それは、おいめをじかくして
雪之丞が店を出ると、大きな月が上がっていた。
街灯と合わさって、夜道は思いの外明るい。
夜の静けさの中に、彼方から電車の走る音が届いて、雪之丞はふと星祭りの番に少年たちが乗り込んだ空を駆ける列車を思い浮かべた。
「そういえば、どこまで送ったらいいですか?」
「それ、反対じゃない?」
振り返ると春真が微かに苦笑する。
「俺が雪さんを送ろうと思ってたんだけど」
「紅野君、徒歩ですよね?」
「うん」
頷いた春真に、雪之丞は鞄から取り出したバイクのキーを見えるように持ち上げてみせる。
「送りますよ」
「え、雪さんバイクとか乗るの? しかも大型?」
「いけませんか?」
最近は女性でも大型に乗っている人は少なくないと思う。
だから、セーフだと思っていたのだけれど。
「(やっちゃった感じですかね)」
雪之丞が視線を泳がせると、不意に笑い声が耳に届く。
「え?」
「いけなくないよ。イメージなかったから、驚いただけ」
くすくすと楽しそうに笑って、春真が隣に並んだ。
「ヘルメット余分にあるの?」
「まぁ。たまに友人を乗せますから」
「ふうん」
「紅野君は、バイクは乗らないんですか?」
バイクを止めてある近くの駐輪場に向かって歩きながら尋ねると、春真がひらひらと両手を振って見せた。
「ピアノ弾けなくなるのは困るからね」
「ピアノ、好きなんですね」
「そうだね。好きだよ」
春真があまりにもあっさり頷くから、なんだか拍子抜けして、雪之丞は困ったように視線を逸らす。
ほんの数日、同じ場所で働いただけだ。
それでも、青柳の言うようなタイプの人間には、どうしても思えない。
街灯の下に佇む愛車からヘルメットを出して、雪之丞は一つを春真に差し出した。
「最上級の安全運転を心がけます。もし何かあっても、紅野君の手は死守できるように気を付けます」
キョトンとした春真がまたくすくすと笑い出す。
「笑うところですか?」
「死守するのは雪さんの安全を第一にしてよ。自分の手は自分で守るから」
雪之丞が瞬くと、春真はヘルメットを受け取らずに一歩下がった。
「紅野君?」
「遅い時間だから、気を付けて帰ってね」
「送りますよ?」
「俺の家、すぐ近くだから」
ひらひらと手を振る春真に、雪之丞はヘルメットの下で眉を顰める。
けれど、それ以上何も言わずに、二つ目のヘルメットをシートの下に仕舞い込んだ。
「解りました。紅野君も気を付けてください。お疲れ様でした」
「お疲れ、雪さん。おやすみ」
エンジンをかけると、雪之丞は夜の道に飛び出す。
風が身体を包み込むように強く吹いた。
「(困りましたね)」
人通りの絶えた道を走りながら、雪之丞は一人ごちる。
青柳の話を聞く限りでは、合理性のある依頼のような気がしていたが、このまま春真の良い人の部分しか見つけられなければ、具体的に嘘をついている訳ではないが、不当手段を用いていることの良心の呵責に耐えきれなくなりそうだ。
「(さて、どうしましょう)」
アクセルを一層踏み込んで、雪之丞は夜の街を駆け抜けた。




