第2話 戻った時間と新たな決意
目を開けた瞬間、世界が静かに色づいた。
――十年前。
そう、私は戻ってきたのだ。
まだ何も知らず、裏切られる前の王国へ。神に選ばれ「聖女」として奉られ、最後には見捨てられたあの日々より、ずっと前へ。
「……本当に、戻ったのね」
私はひとりごちて、吐息を空へと流した。
冷たい朝の空気が肺を満たし、胸の奥を刺す。けれどこの痛みが、何よりも“現実”を証明してくれる。
かつて私が聖女として仕えた王国。どこか懐かしくも憎しみに近い感情がこみ上げる。
この風景は覚えている。
あの城の尖塔も、道端に咲く花の匂いも。だが、ここにいる私は、もはや“あの頃”のリュミエール・アークライトではない。
「もう、聖女にはならない」
言葉にしたとき、自分でも驚くほど声が冷たかった。
神に選ばれる? 人々に祈りを? 王や貴族のために力を使う?
二度と御免だ。
私は、騙された。信じた者に裏切られ、民に罵られ、命を捨てた。
――だから、今度は私が支配する。
支配者として生きる。それが、私に残された唯一の選択だ。
* * *
まずは王都に向かう。
今はまだ、誰も私の正体を知らない。名もなき孤児――その設定で動くには、好都合だ。
「リュミエール、あの愚かな聖女」などと人々が口にするのは、十年後の話。今の私に貼られたレッテルは、ただの“少女”に過ぎない。
城下町の通りを歩くと、道端の露店から甘い焼き菓子の香りが漂ってきた。そんな日常さえ、あの結末を知る私にとっては残酷な皮肉だ。
「私はもう、誰にも従わない」
優しさでは世界を救えなかった。裏切りに耐えるだけでは、信頼は守れなかった。
――ならば力を持て。支配しろ。手に入れろ。
私は、聖女ではなく“支配者”として、この国を変える。
* * *
王城の正門を見上げたとき、かつての記憶が蘇る。初めてここに足を踏み入れた日、震える手で祈りを捧げたあの朝。
けれど今は違う。
私は震えていない。恐れもない。あるのはただ、冷たい決意だけだ。
「失礼、そこの方。お名前を」
門番が声をかけてくる。私は穏やかに微笑み、小さな声で答える。
「旅の者です。城下で働き口を探しておりますの」
そのまま通され、私は静かに城内へ足を踏み入れた。まだ聖女が選ばれていない時期。城には不穏な空気が漂い、貴族たちがざわめいていた。
そんな中、ひときわ鋭い視線が私を射抜く。
「おや、あなたは……リュミエール殿、だったかな?」
その声を聞いた瞬間、私は立ち止まった。
振り返ると、そこには見覚えのある男がいた。王の側近、フィリップ・ヴァルハイト。十年後、私を糾弾した一人。
「まさか……ここで会うとは」
彼の目が、警戒とも好奇ともつかぬ光を宿して私を見ている。
「フィリップ……あなたも、裏切った」
私の声には、もう怯えも驚きもなかった。冷たい氷のような怒りだけが宿っていた。
「……裏切りとは聞き捨てならないですね。私はただ、正しき選択をしたまでですよ」
「そう。じゃぁ、次は私が“正しき選択”をする番よ」
「ふ……面白いですな。あなた、また聖女になりたいのですか?」
「いいえ」
私はフィリップの目を見据えた。
「私は、支配者になる。二度と誰にも従わない。力で、この国をねじ伏せてやるわ」
フィリップの表情が一瞬だけ凍りつく。やがて皮肉な笑みを浮かべた。
「あなたがどこまでやれるか、楽しみにしていますよ」
そのまま彼は背を向け、静かに歩き去っていった。
私はその背中を見送る。胸の奥に燃える炎を感じながら。
* * *
これからは誰にも頼らず、誰にも跪かず、すべてを手にするための戦いだ。
民に祈られ、王に仕えた日々は終わった。
次に世界が跪くのは、私――リュミエール・アークライトに対してだ。
「さあ、次は……何を始めようか」