それは、うんめいににている
大学の講義はそれなりに面白い。
面倒なことがあるとすれば、教授達の妙に熱心な勧誘だ。
ピアノを弾くことは嫌いではないが、お行儀よくクラシックばかり弾いているのは正直堅苦しい。
同じくらいジャズもハードロックやヘビーメタルといった音楽ジャンルも嫌いではないからだ。
「こーの!」
唐突な声に振り返る前に、トランペット専攻の黄波戸が肩を叩いた。
「ご機嫌だね、黄波戸」
「解るか? やっぱ解っちゃうか?」
「なに。何かあった?」
「実はな」
嬉しさを隠しきれないらしい黄波戸が、足早に数歩進んで振り返る。
「レッド役ゲット!」
「本当?」
「あぁ! 再来週の日曜日にな!」
黄波戸はヒーローに憧れているらしい。
小さい頃に好きだった特撮で、主役のテーマソングを奏でていたのがトランペットで、それからトランペットを始めたそうだ。
だから黄波戸は、音大生だというのに休日はデパートや遊園地のヒーローショーのアルバイトをしている。
今までは良くてもブルー止まりで、主役に抜擢されるのは今回が初めてのはずだ。
「良かったね」
「あぁ。運は正義に味方すると思ってたぜ」
「それ、日本語おかしくない?」
「何でも良いさ。レッドが遣れるなら」
好きなものを好きだと公言してのめり込んでいける黄波戸は、別次元の人間の様で見ていて面白い。
「紅野先輩、さようなら」
「さようなら」
不意に前から歩いてきた少女達が、少し緊張した面持ちで頭を下げた。
見覚えはないけれど、にこりと笑う。
「ばいばい。気を付けて帰りなよ」
ひらひらと手を振れば、通り過ぎてから後ろで黄色い声が上がった。
「お前、罪作りだよな。紅野」
漸く落ち着いたのか、少女たちを振り返り黄波戸が呆れたようにため息をつく。
「なに?」
「好い加減、女に刺されそうだ」
「刺されるようなこと、した覚えないけど」
「まぁ、少なくとも再来週の日曜までは無事でいろよ」
「なにそれ」
肩を竦めると、黄波戸が笑った。
「オレ、今から練習なんだ。お前は?」
「今からバイト」
「あぁ、例のジャズバーか?」
「そうだよ」
「そのうち聞きに行く」
「期待しないで待ってるよ」
黄波戸と別れて、駅の方へ向かう。
会社帰りのOLや女子高生、はたや買い物帰りらしい主婦からも投げられる視線を気に留めずに進んでいく。
一本路地に入っただけで、人通りはがらりと減った。
迷わず看板も出ていない古びた扉を開ける。
「マスター、来たよ」
「やぁ、春真君。いらっしゃい」
カウンターを片付けていた男が気付いて、小さく笑った。
昼間は喫茶店、夜はバーを営むこの店で、ピアノを弾かせてもらうようになったのは大学に入ってからだ。
客のリクエストに答えたり、バンドの演奏に合わせたり、学校では決して弾くことのない音楽だが、結構気に入っていた。
「あ、春真君。先に紹介しとくね」
いつも鞄を置いている奥の部屋に向かおうとした途端、マスターの声が追いかけてくる。
「今日から新しく入ったバイト。ホール担当なんだけど。雪ちゃんね」
「よろしくおねがいします」
慌てて振り返ると、色の白い美少女がそう言って頭を下げた。