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真っ白な計算用紙

作者: 夏目シロ

 真っ白な計算用紙【三題噺:登場人物が「早朝の坂道」で「計算する」「ネットワーク」という単語を使った噺】


 朝、目が覚めて壁にかかったカレンダーを確認するとあと三カ月ほどでセンター試験があり、そうなるといよいよ大学受験に追われる日々が始まるんだなと思うとよく周りの友人たちにクールだねとか落ち着いているねなどと言われている僕でさえも流石に身ぶるいしてしまう。同時にここ一年近くの勉強中心の生活から解放されることを考えると自然と身体が軽くなって気持ちが浮ついてくる。どちらにしても落ち着かない、変な感じだった。志望校の合格ラインに達している仲間たちはどこかほっとした様子だが、そうでない仲間は大学のランクを下げるかこのままギリギリまで粘るのかを真剣に考え出している時期でもある。僕だけでなく周り、というより全国の受験生たちが浮ついてピリピリしているのだろう。

 ここで気を抜けば今までの苦労が水の泡だ。

 最近ようやく模試で志望校の合格ラインに達した僕は一息つくことが出来ていたけれどギリギリ合格という状態だった。早く寝ても朝の五時ごろに起きてしまう日々が続いている。どれだけ数式や関数の問題を解き続けても不安は払しょくされることはないのがもどかしい。今朝もまた太陽がようやく昇って日が差してきたぐらいに目が覚めてしまった。もう一度布団の中に潜り込んでみたがどうにも眠れそうもない。どうしよう。布団をかぶって丸まったままじっとしていると浮かんでくるのは、三次関数に立方体、関係代名詞に国の地名、オームの法則、ありおりはべりいまそかり、予備校の先生の話にそれから・・・・・。

 頭の中でそれらがぐるぐると何十周も回り続けている。いよいよ僕は耐えきることができなくなってきた。ベットから飛び起きた僕は枕元に伏せられていた数?Bの青い参考書を机に向かって放り投げてタンスの引き出しの中を探り出した。引き出しの中のかなり奥まったところにお目当てのものが見つかった。黒地に青いラインの入った陸上部のころのジャージだ。六月に引退してから四カ月ぶりに袖を通すと短距離の練習をしていたころを思い出してすぐにでも走り出したくなった。皆は元気にしているだろうか?同学年のメンバーにはよく会うが練習に顔を出さなくなったので後輩には滅多に会わなくなっていた。久々に顔を出してみるのもいいかもしれない。家族を起こすことがないように注意を払いながらゆっくりと階段を下りていく。今日は休日だから明日の練習の様子でも見に行ってみよう。皆とおしゃべりしたり、そのあとご飯でも食べに行ければ更にいい。そんな風に考えながら家の外に出た僕はすっかり気分が良くなっていた。朝のひんやりとした空気の漂う中を僕は行き先も決めずに走り出した。


 今日は雲が多く、太陽が隠れては出ての繰り返しだ。こんな時間の住宅地なので人通りは少なく新聞配達のバイクとすれ違うぐらいだ。音楽プレーヤーで適当に音楽を聴きながら走っている僕だがその間にも相変わらず頭の中を数式が巡り続けていて「受験」という概念に縛りつけられているかのようだ。僕の脳内のネットワークは走ることよりも勉強することに向いているように完全に書き換えられてしまった。そんな気がする。しばらく道なりに走り続けていた僕だったが思いきってUターンした。自販機のある角を曲がって坂を登っていく。この傾斜がなかなか急なのだ。最近トレーニングをしなくなった僕にはさらに負荷がかかる。息が荒くなってきたときに無意識に頭の中で計算が始まった。前にここを全力で走ったときかかった時間は十・七秒だった。ここの坂の長さは大体五五メートルくらいかな。ということは五五÷十・七×三六〇〇で僕の速さは時速・・・妙なものでこうやって頭の中で計算していると苦しさが紛れて楽になった。陸上部時代の自分なりの持久力の保ち方だった。今の自分はジョギング程度の速さだからあのころよりも遅い。それでも最後の数メートルだけは全力で駆け抜けた。全力で駆け抜けてそこからすぐに見えてきた寺の境内へと続く階段に座り込んで動けなくなった。これでは流石にもう頭は働かなくなってしまっている。忙しなく働いていた僕の脳内もネットワークサーバーに過大な負荷がかかったおかげで一時的にダウン。階段の石の上に寝転がると頭が冷やされて気持ちいい。この走り終わった後の脱力感が心地よくて、この町に引っ越してきた高校一年の九月から今年の六月まで陸上部を続けることができたのを想い出した。決して成績はよくなかったのだが。

