それは、いつのまにかそこに
「嘘をついた覚えはありません」
酷く穏やかにそう答えると、紫村は一瞬虚を突かれたような表情を浮かべて、それからすぐ苦笑すると肩を竦めた。
「開き直るの?」
「女だ、とも。男でない、とも。告げた覚えはありません」
紡がなかった言葉。
否定しなかった言葉。
でも結局雪之丞自身も解ってはいるのだ。
それは逃げで、それは保険だ。
いつの間にか、こっそり入ってきて部屋の中に佇むように、雪之丞はその答えを滑り込ませるつもりだった。
けれども、紫村が言うように、本当に春真に影響を、しかもあまり良くなさそうな類のものを与えているのならば、やはり早急に距離を置くべきではあるのだろう。
「でも、紫村さんが。或いは、依頼人の意志かもわかりませんが、春真君を心配しているのは解りました。明日、サクソフォンの演奏会がありますから、」
日付の越えた時計を眺めてから、雪之丞は紫村をぴたりと捕えた。
「そこまでにしましょう」
「そこ?」
「はい。その日知りたい答えが解っても解らなくても、此処からは消えます。もともとそんなに長居をするつもりも、ありませんでしたから」
「ふうん。君はそれでいいの?」
「引き際は、肝心だと思いますよ」
お金を置いて立ち上がると、雪之丞は踵を返した。




