第3話 欺きの仮面と獣たちの宴
王城晩餐会――それは、権力者たちが己の欲望を着飾るための舞台。
金糸の絨毯、揺れる燭台の光、銀器に映る笑顔と毒。
政略と謀略、虚飾と嫉妬、そして選定。
この夜の主題はただ一つ――次なる〈聖女〉は誰か。
「見慣れぬ顔ね……、まるで物語から出てきたようだわ」
会場の貴族たちがざわつくのは、一人の少女の登場によるものだった。
仮面をつけた美貌の令嬢。
長く流れる銀の髪に、星のごとく煌めく薄紫のドレス。
リュミエール・アークライト。
彼女の名を、この場で知る者はまだ少ない。
だが、その美しさと雰囲気――否、その“作られた虚構”は、今夜の主役となるために十分だった。
(十年前……私はこの宴で、神に選ばれることを信じていた)
その過去は、もはや遠い幻。
あの頃の私は、無垢だった。純粋すぎて、愚かだった。
(けれど今の私は、“悪役”としてここにいる)
仮面越しの微笑は柔らかく、それでいて冷たい。
まるで獣を誘う毒花のように。
* * *
「……お初にお目にかかります。お嬢様」
背後から届いたその声に、彼女はゆるやかに振り返る。
金糸の髪に、蒼の瞳。
整った顔立ちと、世に知られた美声。
――王太子、セシル・アルベール・アストリアス。
十年前。
彼の言葉と笑顔に、私はすべてを捧げた。
そして、捨てられた。
「私の名はセシル。けれど、今宵はただの一人の男として……あなたに惹かれました」
甘い響きが周囲の空気を変える。
令嬢たちの視線が一斉にリュミエールに集まり、嫉妬と好奇の炎が静かに燃え始めた。
(……まさか、こんなに早く食いつくとは)
笑みを崩さず、リュミエールは優雅に応じた。
「それでは、私もただの“仮面の令嬢”として、殿下のお相手をいたしますわ」
「名を聞いても?」
「仮面をつけたままでは、名など虚構と変わりませんわ。……そう思いません?」
セシルは一瞬目を見開き――やがて、愉しげに微笑んだ。
「なるほど。実に面白い方だ。……ますます興味が湧きました」
(その笑顔。私はもう騙されない)
リュミエールは内心で冷笑しながら、差し出された手を取った。
(――さあ、王太子。今度は“あなた”が踊る番よ)
* * *
音楽が変わり、舞踏の輪が生まれる。
その中心にいるのは、仮面の令嬢と王太子。
誰の目にも優雅で絵画のように美しい光景。
だが、足元では別の戦いが始まっていた。
「……その瞳。影が見えます」
「誰の瞳にも、過去は宿るものですわ」
「では、未来は?」
「未来は……奪い取るものです」
言葉の応酬。
仮面越しに探り合う視線。
リュミエールの心には、かつての感情はない。
(あなたは今も“自分が選ぶ側”だと信じている。だからこそ、好都合)
「もしよろしければ、またお会いできる機会をいただけませんか?」
セシルの誘いに、リュミエールは優しく首を傾げた。
「私を知りたいなら――追いかけてきて。……ただし、辿り着ける保証はありませんけれど」
挑発めいたその言葉に、セシルの表情が一瞬だけ変わる。
(あら……少しは勘が鋭くなったのかしら?)
けれど、彼は結局――微笑んだ。
「その挑戦、受けて立ちましょう」
* * *
舞踏会が終わった後の庭園。
月明かりの下、リュミエールは一人、静かに佇んでいた。
冷たい風が、仮面の縁を撫でる。
「……リュミエール・アークライト」
背後から、低く落ち着いた声が届いた。
彼女は振り返る。
その顔を見た瞬間、わずかに眉が動いた。
「フィリップ・ヴァルハイト……」
王国直属の魔導監察官。
十年前から変わらぬ、真っ直ぐすぎる目をしている男。
「記憶があるのですね。……“聖女”だった頃のことを」
「……ええ。全部、ね」
仮面の奥、リュミエールの瞳には、祈りも信仰もなかった。
そこにあったのは、計算と意志。
そして、復讐よりも冷たい決意。
「あなたは、変わった」
フィリップの声に、リュミエールは微笑む。
「ようやく気づいたの? 遅すぎるわ」
「セシル殿下も……いずれ気づく。あなたが“聖女リュミエール”ではないと」
「それでいいのよ。いえ、むしろ気づかせる。彼をもう一度、私の手で屈服させるために」
フィリップは一歩、彼女に近づき、問う。
「あなたは、本当に……“あの日”のあなたを捨てたのですか?」
沈黙。風が、仮面の紐を揺らす。
そして――リュミエールは静かに答えた。
「ええ。もう“祈る少女”ではいられない。私はこの王国を支配する。誰よりも、冷徹に」
仮面の下の微笑みが、闇よりも深く、美しかった。