それは、うそつきのはじまり
唐突に知り合いから電話があったのは、空気が秋めいてきた昼下がり。
「あ、雪ちゃん。ちょっと出てこられる?」
普段は絵本の翻訳をして生計をたてているのだけれど、調度急ぎの仕事が終わって、少し時間が空いていた。
約束の時間に喫茶店に出向くと、そこにいたのはぱりっとした働く女性と、紳士然とした男。
「あ、雪ちゃん。久しぶりね」
「お久しぶりです、青柳さん。それに、」
電話をくれた女から男の方に視線を向けると、彼は穏やかに、久しぶりと笑う。
男は会社を経営していて、あまり売れていなかった頃に、そこで雇って貰っていたことがあった。
だから、暗黙の了解というべきか、彼から何かを頼まれるとどうしても断れない。
多分、それを解っていて、彼女は彼を同伴したのだろう。
通常の仕事である絵本の翻訳ならば、電話で要件を伝えられているはずだ。
「ちょっと出てこないか」という誘い方をするからには、直接話さなければならないようなことなのだろう。
もっとも、全く見当がつかない以上は、相手が切り出してくれるのを待つしかない。
けれどもそう待たずに済んだ。
「早速なんだけどね、雪ちゃんに折居ってお願いしたいことがあるの」
珈琲が来るなり、彼女はそう口火を切る。
「嘘を、ついてほしいの」
何も言わないままでいると、彼女は珈琲から視線を上げて僅かに微笑んだ。
プロジェクト『100日連載』