それは、ときによくもわるくも
秋めいた風を感じるころになると、日が落ちるのが早くなった気がする。
明日の授業の課題を練習して、練習室を出ると、既に窓の外は街灯がともり始めていた。
鍵を返そうと教務課に向かう角を曲がれば、ロール紙を小脇に、両手一杯のプリントを抱えてよろよろと進む後ろ姿が目に入る。
「教務課まで行くの?」
「え? わ、あ、はい」
何の前ふりもなく話しかけると、少女は驚いたらしくびくりと身を揺らしたが、特に気にせず手の中のプリントを彼女の拾い上げた。
「え、あ、あの」
「鍵返しに行くから。一人より早いと思うよ」
「あ、ありがとうございます」
ロール紙を両手で掴んで、少女は小走りに隣に並ぶ。
「あの、紅野先輩。ですよね?」
「俺のこと知ってるの?」
「はい。あ、私、灰賀っていいます。ヴァイオリン専攻のクラスでも、先輩凄く人気があって」
「そうなの?」
「はい。だから、先輩とお話したなんて友達に話したら、羨ましがられちゃうかもしれません」
ストレートな言葉に苦笑すると、灰賀は慌ててぶんぶんと手を振った。
「す、すみません。浮かれちゃって」
「そう? 表情がくるくる変わるの、可愛いけど」
途端に真っ赤になった灰賀が視線をそらす。
何も言わずに歩いていると、正面を向いたままの灰賀が上ずった声で早口に言葉を紡いだ。
「き、金城先生ってば、女の子にこんなに持たせるんですから酷いですよね」
「あぁ、人物史の」
金城の音楽人物史の授業は割と人気がある。
面白可笑しいエピソードを交えて長々と力を込めて話される作曲家の生涯はまるで舞台の一幕を見ている気分になるのだ。
ただし、配られるプリントの量は多く、単位を取るためにはそれ相応の覚悟がいるので、聴講のみの学生が多いのも事実だ。
「そうなんです」
「そうだね。運ぶ量にしては多いかな」
「はい。だから、ちょっと運びながら落ち込んでたんです。でも、先輩とお話できたのも荷物の御蔭なんですよね」
微かに苦笑して、灰賀は教務課の扉をあける。
「そう言う意味では、先生に感謝しなくちゃですね」
空いた机にプリントを乗せると、灰賀がぺこりと頭を下げた。
「本当にありがとうございました。助かりました」
「いいえ。次も困ったら、声かけてくれていいよ」
「はい。ありがとうございます」
ぱあと顔を輝かせた灰賀にひらひらと手を振って、練習室の鍵を帰して外に出ると、東の空は茜から藍色に染まり始めていた。




