防鎖を越えて
漆黒に沈む川辺に浮かぶ帆船の明かりは、音もなく揺れもせずただ淡々と川を下り距離を詰め近づいてきた。
アイル達は全速力で川を下った。彼らは交代でオールを持ち、そうでないものは武器や剣の鞘も水中に付き立て、必死に水を掻き進んだ。時には女も交代で船を進めた。
テオは全魔力を使い果たし、ぐったりして顔を伏せていた。限度を超えて魔力を使ったものは、体力さえ吸い取られて瞑想にかかる力さえ失ってしまうのだ。
彼らは体力の続く限り船を進めた。やがて前方の左右両岸に明かりが小さく見えた。川幅が急激に狭まり、岸が薄闇の中でぼんやりとその輪郭を現した。
彼らは中洲に入ったのだ。ジェイいわくこの土地を巡って戦闘が行われたらしい。だからこの両岸が、いまどちらの陣営のものかでアイルたちの運命も違ってくるだろう。
アイルは後ろを振り返った。彼は眼前の光景に目を疑った。帆船が百ヤードもしない距離まで近づいてきていた。もう三分もしないうちに追いつかれるだろう。そうなればアイル達は、皆殺しにされ川の藻屑となり消えていくだろう
岸に降りるべきか?いや、帆船がこの中洲に入ってきたということは、両岸はもう敵の領域だと考えるべきだ。
アイル達は船の中に身を伏せて、引波を小さくして川の狭域に入った。
その時前方の川面になにか濡れて光るものがあることに気づいた。
アベルが言った。「あれは防鎖だ」
「防鎖?」アイルが訊いた。
「防鎖というのは、船の侵入を防ぐために川に張られた鎖のことだ」
鎖の角張った上面が未家具期の光を受けて濡れて白く輝いていた。鎖は両岸に立った遺跡の塔の明かりの中に吸い込まれていた。
「ジェイ、川のこの部分にそんなもの張られてたか?」
「いや、見たことがないな」ジェイが答えた。
アベルが続けた。「あの塔のなかにキャプスタンがあって鎖はちょうどいかり縄のように繋がれている。中には倍力機構があって、歯車を回せば人力でも鎖を引き上げて川をふさげるんだ」
「塞げばあの帆船でも通れないんだな?」
「ああ」
「なら、やることは決まった」アイルが答えた
アイルは船を中洲の岸に寄せた。櫓の日に橙色に照らされた塔が眼前に近づいてきた。
アベルとジェイは岸に降り立った。
アイルは船を進めた。そしてエルザにオールを渡して言った。
「このまま船を進めろ」
小舟は水中に沈んだ鎖の上を通り過ぎた。アイルは船べりから身を躍らせ鎖を踏みしめると、それを伝い塔の窓辺に近づいた。
鎖は水中から躍り出て塔の小窓の中に引き込まれていた。アイルは斜めに張った鎖につかまり時を待った。
やがて塔の反対側で物音がした。
アイルは鎖の上を走り、小窓に飛び移り等の中に身を投げ入れた。
等の壁面は篝火の明かりに橙色に照らされていた。
深緑の肌をしたゴブリンが突然の侵入者に対し驚愕に固まっていた。彼の目は爬虫類のように黄色く爛々と輝いていた。
アイルは腰の短剣を抜き、ゴブリンの大きな目玉に深々と突き立てた。眼球が破裂し、ゴブリンはぎゃっと叫び声を上げた。
彼は階段を駆け下りた。
一階では二体のゴブリンが扉からの侵入者に槍を向けていた。
アイルは階段から飛び、手前のゴブリンの後頭部を蹴り飛ばした。軽石を蹴飛ばすような感覚が爪先に走ったあと、ゴブリンは鼻面から床に激突した。
シルはそのまま部屋を横切りもう一体のゴブリンに近接した。それはアイルに体を向け、槍の穂先が宙ぶらりんになった。
その隙をアベルは見逃さなかった。
流星のような速度で細剣の突きを入れると、ゴブリンは喉を突き破られ、血を吹き出して崩れ落ちた。
その時部屋に鈍い衝撃音が響いた。見るとみると倒れたゴブリンにジェイが斧を振り下ろし、頭が真っ二つに砕けていた。
アイルは上を指差した。皆うなずき、扉の閂を入れたあと、急いで上階に向かった。
みなキャプスタンの長い柄に手をかけ体重をかけた。アイルがせーのと掛け声をかけ、足を踏ん張り全力で押すと、倍力機構が動作し鎖がピンと張り巻き取られだした。そして鎖は水面に浮かび、水にぬらりと濡れた黒い鉄塊の威容をあらわにした。
帆船の明かりが鎖に近づいてきた。鉄塊は船上の明かりを受けて黄色く光り輝いた。警鐘の叫びが川面に響いた。下階では何者かが、扉を破壊しようと何かを激突させる音が響いてきた。
ジェイは壁に立てかけてあった棹をキャプスタンに差し込んだ。
船が鎖に触れた。やがて段々と鎖は引っ張られ、突然帆船の全荷重を受けた見張り塔はその衝撃に土台から揺れた。
キャプスタンの鉄輪が棹の鉄棒をがっちりと噛み込んだ。
「よし、逃げるぞ」アイルが言った。
彼らは見張り塔の窓から飛び降りると、岸辺を走り下流へと逃げた。
川の暗闇の中からおーいと呼ぶ声が聞こえた。
やがて月光に照らされた小舟の輪郭が見えた。
アイル達は船に乗り込んだ。




