最終話
ワームホールが完全に閉じきったとき、すでに重力異常は収まっていた。
私は実験施設の外へと向かい、先に避難していた研究員たちと合流した。
地球と繋がったことについては誰にも話さなかった。
異星の知的生命体と接触したという情報がこの世界にどんな影響を及ぼすかわからなかったからだ。
教授は私の報告を聞いて何か勘づいたようだったが、何も言わず「そうですか」とだけ言った。
その後の研究で、惑星の真裏に向けて時空間魔法を放つと、効果が著しく増幅されることがわかった。
惑星の中心部に触媒のようなものがあり、魔法に作用しているのかもしれない。
この増幅率は極めて大きく、計算上、恒星間のワームホール生成すら可能だ。
もっとも、接続先は宇宙空間など人間にとって危険な環境である確率が高く、実験は全面的に禁止されている。
安全な座標を厳密に指定できる技術が確立するまでは、理論研究と基礎実験が主流となりそうだ。
私は、自身の“転生”についても改めて思いを巡らせた。
前世の私は特別な血筋でもなければ特殊な超能力もない、ごく平凡な地球人だった。
だとすれば、私のように記憶が転写されて異世界で生きる人間は、決して珍しい存在ではないはずだ。
魔法が存在する惑星はこの宇宙に無数にあり、そこで発生した時空間魔法により、地球人の記憶は頻繁に異星に転送されているのかもしれない。
転送先の人物(転生者)が元の人間に接触するというのも、さすがに稀かもしれないが、過去に何度もあったことだろう。
ただ、地球と交信できるほど発達した文明であれば、相応の知性・理性を持っているはずだ。
私たちがそうであったように、不用意に口外することはしなかっただろう。
私はいまでも魔法の研究を続けている。
最近はワームホールの理論研究が専門で、接続先を安全に探索・固定するための数学的手法を探しているところだ。
これが実用化すれば、将来的には系外惑星との交信も可能だろう。
異星との交流は慎重を期す必要があるけれど、いつかきっと、この世界の人々が私の故郷を目にする日だって来るだろう。
昼休み、職場の屋上で私は日本の漫画を読んでいた。
ワームホールが閉じる寸前に地球の私から譲り受けた一冊だ。
魔女見習いの女子高生が田舎で居候しながら魔法の修行をする、のどかな日常の物語。
周囲の人間には見せていないが、この内容なら万が一見られても、この世界に悪影響を与えることはないだろう。
いま読んでいるページでは、主人公の女の子がホームセンターの箒を使って空を飛んでいる。
共鳴魔法理論の発表後、この世界でも単身で空を飛ぶ技術が発明され、いまでは風魔法の応用として理解されている。
前世の私は「もし魔法があるなら、それは科学の1分野として体系化されるはずだ」と考えていた。
いま、この世界ではそれが現実になっている。
「魔法の原理を解明・再現する研究……確かに、こんなに面白いものはないよな」
教授がかつて語った言葉を思い出しながら、私はひとり呟いた。
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ワームホールが閉じる寸前、私は異世界の私から日記帳を譲り受けた。
日本語を忘れないようにと異世界で書いていた日記だ。
そこには異世界での日々が日本語でびっしりと綴られている。
いまとなっては、転写された異世界の記憶はほとんど思いだせない。
それでもこの日記に書かれた内容が真実だと確信できる。
私は、その日記の内容をもとに小説を書くことにした。
異世界で私が過ごした10年間。それを誰かに伝えたくてたまらなかったのだ。
念のため重要な詳細は省く必要はあるだろうが、小説であれば読者はそれを真実だとは思わないだろう。この世界に悪影響を与えることはないはずだ。
小説を書くなんて初めてだが、いまは生成AIに手伝ってもらえる時代だ。なんとか形にはできるだろう。
そうして、慣れない小説執筆に四苦八苦しながら、1ヶ月ほどかけて書き上げた。
文章の出来は散々。矛盾する描写だってあるかもしれない。
それでも、ひとつの作品を書ききった達成感は悪くないものだ。
小説投稿サイトを開き、いよいよ投稿しようとしたところで、タイトルを決めていないことに気づいた。
どうしよう……他の投稿作品に倣って、内容=タイトルがいいんだろうか。
【魔法世界に転生したアラサー女子が知識無双した件】【ファンタジー世界に転生したボクっ娘は魔法を科学するようです】みたいな感じだろうか。
「いや、せっかくなんだから、あの理論の名前がいいな」
タイトルを入力。本文も入力。あらすじは登場人物の説明だけでいいや。前書きと後書きは要らない。
入力内容を見直して、軽く深呼吸をしたあと、投稿ボタンを押した。
ひとりでも多くの人が読んでくれることを願う。
魔法が科学される、あの共鳴の星の物語を。
了