一話目
三の月はれ。
きょうも、おうさまはふきげんそう。
「うんしょ、よいしょ」
よろよろ、よろよろ。見ていて危なっかしい足つきで、あっちへふらふらこっちへふらふら、水の入った水瓶を運んでいるひとつのかげがありました。
「あっ!」
今にも溢れだしてしまいそうなくらいの水が張った水瓶が、そのかげごと倒れかけてしまう前に、すいとそれを支えたのは、そのかげ二つ分以上に大きいものです。
「……一人で運ぶなといっただろう」
「えへへ、ごめんなさい。おうさま」
ふたつのかげは、ちっぽけな少女と美丈夫な青年でした。
少女に名前はありません。そして少女が嬉しそうに『おうさま』と呼ぶ青年にも名前はありませんでした。
少女の生い立ちを説明いたしますと、とある寂れた村で生まれ落ち、それから両親はいない孤児でありました。少女の両親が、果たして事故で死んでしまったのか、はたまた少女を捨て置いてしまったのかはわかりません。そもそもその村で生まれたかということすらわからなかったのです。
ですから、少女は孤児として生きるために必死で働き、一日一日を苦しみながらも生活しておりました。
さて、その村には昔から不思議な風習が残っていました。『1000年に一度、村から森に住まう怪物のために、生け贄を捧げなくてはならない』というものです。
また、その生け贄にも条件があり、少女でなければいけませんでした。
幼き我が子を怪物に差し出すなど、かわいい子を思えばすすんで候補しようという親がいないのは当たり前の話です。そのため、孤児である少女が生け贄として選ばれるのも、仕方のない話でございました。
そうして怪物に捧げる生け贄として選ばれた少女は、一度奥まで進んでしまったら二度と後戻りはできない、暗がりの魔の森に捨て置かれたのです。
少女は死にたくなどありませんでしたが、反して死んでしまっても仕方ないと思うこどもでした。
幼き頃より死にかけの生活を続けてきたせいか、少しばかり生に対しての気持ちは不安定だったのです。
森の中をぼんやりと眺め、ふとお腹が好いたと思うと、くるるるる、と腹の音がなります。
「おなかすいたなあ……」
そう吐き出すとどんどん空腹は増長し、ついにはたおれこんでしまいました。
(死んじゃうのかな)
もういっかぁ、という呟きを残して少女は泥のように意識を沈めていったのでした。
「起きろ」
ぱちり――見知らぬ誰かの声を聞き少女は驚いて目を見開きます。
少女はどうやらまだ死んでないようで、相変わらずお腹が空いていました。
空腹で思考もまわらない少女が、上を見上げその声の主を目で捉えると、その姿はとても美しい青年でありました。
言葉を多く知らない少女は、上手に青年のいかに美しいかということを伝える技術は持ち得ていませんでしたので、ひたすらに口をパクパク開閉しては、大きな目を見開くばかりです。
「…………」
青年はそんな少女を感情の点らぬ瞳で見つめます。対しての少女はと言うと、
「き、きれいですね!」
恐らく自分の心のなかを占めていた言葉で、うっかりと口に出してしまったのでした。
青年は怪訝な顔で少女を見ました。眉を潜め、如何にも不機嫌そうにも伺えます。
「あ、あの、えっと、その。お、おうさまなんですか?」
わたわたと慌てる少女はまたしても考えなしに喋りだし、青年はその一言にピクリと反応しました。
「……何故そう思う」
「え、えと、その……。とても、きれいだと思ったんです。お洋服から、ぜんぶ」
青年は黙りこんで少女の言葉を聞いていました。聞き終えた青年の表情は反応を示したもののなにもかわりなく、少女は語尾を弱めて青年の反応を待っています。
くるるるるる……
しかし、少女は自分がとても空腹なことをお腹の音の主張で思い出してしまい、なんともかなしい表情で青年を見ました。
青年はため息もつかず、きびすを返して歩きだしました。少女はどうか、水の居所だけでも聞こうと思いましたが、すっかり動けなくなってしまい、ただただ青年の背中を見つめるばかりです。
「……ついてこないのか」
「え、」
ある程度歩いてから後ろを振り返った青年は、座り込む少女に問いかけます。少女はぽかん、と口を開き青年が少女のもとまで戻ってくる間ずっとそのままでした。
「立てないのか」
え、え、と繰り返す少女を抱きかかえ、青年はまた歩きはじめます。
少女は状況に全くついていけず、気づけば、青年からお腹がいっぱいになるくらいのご飯をもらったのでした。