおろか生活に必要なものはごくわずかにしかなかった。母親のものらしき古い裁縫箱や、筆や硯があるのが素晴らしいくらいで、妙な紙切れもあったがまともなものはそれくらい。

 それなら粥をつくりたい。

「男は子育てなんかしないくせに、無駄な力があって……女を言うこときかせられるだけの力のくせに」

 具合が悪いからの吐露かもしれない。 彼女の考えはなんとなくは分かっても、ここまで具体的に口にするのははじめてだ。

「家事に使うものや子どもは重たいのに……何もしない」

「じゃあおれはお前の子育て手伝ってやるよ。言うこときかせようと腕力使ったりしない」

 近くにあった顔を見るとぽかんとしていた。その隙に熱をはかる。高熱ってほどじゃないが熱はあがっている。

「何言ってるの」

「お前の嫌がることはしないよ。これで、おれのこと信用しない?」

 殺してくれとまで言われたけれど、彼女はおれを信用してない。

「するわけないでしょ!」

 彼女は布団の中にすっぽりくるまってしまった。

 おれは粥を作っては帰宅した。この家には何もなさすぎる。薬をとりに戻った。

「これ、あの男が持ってたのよ」

 彼女は起きていた。粥はすこしだけ減っていたから、全部なくなってなくてもおれは満足だった。

 紙切れをひらひらとさせた彼女は、苦々しげな顔でそれを見ていた。 さきほど、家捜しをした時にも見かけたものだ。黄みがかって、手の平に収まる程度の大きさ。

「字が読めるのか」

「ちょっとだけならね。でもこれは、あたしの知る文字じゃない。あいつの……あの男の国の文字よ」

 なるほど見てみたらそれは確かにおれも知らぬ文字だった。とはいえおれだってまともな読み書きの出来ぬ子どもだったから、ただまったく見知らぬ文字と分かっただけだ。

「母さんはこれを見てた。読めないくせに」

「何が書かれてると思う?」

「さあね。知らないわ。知りたくもない」

 言いながら、彼女はその紙片を捨てようともしないのだった。


 いつからか、それは何度と取り出されたようだ。おれは彼女の祖先を知りたかった。異国の文字を読める人を探した。だがこんな田舎に知恵者はなく、おれは村を出て探すことにした。

 久しぶりに村に帰って彼女に会うと、彼女はいつにも増して不満そうだった。

「死んだかと思ってた」

「あの文字を読める人を探してたんだ」

 まだ見つかってないけど、と続けた。

 彼女は一瞬虚をつかれたような顔をした。予測もしてなかったのだろう。ずいぶん前のことだったから、あの紙片を見つけたのは。

「何して……意味のないことしないで。だいたい、なんであんたが? 関係ないでしょ」

「お前が気にしてるからだろ」

「気にしてない! だとしても、あんたと関係ないって言ってるの」

「おれが気にしてるのはお前だから、お前の気にしてるものが気になるんだ。関係あるだろ?」

 しばらく、彼女は口を動かしては音を吐かずに上下させた。

「……意味わからない」

「たぶんおれ、お前と話してるのが好きなんだろうな。お前、見てると面白いし」

 彼女は、何か言いたげに眉をはねあげたけれど、そうは出来なかった。

 しばらくしてあきれたような声で言った。

「……面白い、は失礼でしょ……」


 異国の文字を知る人探しは続けた。

 見つからないまま。

「なあ、お前は想像したことないか。毎日楽しく暮らせたらって。おれは、腹いっぱい飯が食えておれとお前の子が元気に育ってくのを見れたら、そういう日々が続いたら笑って暮らせたらいいなーって思うよ」

 彼女は顔をひきつらせて、眉間にしわまでよせた。うつむいて何かつぶやく。

「そういうの楽しくていいだろうな」

 おれはつけ加えた。

「楽しい? 日々の暮らしが楽しくなるなんて考えたことないわ! 生きてるなんて苦しいだけ」

「だから、一人だとそう思うだろうからおれと一緒にならないかって言ってんのに」

 おそらく、彼女の頭がおれの言葉を理解するのには時間がかかったのだろう、そういう顔をしていた。それが脳まで行き渡ると同時に、彼女は頬を引きつらせた。

「は……?」

 まるで自分が口をきけるのすら驚きだといわんばかりに、舌を動かしていた。

「知らない……誰かと一緒に暮らすのが、楽しいことになるなんて……そんな生活」

 彼女は、幸せな自分の世界を信じられずに生きてきた。だからそう思うのだろう。


 彼女は家を飛び出した。


 あれ以来、彼女はおれの顔を見る前に逃げ出すようになった。彼女に会わないで一月近くになりそうな頃、おれは一人の男と会った。

 男は海の向こうへと渡った事があるというが、さすがのおれも海の外にはたくさんの国があるのを知っている。たくさんの言語もしかり、だ。異国に行ったというだけで彼がすべての言語を知るはずがないと思えた。だから、覚えてしまった、あの紙片の文字を、地面に書いて見せる事にした。