「あれ、どうしたの」

懐かしい声が階段の上のほうから聞こえてきたので顔を上げるとこの寺の住職の娘で同じ陸上部の野宮が僕と同じ陸上部のジャージを着て下りてきたのでびっくりした。そういえば坂を走ったときの時間を測ってくれたのは彼女だ。ぐるぐると野宮に関する記憶が僕の頭の中を回り始める。棒高跳びのときにしなやかに弧を描いていた、背中から脚にかけてのラインやらジョギングをしている姿と差し入れのスポーツドリンクを飲んでいるときの口元が。目が合った瞬間、僕は動揺を隠すために努めていつものクールな自分を装う。

「朝早く起きたから久々に走ってみたんだよ」

うまく言えただろうか。野宮は嬉しそうに前髪を掻きあげた。

「朝練やったよね〜大会前には特に。私も最近全然動いてなくて太っちゃったから走ろうと思って」

彼女は僕が座っている階段の一段上で脚を止めた。下から見上げても無駄のない野宮の身体は本当に綺麗だ。心底憧れていたけれど僕は彼女が他に好きな人がいるのを知っていた。唐突に質問を投げかけてしまったのは僕なりの歯がゆさの表現だろうか。

「顧問の鈴木先生にはまだ告白しないの」

彼女が虚をつかれて一瞬で顔が赤くなるのがわかった。

「なんでそんなこと聞くのよ」

雲間からもれた太陽の光が階段の鉄のてすりに反射してまぶしくて僕は顔をしかめた。

「や、なんとなく」

 親の都合でこの町にやってきてから僕が、彼女と知り合ったのは陸上部に入ってからだったが、たまたま近所に住んでいることが分かると、彼女はこの町のことについて詳しく教えてくれるようになった。夏にはお寺に陸上部の仲間が集まって花火で遊んだこともある。どちらかといえば家に閉じこもっていることのほうが多い僕にとってはなかなか新鮮だった。彼女のことを意識し始めたのは確かそのときだったと思うがどうすればいいのかわからないまま時間だけが過ぎてしまった。野宮が僕に話があるといったときに僕は告白されるのではないかとドキドキしたことをまだ覚えている。仲間にはやし立てられるほど仲が良かったから。けれどそれは「鈴木先生が好きになってしまった」という彼女の苦しい「告白」だった。彼女の苦しさが伝わって僕の想いは押しつぶされていった。また太陽を雲が隠しているのに気がついた。寝転んでいると余計に嫌なことが身体の中に溜まってしまいそうだ。僕が上半身を起こすと野宮が軽く声をあげた。

「あ、ごめん」

 僕はなんとなく謝ってしまった。

「や、なんかおもしろかったからいいよ」

「よくわからないんだけど」

「腕も脚もぴーんて伸ばしたまま起き上がるのがロボットみたいで」

「野宮ってたまに変なこというよね」

「変かな」

 野宮は少し言葉を切ってから呟いた。


「同性を好きになるのは」


 野宮はただ黙って僕を見つめていた。僕の脳のネットワークはまだ緩慢で動きが鈍い。答えが出ない。こういう問題を解くための参考書があればいいのに。そんなわけ、ないけど。

「走ろうよ」

気のせいか泣きそうになっている彼女の手を僕は無意識に握りしめていた。

「いいよ」

 うなずいた僕はただただ、この一瞬が永遠に続くことを願った。坂道を走る僕の頭にはもう受験のことなんかなくて、さっきまで数式や公式に縛られていた僕はどこかへと過ぎ去っていったのがわかった。


初の三題噺でした。

感想お待ちしてます。ちなみに作者はバリバリの文系です。

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