第9話 仮面の騎士と砕けた祈り
重厚な金属音が、空間を切り裂く。
剣が閃き、ノアの展開した防壁が砕け散った。間髪入れず、ヨシュアの鋭い蹴りがノアの身体を弾き飛ばす。
「ぐっ……!」
壁に叩きつけられ、ノアが膝をつく。彼を襲ったのは単なる腕力ではない。
完璧に練られた戦技と、極限まで鍛えられた魔導補助機構。〈王国錬装兵団〉における最強の戦士――それが今、仮面をかぶったまま目の前に立っている。
だが、ノアはその仮面の奥に見えるものに戦慄を覚えた。
――空虚。
まるで“心”という器が欠けたまま、ただ命令に従うだけの存在。それが今のヨシュア。
「……ヨシュア……覚えてないのか? 君はあの村で、僕たちと……エリシアと……」
その名を口にした瞬間、剣の軌道が変わった。
無機質だった剣に、殺意が宿る。
その殺意はエリシアに向かっていく。
「やめてっ!!」
エリシアが咄嗟に防御魔法を張る。だが、拙い術式ではヨシュアの剣を止められない。
瞬間、ノアの剣がヨシュアの剣に割り込む。
ぎり、と金属が軋む。
ノアがそのままヨシュアの刃を受け止め、懇願するように叫ぶ。
「君は、本当にこんなことがしたいのか!?」
返事はない。
だがその目に、ほんの一瞬だけ“揺らぎ”が走った。
それを、エリシアは見逃さなかった。
彼女は静かに一歩前に出る。
「ヨシュアくん……私のこと、憎んでるんだよね……」
剣が、わずかに震える。
エリシアは続ける。
「私、聖女として何も守れなかった。君の家族も、村も……焼かれたのに……私は、生きていて……」
震えながら声を発するエリシア。でも、逃げなかった。
剣先が彼女の喉元へと近づいていく。
ノアが叫ぶ。
「やめろ、下がれエリシア!」
だが、彼女は止まらなかった。
静かに、確かに、目を見据えて告げた。
「ごめんなさい。でも、私……もう一度“人を救いたい”って思ったの。君がどれだけ私を憎んでも、私は、君の心を取り戻したいって、願ってるの」
その瞬間。
仮面の下から、ポタリと一滴、涙が落ちた。
――記憶が少し蘇ったみたいだ。
焼け落ちた村の中、倒れた家族を抱え、泣いていた少年に、必死で手を伸ばしていた彼女の姿を。
そしてヨシュアの剣が、止まった。
その時、リュミエールが苛立ちを隠せず声をあげた。
「……また“希望”の幻想に縋るつもり?」
私が指を鳴らすと、ヨシュアの首筋の装甲が一部開き、魔導印が浮かび上がった。
「なら、壊してあげる。感情なんて、簡単に消せるわ」
魔力がその紋章に注がれた瞬間、ヨシュアの体が痙攣した。
瞳が濁り、口から呻き声が漏れる。
「やめろッ!」
ノアが手を振り、リュミエールに向けて一条の雷撃を放った。
リュミエールはそれを軽くかわし、微笑む。
「感情の揺らぎに弱いのは、いつの時代も“心ある者”よ。だからこそ、私は彼らを使う。心を殺して、意志を奪って、“英雄”を作るの」
そして、ヨシュアの身体が跳ねた。
完全なる制御状態――その意識が完全に“殺された”瞬間。
だが――
「……ダメ……」
エリシアが膝をつきながら、両手を差し伸べた。
彼女の掌から、柔らかな光が広がる。
それは、心を癒す奇跡の力――神の加護などではない、彼女自身の“祈り”だった。
「あなたの心は……壊れてない……」
その光がヨシュアを包み込む。
魔導印が軋み、音を立てて砕けた。
彼の瞳に、再び“色”が戻る。
「……エ、リ……シア……?」
意識が戻った瞬間、ヨシュアは自らの剣を折った。
リュミエールが眉をひそめる。
「……面白くなってきたわね。でも――そろそろ、幕を引く頃合いかしら」
彼女の背後に、新たな“存在”が現れる。
黒き外套を纏った魔導師たち。粛清部隊とは異なる、より秘密裡に動く“深層教団”の使徒。
その手にあるのは、禍々しい呪印の書と、魂を喰らう封具。
私は微笑む。
「“本当の絶望”を、見せてあげる」
闇が、塔を包み込む。
それでもなお、エリシアの光は消えていなかった。
彼女は立ち上がる。
「……私は、希望を捨てない」
崩れかけた塔の中で――彼女は祈り続けた。