 男は地面をにらみつけると、ああ、とでも納得したかのように何度か頷いた。

「これは異国の言葉で“愛”と書いてある」

「あい?」

「夫婦や親子、家族の間で感じるものだ。恋人にもな」

 にやっとその男はわらった。なんとなくわからない。

「相手がすごく大事ですごく大切ですごく好きな時に使うんだ」

 ああ、それなら分かるような気がする。あの子を、どうしようもなく抱きしめたくなる時、何て言葉を口にすればいいのかわからなくなる時、身体の奥から際限なくあふれる気持ちが、何かの言葉になるなら、それがこの男のいうものなのだろう。

 男がよっぽど大人げのない人間で、他人をからかおうというのではないのなら、これは真実なのだ。

 さて、これをどう彼女に伝えるべきか。


 男を連れていくのは、意外にも簡単だった。海を渡った男はどこかへ行くのにも彼の好奇心をかきたてられるらしく、おれたちの住む田舎の村ですら、二つ返事で了承した。

 この男にわざわざ足を運ばせたのは、おれの言葉だけじゃ彼女は信じないと判断したからだ。

 道すがら話をするうちに、男がかなり手の込んだほら話を作り上げたのではない限り、本当に海の向こうへと行ったのだと確信するにいたったのも幸いだった。

 彼女の家のところまで、異国を知る男を連れて行くと、案の定彼女は怒り、男と会おうとさえしなかった。

「信じられない! 出てってよ!」

 驚いた様子の男だが、そこはさすがに幾多もの荒波をくぐった男、まあまあ落ち着いて、などと彼が知る限りの言葉を口にしはじめた。

「だからな、この言葉は、相手を思う気持ちがなくちゃつづれないものだ。しかも、他に言葉は添えられていない。つまり、どうしてもこれだけは伝えたかったんだろう」

 最初こそ、彼女は男の言葉を人の言葉とすら思っていないような、疑問たっぷりの顔をしていた。

「相手がすごく大事で、相手に何でもしてやりたくて、どこに行っても顔を思い出す。そんな時にはこの言葉を使うんだよ、お嬢ちゃん」

「嘘だ!」

「なんでこの人が嘘つくんだよ。そこまでしてこの人に何の得が?」

 おれはついきつい口調になってしまう。

「だって……母さんは、あの男に無理矢理……!」

「その辺は分からないけどね、海のむこうの人間も、同じ人間だよ、血の通う。君のお母さんを愛していたっておかしくない」

 同じ、人間。自分の父親を憎む彼女なら、相手が血肉の通う人間だとは思えない、思いたくない、そう感じていてもおかしくないんじゃないのだろうか。

 彼女は、誰かを憎むことでなんとか自分をたもってきたのかもしれない。その最たるものが自分の父親だ。母親を無理矢理はらませた父親。自分が生まれる原因となった男。だがそれが、彼女ののぞむ姿と違ったら? 憎む理由がなくなったら?

 容姿のせいで彼女は世界に嫌われてきた。だから彼女も世界を嫌ったのに。そうして自分の世界を守ってきたのに。一番に嫌っていた相手が、嫌う理由がなくなったなら?

 また、彼女は家を飛び出して行ってしまった。

「待てよ!」

 彼女の持っていた短筒を思い出してからはおれは真っ青になった。

 でも、やっと追いついた彼女は、浜辺に一人たたずんでいた。複雑な心境を表に出すまいとして、海をにらむように。

「おい……」

 おれが、何を言っても意味がない気がする。

「どうしたらいいのか分からない」

 抱きよせると、彼女は嗚咽をもらして泣いた。


 一晩中つないでいた手がなくなっていたのに気づきおれは慌てた。まさかとは思うが――家の外に飛び出した。昨日と同じ場所で、砂の上に立っていた。

 彼女はちゃんと立ってそこにいた。生きていた。

 彼女はあの紙片をくしゃくしゃに丸めて、海に放った。

「あ、おい……!」

「あたしはあの男を信じないわ。あの紙に書いてあったことだって本当かどうか。だって現にあの男は今ここにいないじゃない」

 結局、彼女の父親はここにはいない。彼女はどうしても人を信用出来ないのだろうか?

「信用されたくなかったら、あんたもさっさと消えることね。ここにいない人間の言葉なんて信用出来ない」

 彼女はもう届かない父親を思ってか、水平線を眺める。言葉が真実でも、それを伝える口はここにはない。

「……じゃあおれは、ずっとここにいればいいってことか?」

「そんなこと言ってない!」

「信用してほしいなら……っていうよりも、一緒になろうって?」

「違うって言ってるのに! うるさい、どっか行けっ!」


 おれは足しげく彼女のところに通うことにする。

 これまで通り。これからもずっと。

 いつか、短筒も捨てさせてやろう。

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